雨と虹 |
この所野宿ばかりだったが久しぶりに宿に泊まる事の出来た、その朝。 久しぶりの快晴である。ここの所、天候不順で旅も順調でなく、予定していた日程を大幅に遅らせている。今日たくさんの距離を移動出来れば、あるいは予定に追いつく事が出来るかもしれない。ユージーンはそんな事を思って最後に朝食の席に着いた。 マオやティトレイは朝からハイテンションでもりもりガツガツと朝食を平らげ、さらにお代わりを注文しようかと迷っているところだった。昨日のひとり酒が祟ったのか、頭痛に苦しみながら野菜ジュースのみをテーブルに置いているのはヒルダ。顔色はひどく悪い。気も立っている彼女をそっとしておこうと、ユージーンとヴェイグとアニーはただ静かに食べる事だけに集中していた。 ヒルダを刺激しまいと極力抑えた声で、ヴェイグはマオに問い掛ける。マオは山盛りいっぱいのサラダを攻略していた。口の端にドレッシングが残って、みっともない姿だ。 「…まだ食べるのか?」 「え、ダメ?」 それを横で聞いていたティトレイが、すかさず茶々を入れた。 「お子様はたーっぷり食べてでっかくならないとなッ!」 「子供扱いしないでよ!」 「うるさい…ぶつよ」 眉間に、今まで見た事が無いくらいの大量の皺を発生させているヒルダが呻いた。ティトレイとマオの声は、前者は大きく後者は高くて。いずれにしろ二日酔いの頭には、相当響くのだ。 二人は途端にしゅんとして、ごめんなさいと同時に頭を下げる。いつもの二日酔いよりもさらにひどい事を憂いてか、アニーがヒルダにそっと声をかけた。 「あの…ヒルダさん。お薬、作りましょうか?」 「ん…いい。要らない。ありがと」 「でも、その体調で、今日外に出るのは無理があるんじゃ…」 「心配しないで。あんたと違って、私は大人だから大丈夫」 軽く、手を振ると。ヒルダは立ち上がり、ヴェイグに囁いた。 「出発の時になったら、呼んで。それまで寝てるから」 「分かった」 とんとんと、軽くは無い足取りで階段を昇っていくヒルダ。残った5人で息を潜めてそれを見送ってから、ヒルダの姿が確認出来なくなると全員が全員重いため息をついた。 「もう、ティトレイさんもマオも…! あんなに調子悪そうなヒルダさんがいるのに、大きな声出すなんて最低ですっ!」 「いーや。自分の体調管理くらい自分で出来ないあいつが悪いんだ」 「ボク、別に大きい声出してないけど。ティトレイと一緒にしないでくれる」 「ちょ、お前な…! 裏切るなよ!」 「喋りながら食べるのやめてくれます?!」 「…ごめんなさい…」 ついつい必死になって食べる習慣のあるティトレイとマオは、食べながら喋る特技を持っているけれど。お世辞にも上品とは言えないその行為に、アニーは憤慨した。ただでさえ、ヒルダの件でかちんと来ているというのに、ティトレイとマオはどうしても些細な事でアニーを怒らせがちなのだった。 3人のやり取りを見守る側に回っていたユージーンが、声を掛けた。 「それを食べ切ったら、出られるか?」 「え、もう行くの?」 「うむ…今日は晴れているし、出来れば距離を稼ぎたいところだが…」 「そっか。ここんとこずっと天気ぐずついててあんまり先に行けなかったし。ヒルダには悪いけど、確かに今日はいっぱい歩くべきだよネ」 いつだって、ユージーンの言う事にはよく従うマオはそう言ってにっこりと微笑んだ。知らぬ内に注文したらしい2杯目の器を左手に抱えたまま。 「こんなに晴れてるなら…」 と。窓の外の景色を見て、あれっと急にその手を止めた。 「あれ…っ」 口の端に、食べカスをくっつけたままだ。 「あれ?!」 「どうした」 「見て、窓の外!」 言われて、4人が窓の外を見て。ティトレイが「ウソー?!」と声を上げた。 …雨、が。降り始めていた。 先程まで雲ひとつ無く晴れていたというのに、今や暗雲立ち込める空。しとしとと、音を立てながら雨が降り始めていた。窓に、雫が当たってぱた、と音を立てた。 「どーしてえ?」 ティトレイにつられて、マオも大声を上げる。 「さっきまで、あんなに晴れてたのに」 ヴェイグが眉に皺を寄せる。 「どうする…強行突破か…あんたはどう思う、ユージーン」 こういう時にやはり頼られるユージーンは、うむ、と重々しい相槌をひとつ打つと言葉を探した。