いつものふたり


 宿屋での、朝。
 いつもより少しだけ早く起きてしまったアニーは、する事も無かったのでとことこと階下に向かっていた。何となくいい匂いがしていた。きっと、もう既に朝ご飯が出来ているのだ。みんながまだ起き出す気配が無く、自分だけ先に起きてしまった。ベッドの中で二度寝をするのも悪くなかったが、折角爽やかに目覚める事の出来た朝を有効活用したかった。
 階段の踊り場まで出て、しかしそこでアニーは固まった。先にそこにいて、テーブルに座っているガジュマの男。そいつが目に入ったのだ。彼の黒い毛皮が視界に入り、朝だというのに気分が下降するのがはっきりと分かった。男はアニーの足音に気付き、振り返る。
 彼はどう挨拶をしたものか、言いあぐねているようだった。しきりに顎の辺りを撫でている。
「…、おはよう、アニー」
「おはようございます」
 無視しようかと思ったが、気付けば声を出していた。軽々しく名前を呼ばないで下さい、と注意しようとも思ったが、朝からお互いの気分を害する事も無いと思うので、アニーは黙ったままでいる事にした。
 ガジュマの黒豹、ユージーン・ガラルド。今アニーの目の前でむすっとしているこの男こそ、アニーの憎しみの対象その人である。そして彼自身も、アニーに憎まれている事を知っている。どうしたってお互いの態度は不自然になるのだった。今朝も。これで会話が終わってしまい、アニーはその場に立ち尽くした。部屋に、戻っても良かったのだけれど。会話が止まって、出来たその一瞬の隙をユージーンは見逃さなかった。
「座らないのか?」
「え?」
「そこに突っ立っていても、仕方ないだろう。座らないか」
 と言って、彼は自分の正面の席を勧めた。座ったなら、まるで二人でテーブルを占領しているように見えるだろう。予め二人で示し合わせたようにここにいるように、「仲間」に思われてしまうかもしれない。不愉快極まりない、その単語。ガジュマと組んでいるなどと、周りに思われたくないのに。それでも、おなかの減っていた事もあってアニーはつい誘われるままにユージーンの向かいに座ってしまったのだった。



