それぞれの帰還 |
世界は救われた。 ユリスという邪悪な意志はたくさんのヒトたちの思いと、そしてそれを形に出来た戦士たちによって打ち砕かれた。 これは世界を救った戦士たちのその後の帰還の物語である。 +++Annie Side ついに、帰って来てしまった。アニーは扉の前に立ち尽くすと、はあと重たいため息をついた。首都バルカに。…自分の家に。 鞄の中から冷たい感触の鍵を取り出すと差し込み、回した。 開いた扉の向こうに見えたのは、何も無いだだっぴろいだけの空間だった。 「…真っ暗…」 呟いた声が何も無い空間に響く。そうして扉の前で立ち尽くす事しばらく、ようやく真っ暗なのは自分が電気を点けていないからだと気付いた。 ぱちり、と電気を点けた。そうだった。長く家を空けるからと、予め家中の雨戸を閉めていったのだった。随分長く家に帰ってなかったから、その事すら忘れていた。そう気付いてみれば、どことなく空気が澱んでいる。アニーは慌てて窓に駆け寄ると、雨戸を開けて窓をいっぱいまで開けて空気を循環させた。 アニーの他には、既に誰も帰らない家。家を空けた分だけ、生活臭の消えている、この家。そんな場所に帰ってきてしまったのだ、とうとう。 窓の外から見上げるバルカの空は、やはり曇っていた。ユージーンへの憎しみに心を満たしたままバルカを出発した時も、やはり曇っていた。あの時とは全く違う心持ちでここへ帰ってきたのだ。今更ながらにそれを痛感した。 憎しみは、もう無い。彼が父に一撃を与えた事には、変わりないのだけれど。もう憎む気にはなれなかった。もう憎めなかった。彼も父と同じく、ジルバの犠牲者だったのだから。 ふいに、机の上に立てかけてある写真が目に入った。こちらに向かってにっこりと微笑む、在りし日の父の姿がそこにはあった。この家を出る直前にこの写真を何度でも眺めていた自分の姿を思い出す。 「お父さん…」 目を伏せて、思い出す。目を閉じればいつだってそこに父が忙しく立ち回っているのが目に浮かぶのだ。アニー、薬を持ってきてくれるかな。アニー、悪いけど、あっちの棚から書類を持ってきてくれないかな。王の専属医師として忙しく働く父に、若すぎたアニーに手伝える事といったら雑用しかなくて。早くに母を失くし、父ひとり子ひとりでここまでやってきた。父の職業が医者だったとはいえ、生活が楽だった事などない。だから、しっかり勉強して医者になる事が、父を楽にする最善の道だと思ったのだ。 実際は、アニーが医師免許を取る前に父は亡くなったのだが。 回想によって目の端から涙が溢れてくるのを、止められなかった。復讐が終わっても。ジルバを倒し、ユリスを倒しても。父は帰っては来ないのだ。そして自分はとうとう世界にひとりぼっちになってしまった。頼れる大人はもういない。これからは自分ひとりだけで、自らを助けてやらなければならないのだ。 「…お父さん…、」 誰も、もうここには帰ってこないけれど。言わなければならない言葉がある。 「…ただいま…」 おかえり、と言ってほしかった。 まだ、涙は止まらなかった。 +++Claire Side 「どうかしたのか…、クレア?」 ふいに呼びかけられて。びく、と自分の背中が震えるのが分かった。彼の低い声は、時に背中に冷たい氷を押し当てられたかのような気持ちになる。 なあに、と努めて冷静に、咄嗟に笑顔を作って彼に笑いかけた。 ここは、スールズ。村から少し行った、丘の上。そこから村全体が見渡せるのだ。 ヴェイグたちによって救われた大地の上で、今自分達は生活している。完全に元通りの世界。ヴェイグと自分と。大好きなザピィとこれからはいつまでも一緒にいられるのだ。 …それなのに、この胸に救う魔物が、邪魔をする。世界は安寧になった筈なのに。落ち着かずざわめきを繰り返す心臓。どうして、こんなにも納得出来ない自分がいるのだろう。 どうして、完全に元通りになった事が、こんなにも嬉しくないのだろうか。素直に喜べないのか。 「…クレアに、元気が無いように見えた。大丈夫か?」 「私なら、平気よ」 自然に。視線を、逸らした。鈍いようで見透かす力の強い彼に、真正面から見つめられたのなら。気付かれてしまう、この曖昧な違和感に。 上手く笑えなくなったのは、気付けばいつからだっただろうか。 変わってしまったのだ、全ては。もう、元通りになどならない。違和感の正体に気付いている。今更、見て見ぬ振りは出来ない。何が変わってしまったのか。クレアの心だ。ヴェイグと一緒にはいられない。