自分やヴェイグやティトレイならば、多少の雨など問題なかろう。元・王の盾であるヒルダも同様だ。しかし、そうでないマオやアニーは。 次の街まで走りきったところで、自分たちはともかくこの2人が体調を崩さないとも限らない。それぞれが未成年である二人を、自分たち大人がしっかりと守ってやらなければならないのだ。特にこの子たちには身寄りが無い。世界にひとりぼっちである2人を、何に代えても。 ユージーンはマオとアニーをそれぞれ一瞬だけ見て、そしてそれでヴェイグの回答とした。 「あんたもやっぱりそう思うのか」 「ああ」 「ねえ、何の話? 無言で会話しないでヨー!」 「マオ、アニー、出発は無しだ」 マオの肩に手を置いて、アニーに視線を向けると、ユージーンは語り始めた。 「えー、どうして」 ぶー垂れるマオとは逆に、アニーはただ不安そうな表情で見上げるばかりだ。 「分からないか。こうやって話してる間にも雨脚は強くなっているだろう。次の街に行くまでに、あれ程強い雨に晒されては我々の体力もどれだけ持つのか未知だ」 みんなで窓の外を見る。降り始めよりさらに雨は強くなり、ぱた、と音をさせていたのが、今は窓を激しく打ち付けていた。心なしか風も強くなってきたような雰囲気もある。 「大丈夫だヨー」 「大丈夫じゃない。とにかく、少し様子を見る。晴れるようならその時点で出発するし、晴れなければ今日の予定は無しだ。各自、自由行動とする」 「晴れるまで?」 「そう、晴れるまで」 マオはそれを聞くと、うーん、と唸った。 「でも、確かに、ヒルダもあんな調子だしネ。予定してたのやめて、今日は解散の方がいいのかも」 「なら、ヒルダさんに伝えてきますね」 少しだけ、口元を綻ばせたアニー。階上へと行く。マオは3杯目に手をつけ始めて。それぞれがそれぞれの望む事をする自由行動に、なし崩し的になる。 その中でひとり、ユージーンだけが顎に手をかけ、そのままの姿勢で固まっていた。 「…むう…」 「どしたの、ユージーン」 「いや…何でもない」 腑に落ちない事がある。その疑問が、確かなのだとすれば。どうにも胸の辺りで痞える、引っ掛かり。雨が止むまで自由行動とする、と言ったのは自分だけれど。どうにも、そういう方向に持って行こうとする何かの意志を感じるのだ。そしてそれは、気のせいではあるまい。 ユージーンはアニーを追い、階上へと向かった。 * 「アニー」 呼びかける。ちょうどアニーはヒルダの部屋から出てくる所だった。 「やっぱりヒルダさん、とっても気分が悪そうです。今日は自由行動にして正解でしたね」 「薬を調合してやったのか?」 「ええ。あのまま、しばらくは眠っているでしょうから静かにしていて下さいね」 言って、人差し指を唇に当てた。大人が子供に対して行う、「しーっ」の仕草だ。 「なあ、アニー」 「はい?」 ユージーンはひとつ咳払いすると、アニーに近寄った。 「話があるんだが…」 「何でしょう?」 ユージーンはアニーを手招きすると、窓の近くへと呼び寄せた。しとしと、とまだ雨の止む気配はまるで無い。二人して窓の向こうの景色を眺めながら、ユージーンはゆっくりと切り出した。 灰色に染まった景色の中では、折角の新緑の季節も意味を為さなかった。もくもくと、暗い色の雲は際限なく現れている。バルカの景色と似ている、とわけもなく既視感を覚えた。 「おかしいとは思わないか?」 「何がですか?」 アニーは笑顔を崩さない。それが、かえって不自然だった。 「疑問を疑問で返すなといつも言っているだろう。…まあいい。俺がみんなの中で一番早くに起き出す事は知っているな?」 こくん、とアニーの首が小さく傾くのを確認してから、ユージーンは言葉を続けた。 「その時確かに俺は見た筈なんだ。雲ひとつ無い空を。それがどうだ…今のこの天気を見ろ」 「急に天気が変わる事も、可能性でいったら有り得るんじゃないですか?」 「俺が言いたいのは可能性の話じゃない。真っ青な空だったのから、風雨になるまでに時間がかからなさすぎたと言いたいんだ。雲が出て来たのかどうか、確かめるだけの時間も無かった。俺がそろそろ出発しようと言い出したら突然降って来たんだぞ…自然現象より、何か起こっていると考える方が正しいだろう」 「そうかもしれませんね」 しれっと、さりげなさを装いながら視線を逸らすアニー。