 出てきた朝食はサラダに、スープに、パンと、朝はあまりたくさん食べられないアニーにとってはそれでも十分な量だった。
 サラダを兎のように咀嚼しつつ、目の前に座る男の事を見るでもなく見ないでもなくアニーは視線を彷徨わせていた。考える事は、父と過去の彼の事。一体過去に何があったのか。ユージーンの腕が動いて、パンを口に入れる様子をそっと窺っていた。おそらくは、あの筋肉質の腕が。父を。殺したのだ。彼が肌身離さず持っているあの槍が、父の心臓を貫いたのだ。
 …朝から繰り返す、この想像にアニーは気が滅入るのを感じた。時々分からなくなる。この人は、本当に父を殺した殺人犯なのだろうか。マオやヴェイグに対する態度は、とても猟奇的な人物とは思えず、正気のヒトそのものである。自分はユージーンに対し混じりけの無い憎しみを抱いている。それは間違いない。けれど時折こうして決定的な予測が崩れる瞬間もあるのだと感じ、アニーはやりきれなくなる。
「アニー」
「何ですか?」
 突然話しかけられて、アニーは眉間に皺を寄せ、明らかに不快そうな表情で応えた。だいたい、この人は何だって自分と一緒に朝食を食べようなどと思ったのか。嫌いだって。アニー・バースに嫌われていると憎まれていると知っていて、なぜ。馬鹿にされているような気持ちさえする。
「好き嫌いとは感心しないな」
「何の話ですか?」
 意味が分からずユージーンをじっと見つめると、彼はそっとアニーのサラダの中の一角を示した。そこはアニーが避けたニンジンで埋め尽くされている。
「ニンジンも、嫌いでもきちんと食べなければ」
「…!」
 昔、父に同じ事を言われた経験がある。それを、父を殺めた人物に言われるのは、我慢出来ない。どうして、彼と同じ事を言うのだ。
 好き嫌いがいけないなんて知っている。これでも医者の卵だ、栄養が偏る事など知っている。それでも食べられないくらい、生のニンジンはダメなのだ。それを改めて彼に指摘されるのは、癪以外の何物でも無かった。
「お父さんみたいな事言わないで下さい。あなたとわたしの間には、何の関係も無いんですから」
 彼の提案を、そっぽを向く事で突っぱねた。どうしてこの人の言う通りにしなければならないのだ。そうするだけの、理由は無い。さも父親のように振舞う、この人の傲慢さが許せなかった。マオ辺りなら嫌がりつつも従っただろう。自分はそうはなれない。この人の娘になった覚えなどない。ガジュマなどの娘に生まれた覚えは無い。
「…。そうだな、すまん」
 次に彼の口から漏れたのは、はっきりとした謝罪だった。父親ぶった事に気付いたらしかった。他の人ならともかく、アニーとユージーンにとっては「父親」の話題は禁忌なのだ。
「…」
「…」
「…」
 途端に訪れる、気まずい雰囲気。
 会話も無く、黙々と食事に戻る二人。アニーは変わらずニンジンを避けてサラダを食べている。ユージーンは変わらず注意したそうな視線をアニーに向けているが、アニーは完全無視を決め込んだ。
 どうしてこの人と一緒に食事を始めてしまったのだろう、とアニーは後悔し始めていた。どうして勧められたその時にきっぱりと断れなかったのか。嫌だと知っているのに、どうして従ってしまったのか、自分の思いがまるで見えなかった。どうして、彼は自分を誘ってくれたのか。
 あれこれと考えを巡らせていると、ユージーンがやはり、と前置いて説教に戻った。
「いや、やはり好き嫌いは良くないな、アニー。バランス良く食べないからいまひとつ発育が…」
 耳に入った単語を、とても認められる事が出来なくて。アニーは目を見開いた。今、彼は何と言ったのだ? 自分の気のせいで無ければ、彼は「発育」と…。
 アニーは羞恥と憤怒に顔が赤くなるのが分かった。だんだん頭に血が昇っていく。つまり、「発育」と分かりにくい言葉で濁しているけれど、結局のところ彼が言いたい事はこうなのだ。
「わたしがぺったんこだって言いたいんですねッ?!」
 図星なだけに、その手の言葉には少々敏感なアニーなのだ。15歳にしては、…ちょっと。というのは、自分が一番よく理解している。それを他人に、しかも憎む相手に言われるのは勘弁ならない。それより、彼が自分をそういう目で見ていたらしいという事実の方が衝撃的だった。
 信じられない、なんという無礼者なのか。
「いや、そういうわけでは…」
 自分の発言の危うさにようやく気付いたのか、ユージーンは慌てたように手を振った。忌々しい、とアニーは下唇を噛む。ちょっと油断すれば、この通り。信用して彼と同じテーブルについた自分が馬鹿だった。
「嫌らしいッ。あなたって、本当に最低…っ」
 アニーの罵詈雑言は、しばらく止みそうに無かった。
 なんの、かんの、と繰り広げられるユージーン劣勢の、いつもの口喧嘩。ユージーンは困ったように肩をすくめるばかりで、けして何も言い返そうとはしない。今回ばかりは自分が100%悪いと分かっているからなのか、はてさてどうなのか。



 さて、同時刻。の、階段の踊り場にて。
 とっくに目覚めていて、所在なげにそこで二人を眺めていたマオとティトレイは「あーあ」と小さな声でため息をつくのだった。勿論、アニーとユージーンからは見えない位置で、二人を静かに観察していたのだ。
 少しでも、二人の仲が良いものになってほしい。そう思って、毎日あれこれと罠をしかけているけれど。今日だって、1番に起きるのはいつもユージーンだから、2番目がアニーになるように寝た振りをしていたというのに。実際は、とっくの昔に起きている。けれど、アニーとユージーンのためにわざわざ演技をしたのだ。
 仲間の間の絆を強めるために涙ぐましい努力を続ける彼らの努力の成果は、しかし今日も失敗に終わったようだった。
 結果と来たら、また喧嘩。しかも流れがまるで空気の読めない父と反抗期の娘のやり取りのようだ。喧嘩出来るようになっただけ、マシかもしれない。前ならアニーはユージーンの言葉を全て無視していたから。少しでも、 事態は好転しているかもしれない。それでも、やはり牛歩にそれは似ていて。
「また始まったぜ…」
「アニーも、注意される程ユージーンに愛されてるんだって、早く気付いたらいいのにネ」
 呻くティトレイと、呆れるマオ。
「ねえティトレイ、次の作戦は何にする?」
「んーっと、そうだな…」

 今日も、やきもきするのは周りばかり。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
ユジアニ万歳!! 大好き!
ニンジン嫌いなのは勝手に作った設定なので4649です。

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