自分は、穢れてしまったのだ。 あの人に。滅茶苦茶にされた自分は、もはや元には戻れない。ヴェイグが世界が救うまでは、と何とか堪えていたけれどもう限界だ。自分の精神が蝕まれていくのをどうする事も出来ない。あの人の事が忘れられないのだ。 狂気の奥に寂寥を宿した男の事を。サレを。 踏み躙らされた楽園。クレアの世界は彼によって徹底的に潰された。何があったのか思い出したくもないが、それゆえに彼を忘れられずにいる。 それゆえに、全てが解決してこのようにスールズに帰ってくる事が出来ても、未だに彼の事を思う自分がいるのだった。 「あのね、ヴェイグ…先に、おうちに帰ってて。少し、ここを散歩してから帰るから」 「何を言ってるんだ。この辺りにもバイラスが出るんだぞ。お前をひとりにしておけない」 「ごめんね、ヴェイグ…だけど…」 少しだけ、ひとりでいたい。 言葉には出来ないその危険な願いを知ってか知らずか、ようやくヴェイグは眉間の間の皺を減らした。 「どうしても、と言うんだな?」 「…」 「分かった。だが、何か危険な事があればすぐに言うんだ」 「ありがとう、ヴェイグ…」 俯いたまま、ぽつちぽつりと呟いた感謝。 本当の理由なんて言える筈が無い。 <あの人が、サレがいなくなってもなおあの人の事を気にしている自分がいる>なんて。どうしても、どこかでまだ生きているような気がして。自分を、本当に攫いにやって来るとしか思えなくて。そして、そういう未来が来る事を何より望む自分がここにいるのを自覚しているのだ。だからこそ、ひとりになってその瞬間が訪れるのを待ちたいのだ。彼は、ヴェイグの目の前には姿を現さないだろうから。 異常だ。この思考回路は。 「すぐ戻るって、お母さんに伝えてね!」 遠くで、ヴェイグが手を振るのが見えた。クレアはそう告げると、丘からさあっと駆け下った。 そうして、その場所からヴェイグが完全に見えなくなるのを待ってから、ゆっくりと目線をずらした。大きな木の向こう、さっきから感じていた怪しげな気配はここから漂っている。気のせいじゃない。 「出てきたら…どうなんですか? 分かっています。あなたですよね、サレさん」 足音も無く、現れたのは。紫色の髪、狂気の瞳を持ったサレその人であった。 「何をしに、いらしたんですか」 「決まってるじゃないか」 捕らえられた瞳を、逸らせない。この人の、狂った精神が自分に向くのは、むしろ幸福だと思えた。 「キミだって分かってるくせに。…キミを攫いに来たんだよ、今度こそ」 反抗しよう、だなんてこれっぽっちも考えなかった。差し出された手を見つめて、クレアは息を吸った。手を取ったなら、戻れなくなる。スールズには。…ヴェイグの所へは。 知っているのに、逆らえなかった。その世界を望む自分に、気が付いている。 さっき、帰るって言ったのに。ヴェイグに嘘を吐く事になる。分かっているのに。 手を、こちらからも差し出した。間を置かず、ぎゅっと握り締められた。 もう、戻れない。意識の端でそんな事を考えた。 「連れて行って下さい。…どこまでも」 握った掌は、ひどく冷たくて。非人間を感じさせる程に。 そのまま、俯いたままクレアはサレの胸の中へと飛び込んだ。 「ずっと、ずっと。一緒にいます。今度こそ、いつまでも」 +++Tytree Side 「姉貴ー、ただいまーッ!」 ばん、と激しく扉を開く。びっくりした表情で固まっているセレーナに、ティトレイは微笑みかけた。 やっと。ユリスの領域から脱出する事が出来て。脱出したあとも苦い別れを経験したけれど、それでも無事に故郷まで帰ってくる事が出来た。街の人間に、セレーナは家にいると聞いて街の入り口からすっ飛んできたのだ。今、ティトレイの息は上がっていた。 「ティトレイ?! 連絡も無しに、突然帰ってくるなんて!」 「だって。姉貴をびっくりさせたかったからさ」 「びっくりしたなんてもんじゃないわよ、もう…」 セレーナの台詞は、むしろ帰宅した事への喜びよりも、突然帰宅した事による怒りの方が多く感じられて。誤魔化すように頭を掻くと、セレーナは苦笑を浮かべた。 「ほんとにいつでも急なんだから…」 怒りは一瞬で、既にその片鱗も無い。怒ってない?と確かめると、怒ってないわよと途端に笑顔になった。 「…おかえりなさい、ティトレイ。よく無事だったわね」 そうして、彼女はゆっくりと両手を広げた。ティトレイは迷う事なく、その小さな世界に飛び込んだ。 「ただいま、姉貴!」 何だか、昔より少し小さくなったように感じた。