Heimweh |
随分と久しぶりに、故郷に帰ってきた。ティトレイは深く息を吸い込むと、この工業都市ペトナジャンカ特有の機械と油の匂いを胸いっぱいに感じ取った。 ここに帰ってくるまでに、紆余曲折があった。 ティトレイが帰省する、3日前の話。 実のところ、まだ旅は終わってはいない。ついこの前シャオルーンを味方にしたばかりだ。彼を仲間にした事で、空を自由に飛んでどこへでも行ける事が出来ると聞いた。シャオルーンにつられるように空を見上げて、そういえばとティトレイは回想せずにはいられなかった。 ふと。想うのは、姉。 もやもやと胸の内に巣食う感情。今頃セレーナはどうしているだろう。何とか彼女を救い出してから先、まともにゆっくり話していない気がする。元気にしているとは思う。自分などより余程しっかりしているから、自分とは違ってひとりでもちゃんと生活しているとは思う。 ティトレイは首を振った。そうじゃない。姉を心配しているわけじゃない。逆だ。心配されたいのだ。これまで姉とこんなに距離を隔てた事が無いから。 ああ、とふいに納得した。これはホームシックだ。自分は故郷に帰って、思い切り姉に甘えたいのだ。 姉の笑顔が頭に浮かんだ。そうなると、もうどうにも止まらなくなり。シャオルーンの尻尾を眺めながら、ティトレイは手を上げて提案せずにはいられなかった。 「…なあ、どこにでも飛べるって言うなら、おれ、行きたい所があるんだけど」 そして仲間に告げたのは。 * 強引な説得の甲斐あり、今こうしてペトナジャンカの地を踏んでいるというわけなのだった。 ティトレイは今自宅へと脇目も振らず走っていた。後ろの方でマオが「ティトレイ、速過ぎて追いつけないヨー!」と叫んでいるが、構う余裕は、今のティトレイには無い。 会える。もうすぐ。その気持ちが、ティトレイを否応無く興奮させていた。 「姉貴ーッ、ただいまーッ」 ばたん、と騒々しく扉を開けると。そこにいたのは、勿論美しいセレーナその人だった。彼女はティトレイの姿を認めると、目を見開いて驚いた。 「…ティトレイ?!」 「帰って来ちゃった」 「帰って来ちゃった、って、まだ旅の途中なんでしょう?」 「うん、まあそうなんだけど…」 まさか急に姉貴の顔が見たくなったからちょっと帰ってきた、なんて正直には言えない。それはいくら何でも恥ずかしすぎる。と思っていたら、背後からひょいと現れたマオがにやりと笑った。ものすごく嫌な予感がして口を塞ぎにかかるが、一瞬遅かった。 「あのねセレーナさん。ティトレイってば、ホームシックにかかっちゃったんだヨ」 「お前何勝手な事…!」 制止するも、あとの祭り。セレーナはそれを聞いた途端、心から呆れ返ったようだった。 「我が弟ながら、情けないわ…みなさん、すみません。弟がわがまま言ったようで」 「いえ…たまには彼にも休息が必要でしょう。我々としても、この度の休息で彼がまた頑張ってくれるならば、これくらいは構いませんよ」 答えたのはユージーン。かぶさるように発言するのはヒルダだ。 「別にいいけど。好きなだけここにいれば。というか、もう帰って来なくていいわよ」 「何おう!」 「攻撃力の低い前衛を切るのは当然じゃないかしら」 全くもって可愛くない事を言う仲間がいたものだ。これ以上はなるべく相手にしないように努めて、ティトレイは再び姉へと視線を向けた。 「ってわけで、今日、久々にうちで寝泊りするから。あ、飯はおれが作るから心配無用! …明日の朝には、また、戻らなきゃいけないけど」 「ええ? 急に言われても、そんな準備だって…」 自宅に帰るのに、何の準備が必要なものか。セレーナの制止を振り切ると、のっしのっしとティトレイは扉を潜るのだった。 * 家に一歩踏み入って。ティトレイはうーんと伸びをして、思い切り息を吸った。懐かしい、温かい家の匂いに心が落ち着く。マオの言っていた通り、どうしようもないくらいのホームシック、セレーナシックであるらしかった。 仲間たちは、今日は宿に泊まってくれる事になっている。今日の事は全面的にティトレイに責任があるから、勿論宿代はティトレイの財布から出ている。懐はこれで暖かくはなくなったけれど、これぐらい姉と一緒にいられるなら何でもない。 戸棚の中をあれこれと見、今晩の晩御飯についてああでもないこうでもないと早速思いを巡らせていた所に、後ろからセレーナが遠慮がちに話しかけてきた。 「…ねえ、ティトレイ」 「ん?」 「旅、楽しい?」 「んん。すっげえ」 姉がいないのがただひとつの欠点だが。 「そう。