誤魔化せているつもりなのかもしれないが、人生経験の差が比較にならないユージーンの前では無意味だった。 ことり、とアニーが首を傾げて、そのままユージーンの体に寄りかかった。そっと支えると、アニーの体は随分と冷えていた。 「やはりか。フォルスの使いすぎだ」 「何の…、事ですか…?」 「あくまでシラを切るつもりか…まあいい。今日だけだぞ、こんな事は」 アニーは目を閉じると、はああと息を吐き出した。ため息はひどく長い。見れば、彼女の顔色もヒルダ程では無いにせよあまり良くはなかった。 「だって。ヒルダさんの調子があんなに悪いのに、みんなが出発しようなんて言うから。ヒルダさんが可哀想で…」 だから、雨のフォルスを使ったの。みんなを自然な形で引き留めるのには、それしか方法が無かったから。…説明は無くとも、今にもそう聞こえてきそうだった。 アニーひとりが説得したのでは、きっとみんなは応じない。ヒルダは大人だから、大丈夫。みんなそう考えているに違いなくて。それならばと、自分のフォルスを使って街中に雨を降らせる事によって今日の予定を中止させたに違いない。 やや強引な、彼女の方法。彼女には選択は無かったのだろう、小さく震えるアニーは、痛々しくて。街ひとつ分を領域をしたフォルスの使用は、たいへんな疲れを呼び起こす。分かっているけれど、彼女には他の方法は思いつかなかったのだ。ヒルダを守るために。 妙に感慨深い気持ちになり、言葉の代わりにアニーの体をぎゅっと抱き締め、暖めた。アニーの冷たい体は、ユージーンの大きな腕にすっぽりと包み込まれていた。 「ユージーン…!」 語尾の強さの割には、抵抗は無い。ユージーンの胸に自分の頭を持たれかけさせたアニーはリラックスしているようだった。 「あまり、無理をするな。ヒルダだって言ってたろう。大人だから、心配する必要など無いと」 「けど、それでも仲間な事に、代わりありませんから。心配するなって言われても心配しちゃいます。それが、仲間だから」 アニーはぎゅっとユージーンの体に腕を回した。顔を埋めてみせる。 「それなら、俺は心配するぞ。仲間のために自分を犠牲にするアニーを」 「ありがとう…ございます」 「…、さあ、部屋に戻ろう」 アニーは顔を上げると、きょとんとした表情で呟いた。 「え?」 「今日は自由行動なんだからな…」 そっとアニーの体を離して、手を差し出した。 「良かったら、俺の部屋に来ないか」 ぼっ、と一瞬にして頬を赤くさせたアニーは、俯いたあと、うん、と小さく答えた。 「あの、実は、」 今だから告白するんですけど、と付け加える。 「うん?」 「ヒルダさんの事だけが、理由じゃないんです。フォルスを使った理由」 「何?」 思いも寄らぬ言葉に、ユージーンはお得意のよく響く重低音で呻いてみせた。 差し出した手は受け取り手の無いままぼんやりと開かれたまま。 「あの…もう少しだけ、この街でユージーンと一緒にいたくて…だからこんな事したんです。…ごめんなさい」 あっけに取られて。一瞬だけ固まったあと、ユージーンは豪快に笑い出した。 「…ユージーン?」 「感心な娘だと思ったら、すぐにこれだ。本当に、仕方ないな」 ぷうっと膨れるさまは、まだどう見たって子供で。正直に話してくれたのは、勿論嬉しかったけれども、これは。 バースが怒り狂う様子を想像し、ふと口元が緩んだ。ユージーンがアニーと仲間以上の、親子のような関係になっているのを知れば嫉妬するに違いないのだ。 自分が、バースの代わりとして、もう少しだけアニーの隣にいたいと望むのは傲慢だろうか? しかし、彼女が世界にひとりぼっちなのを、放ってはおけなくて。 「さあ、アニー」 ユージーンの声が、窓に反射する。アニーはひとつ小さくこくんと頷くと、彼の手を取るのだった。 * アニーとユージーンが部屋に戻ったあと。 二人も気付かぬ内に、いつしか雨も止み、空には虹が出ていた。 街ひとつを丸ごと覆った暗雲は消え去り、ようやく青空が見え始めていた。 けれど、もう。今更「集合」をかけるのには、少々遅すぎて。結局その日は丸一日休日のような時間を過ごせた、6人なのだった。 おしまい |
■あとがき |
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