昔は頭一つ分くらいしか変わらなかったのに。今はセレーナの頭を胸の辺りに感じる。本当に久しぶりに感じるセレーナの熱は、心地よくて温かかった。 束の間の抱擁のあと、セレーナは「何だか、今回の旅で随分成長したみたいね。…少しだけ、あなたを大きく感じるわ」と告げた。 「そう? かな?」 「ええ。今回の旅で、あなたはたくさんの事を経験して、少しだけ大人になったみたいね」 照れる。そうも真正面から姉に褒められる事が、あまり無いものだから。 「帰って来てくれて…ほんとに嬉しいわ、ティトレイ」 そのまま、セレーナは俯くと両手で顔を覆うのだった。掌の向こうから、微かに聞こえる嗚咽。様子の変わったのに、いくら鈍いティトレイだって気付く。 「あ、姉貴…?」 「覚悟…決めてたの。もう、ティトレイは帰ってこないかもって。だから…だから…」 嬉しくて涙が止まらないの、と言うのだ。そのままティトレイの胸の中に収まる彼女を見て、胸が痛むのを感じた。 フォルスを持たないセレーナは。家にいて、じっとティトレイの無事を祈って待つ事しか出来ないのだ。それがもし逆の立場だったら、とティトレイは想像した。じっとなんて、勿論出来ない。だけどついていったところで能力者でない自分など、足手まといにしかならない。想う相手が無事である事を祈るしか無い、そのもどかしさを知っている。 小さく震えるセレーナの肩に、そっと手を置いた。姉が泣いているのを見るのは、何年ぶりだろう。これからは、ずっと。自分が傍にいて、彼女を心配させないようにするのだ。 セレーナを、悲しませたくない。泣かせたくないのだ。 「もう、どこにも行かない。俺、姉貴の傍にいるから。工場にだって戻るし。姉貴のために、毎日ごちそうを作るよ。留守にした分、いっぱいいっぱい一緒にいよう」 そうして二人で、しあわせになろう。 最後に囁いた言葉に、ようやくセレーナは落ち着きを取り戻して。手の甲で目尻の涙を拭うと、やっと太陽のような笑顔を見せてくれたのだった。 「…そうね、二人で、きっと幸せになろうね」 +++Hilda Side 突然孤児院に来た、ある顔。無表情のままそこに立ち尽くす、角のあるハーフの女にヒルダは驚いた。自分の角は随分前に折ってしまったけれど、彼女の角は完璧なままだ。 「ミリッツァ…?! どうして、ここに、」 現れたのはミリッツァだった。王の盾という重要な職につくミリッツァが、なぜ突然こんなところにいるのか。確かにヒルダの経営するこの孤児院はバルカに程近い所にある。来ようと思えば来られない事も無い。だが。 「孤児院を開いて暮らしている、と聞いたから」 いつだって、ミリッツァの言葉は説明足らずで。昔から口下手なところは変わらない。 それでは説明にならないと文句を言い、あからさまにため息をついてみせると、ミリッツァは少しだけ眉を顰めたようだった。付き合いの長いヒルダだからこそ分かる、ごく微かな差。 「どうかしたのか」 「どうかしたのか、じゃないわよ…王の盾はどうしたわけ? あんただって一応四星なんじゃない、こんな所来てる場合じゃないでしょ。あんた世界がどうなったのか、知らないわけないのに。王の盾としての仕事をこなさなくてもいいの?」 「…ヒルダは、私が来て嬉しくないのか」 相変わらず口調は変わらず、表情に変化は見られないけれど。ヒルダには分かる、ミリッツァはヒルダがきつい事ばかりを言うのでしゅんとしているのだ。 「違う、そうじゃなくて…すごく嬉しいわよ」 「嬉しいのか」 「そう、嬉しいわよ。だけど…随分突然じゃない? あんた、仕事はどうしたわけ? こんな真っ昼間に」 「辞めてきた」 「そう、辞めて…は?!」 さらりと衝撃的な告白を、何でもない顔でするとミリッツァはヒルダに向き直った。その顔は、今までに見た事が無いくらい真剣で。ヒルダはそのいつになく真面目な瞳から目が逸らせない。 「辞めてきた。ヒルダを、手伝うために」 「ちょ…ちょっと、待ってよ! 辞めた…って、王の盾を?!」 「そうだ」 「何だってそんな事…っ。王の盾にいれば、一生が保障されるってのに!」 「一生なんて保障してくれなくていい。それより私は、ヒルダが手伝いたい。私は知っている。ヒルダが、本当はひとりじゃ大変だって思ってる事」 痛いところを突かれ、ヒルダはその場でぐ、と呻いた。子供相手には、体力を使う。いくらハーフで力があるなんて言っても、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする子供たちを養うのには意味のない事だ。