それならいいのよ」 そしてまた沈黙。姉は何か言いたい事がある時ほど、奥歯にものの挟まった言い方をする。 「…なんかあるのか?」 振り返ると、スカートの端をきゅっと掴んだセレーナと目が合った。 「そうじゃないんだけど。大した事じゃないんだけど。…あのね」 「うん」 こういう時は、男としてでっかい心で待たなければならない。それがセレーナの弟に生まれた者の宿命だ。そう思って、早口で畳み掛けたいのをぐっと堪えた。 自分だって、久しぶりに会ったのだから話したい事がたくさんある。溢れて、どれから手をつけたらいいのか分からなくなるほどに。…それでも。姉が、全て優先。 「ヒルダさんって、綺麗な方よね」 「…???」 姉の口から出てきた言葉は、意外なものだった。 突然姉から発せられた言葉が上手く飲み込めなくて、ティトレイは首を傾げた。そういえば、ヒルダと口喧嘩になった時にじっと姉は彼女の事を見ていたような気もする。あまりに綺麗で見入ってしまっていたのだろうか? ティトレイには美醜はよく分からないから、綺麗と言えばそうなのかもしれないし、そうでもないのならそうでもないのかもしれない。セレーナがそう言うのなら綺麗なのだろう。しかし、セレーナがヒルダに向けていた視線はそんな意味のものでは無かった気がする。憶測の域は出ないけれど。 ティトレイにしてみれば、どうして二人でいるのに自分の旅の模様を訊いてくれないんだ、とかどうして二人でいるのに違う人間の事を話題にするんだ、とか不満が溜まるばかりだ。 胸の辺りがちくちくする。そうだ、本当はこんな事がしたくてここに帰って来たわけではないのに。姉とは一緒にいられない寂しさを、埋めてほしくてここに戻ってきたのだ。 言葉は要らない。ただ、抱き締めてほしかった。それなのにセレーナときたら。 「それがどうかしたのか?」 「いいえ、何も。ただ、綺麗ね、って」 「変な姉貴」 「変って何よ。…私は、ただ…」 「おれには姉貴の考える事は分かんねーよ。でも! 姉貴の方が、ずっと綺麗だぜ」 どうして、ヒルダの事を引き合いに出したのか、それは分からない。ティトレイの近くにたまたまいたから、そういう関係になっていると想像したのかもしれない。深い仲になっているのならどうして言ってくれないのか、なんてもやもや考えているに違いないのだ。 だったら、きちんと言ってやるだけ。自分が永久に姉のものである事を。 「姉貴がイチバンきれいだぜっ!」 完璧な、5つ星。 張り切ってそう告げると、セレーナは恥ずかしそうに俯いて、ティトレイをいつものように叱るのだった。 「恥ずかしいから、そんな事大きい声で言わないの…ほんとに馬鹿な弟なんだから」 照れ隠しに口元を覆うのは、セレーナのいつもの癖。馬鹿、といつものように罵られるのが、帰ってきた何よりの証拠に思えて。ティトレイは反論する気になれなかった。 「姉貴が、分かってないのが悪いッ。おれ、いっつも姉貴の事ばっかり考えてるのに」 「そうなの? …ごめんなさい。だってね、ティトレイ、聞いてくれる?」 「うん」 「久しぶりにあなたを見て…、あなたの周りの仲間を見て、思っちゃったの。いつまで、あなたは私の弟でいてくれるのかしら、って」 「何だよ、それ」 「あなたには素敵な仲間がいる。もうあなたには、私は必要ないんじゃないかって…時々、そう思うのよ。不安になる、なんて言ったらおかしいかしら? …でも。あなたが遠くなるのが怖いわ…」 「おれ、馬鹿だから難しい事は分からない」 遠くなる、なんて言われても。一生涯、姉と弟という関係には変わりようが無く、離れていたってその関係は遠くなるものでも近くなるものでもないように、ティトレイには感じられるのだ。 「けど、おれには、姉貴だけだよ」 さらっとそう告げると、セレーナは束の間驚いた顔をして、そのあとにっこり笑った。 「――そんな事言ってる間は、少なくとも私が面倒見てなきゃダメね」 「おう、そうしてくれ」 「何でそんなに偉そうなの。ほんとに、ダメな弟なんだから…」 ダメな弟で、構わない。それで少しでも多く、姉と一緒にいられるなら。 「姉貴。大好き、だから」 ティトレイはセレーナをぎゅっと抱き締めた。途端に訪れる、安らぎ。セレーナは突然の抱擁に大騒ぎしたが、一切聞こえない振り。 ここが、姉の胸の中が、自分の求める家。 胸の中に溜まっていた病気が癒されるのを、ティトレイは静かに感じていた。 おしまい |
■あとがき |
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