「待て、アニー」
6つ目の試練。つまり、ユージーンの試練が終わったあと。
アニーは突然彼に呼び止められた。
アニーとユージーン以外は全て街に戻っており、しん、とその場が静まり返っているのを感じた。狭い空間に反響するその声が、自分の名前を呼んでいるのが面映かった。
本当は、振り向くのさえ嫌だったのだけれど。咄嗟に押さえた頬がいまだに熱い事を、アニーは自覚しているのだ。
あんな風に、周りの目も気にする事無くユージーンの胸の中に飛び込んでしまうなんて。その事実を、恥ずかしく思っているのだ。彼の中に思念体が潜んでいたのも信じられなかったし、こうしてそれが出て行ったと聞かされても今ひとつピンと来なかった。
分かっているのは、今までそれを気付けないでいた自分の不甲斐なさと。それが完全に出て行ったという安心感ばかりだ。
「ん?」
ユージーンの命令に逆らう事も出来ず。アニーはゆるゆると振り返った。いつもの、無表情で硬い顔がそこにはある。しかし、心なしかいつもよりその顔は厳しくなく、緩んでいるように思えた。
最初は、それが思念体が彼の中から飛び去った事に対する喜びなのかと、アニーは考えた。あまり思った事を顔に出さない彼にしては、珍しい、と。
しかし彼の次の一言で、アニーはその認識が間違いだったと知った。
「ありがとう」
「え?」
口から出たのが単純な感謝の言葉だと分かり、それでもその意味を掴む事が出来なくて、ついアニーはいつもの調子でマオに接する時のように尋ね返してしまう。
「…『ありがとう』?」
なぜ、そんな単語が出てくるのか。意味が、不明だ。
まさか抱き着いた事に対して感謝しているわけではあるまい。
「俺を心配してくれて…ありがとう」
2、3回。瞬きのあと。言い難そうにもぐもぐとしているユージーンの姿を認め。
ようやく分かったのだ。
アニーがユージーンを心配した事に対し。ひいては、つい抱き締めてしまった事にさえ、彼は感謝しているのだ。あれが、アニーが心から心配した事の何よりの証拠だから。
再び頬が熱くなるのを感じ、アニーは反射的に俯いた。
「そんな…」
「復讐は終わったけれど、お前が俺を好く事など無い…そう思っていた、だが…」
復讐。その事を思い出す度、胸が痛むのだ。
どうしてこの人を憎んでいたのか、真実も知らずただの小娘がヒトの命を狙っていた、などと。ヒトから伝え聞いた事を全て事実だと思い込んでいた。目に見えない事柄が、人々の間には伝わらぬやり取りが、本当は父とユージーンの間には潜んでいたのに。
復讐は終わったのだ。まだあるとすれば、父をそういう立場に追い込んだ誰かが、復讐を果たすべき対象なのであり、しかしユージーンはアニーが誰かを殺す事など望まないだろう。
復讐が終わった今、ユージーンはアニーの、理解者となったのだ。呪わない。殺意など、もう永久に持たない。
「ユージーンの事は、いつだって心配です。だって…だって…わたし…」
何かを言いかけて、しかし何も言葉には出来ない事に気が付いた。どう、伝えたものなのか分からない。この気持ちは、上手く説明出来なかった。ただ、ものすごく心配だっただけ。ただ、ものすごく安心したから、抱きついてしまっただけ。
それは、本当に「ただ」、それだけの気持ちだったのだろうか。アニーにさえ理解出来ない、感情の高ぶりと揺らぎ。
ユージーンをお父さんのように、最近は思っている、とか。そんな事を言ったら彼は気を悪くするだろうか? ユージーンだって、本当ならば独身のひとりの男に過ぎないのに。ヴェイグを中心とする仲間を組んでからというもの、何だか父親のような位置にあるのも事実で。
そういう意味では、心から好いている…のかもしれない。彼を。
父親のようでいて、父親ではない彼。父親のように慕いつつ、そうではないそれ以外の感情も秘めている。それはいまだ、アニーの中では形に出来るものではないけれど。
それを無理に言葉にするのはやめて、アニーはにっこりと微笑んでみせた。
「ううん…何でもないです」
「? そうなのか?」
「さ、行きましょう。みんなが、待ってます」
アニーはさっとユージーンの手を取ると、軽い足取りで出口へと向かった。
ユージーンがその意味深な笑顔の意味を知るのは、まだもう少し先の話。
おしまい
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