しかも子供も全員ハーフと来ている。 出来れば誰か手伝いをしてくれないかと期待していた部分もある。しかし仲間たちは各々の道を既に歩み始めていて、とても引き止められなかった。ユージーンなどはそれでも時折様子を見に来てくれるが、子供たちが泣いて怖がるので最近はそれもどうしようかと二人で思案していたところだったのだ。 ミリッツァの提案が、嬉しくないと言ったら嘘になる。けれど。 「だけど…巻き込めないわよ、あんたを…」 自分で、決めた事だから。あんたは自分の夢を追いなさいよ。そう、静かに告げると。 なら、と彼女は答えるのだった。 「ヒルダの隣で、同じ夢を見る事が、私の未来だ」 ミリッツァの、突然見せた笑顔。 信じられない思いで見つめていると、ミリッツァは手を差し伸べた。 「一緒にいても、いいだろう?」 初めて見たミリッツァの微笑みに、勝てるわけなんて、勿論無かった。 「…仕方ないんだから」 +++Annie Side ちりん、とドアベルが鳴ったのは気のせいだっただろうか? 窓辺で外を眺めたまま、腫れた瞼を擦った。長い緊張がほぐれ、ようやくバルカに戻ってこれたと思ったら何だか安心して、少し泣いてしまった。 これからひとりきりの生活が始まる。泣いてる暇なんて、無いのに。涙を慌てて拭うと、アニーは玄関へと向かった。先程ドアベルが鳴ったように聴こえたが、気のせいだっただろうか? 扉に辿り着く前に、再び聴こえるベルの音。やはり、気のせいなどではなかった。 「はっ、はい! 今開けます!」 ばたばたと玄関まで走り、目元を見られないようにと願いながら扉を開けて。 勢い良く扉を開けて、アニーはそのまま固まった。 「…ユージーン…?」 「すぐに出ないから、どうしたのかと心配したぞ」 「う、うん。ごめんなさい。ちょっとお片づけしてて」 そこにいたのは、ガジュマの黒豹と称されるユージーン・ガラルドその人だった。 何で。どうして、突然。アニーの頭は瞬時に混乱した。どうしていつもこの人は、自分が困っている時に来てしまうのか。いつもいつも頼りたくなってしまう、それが嫌なのに。自立したいから、いつもいつも傍にいられるのは、困るのに。だのに、彼が手を差し伸べてくれるのをじっと待っている自分に気付くのだ。本当は、その手に触れていたいと願っている、自分自身に気が付いている。 「どうして…ここに?」 「…何だか、来てはいけなかったかのような言い方だな」 「ううん、そんなんじゃなくて」 首を振る。来てくれた事自体は純粋にとても嬉しいのだ。 「それで、何かあったの? わざわざうちに来るなんて」 「いや、その」 右手を顎に当て、なぜか言い淀むユージーン。 アニーは小首を傾げてその次の言葉を待った。 彼は右手を差し出すと、いつものように厳しさの奥に垣間見える優しい眼差しで、こう告げた。 「アニー。…お前を迎えに来た」 「…ええっ?!」 意味が分からず訊ね返すと、ユージーンは手持ち無沙汰に右手をひらひらと動かした。 「お前が良ければ、の話だが。俺と一緒に、旅に出ないか」 「ユージーンと、一緒に…?」 「旅を続けながら医者の勉強をするのも良い。俺と一緒に、再誕の旅に出ないか」 この手を取ってくれないか。俺と共に行こう。彼はそう言った。 「…ユージーン、そんな提案を急にされても…」 口調ほどには、アニーの顔は否定的ではない。 アニーは束の間黙って、考える。亡き父の元でこれからは頑張るつもりでいたけれど。でも、選択肢はそれだけじゃない事に気が付いたのだ。世界は今生まれ変わった事で混乱し、この世は未だ安定していない。惑う人々のために、自分の力は使えるのではないだろうか。 この手の中に生きるフォルスは、まだ存在するから。持たぬ人々の希望になれるのではないだろうか。 「わたし…」 目を閉じた。再び現れるのは、父の姿。 心の中で、そっとアニーは父に呼びかけた。ごめんね、お父さん。わたし、この人と一緒に行きたい。わたし、まだ免許取る勉強出来ないよ。だってわたしには、再誕した世界を見守る役目がある。この人と、一緒に。 …許してくれるよね? 「わたし、…ユージーンと一緒に行くよ」 目を開けた時、一番に見えたのは。 それはそれは嬉しそうな彼の笑顔だった。 おしまい |
■あとがき |
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