おにぎりの味


 戦国の世に、混沌より生まれし忍者がいた。
 その名を、風魔小太郎という。
 風魔忍者の五代目の頭領にして、今は北条家に仕える身分である。
 赤く長い髪に、澄んだ水色の瞳を持つ、異形の主である。
 ある秋の晴れた日、その小太郎が、特に何をするでもなく小田原城天主で酒を飲んでいたところに、突然煙がもくもくと発生した。声が、する。
 声はすれども姿は無い。またか、と小太郎は呟いた。経験から来る台詞で、これから何が起こるのか全て小太郎は承知している。とりあえず、一切無視して酒を飲み続ける事にした。
「小太郎、おはよう! 遊びに来たよー!」
 女性の声とともに、ぼん、とまた煙が舞い上がる。煙が発生する前から感じていた気配が、形となって現れる。もうもうと舞い上がる煙の向こうにいたのは、紛れも無い「あの」女だった。
 煙がすっかり流されて、あとに残ったのは髪の短い、包容力のありそうな雰囲気に満ちた女。両手を腰に当ててふんぞりかえっているその女は、間違いなく豊臣秀吉の正妻・ねねだった。正妻でありながら、夫のために戦場に駆けつけて共に戦うなど、剛毅な一面もある。それでいて、夫の体調を配慮する事も忘れない、まさに妻の鑑のような女である。
 その女が、なぜここに、小田原城天主にいるのか。小太郎は言葉を発することも無く、ただじっとねねを見つめた。一時期は、本多忠勝を倒すため共闘した事もある。だが基本的にはお互い敵である。ねねがここに来る道理はない。
 煙はすっかり空に掻き消え、ねねの姿だけが残った。
 ねねがここに来るのは初めてではない。以前から何か些細な事ではこちらに来て、何くれとなく小太郎の世話を焼いていくのである。小太郎にはそれが不可解でならない。
「…」
 黙っていると、ねねはこちらにびし、と指を突きつけた。
「こら、小太郎! 人に会ったらちゃんと挨拶しなさい! ダメでしょ」
 しかも、会うなりいきなり説教だ。
「一体どういう教育を受けたらそうなるの」
「…」
「三成と違って人が話してる時にちゃんと人の目を見るだけ、小太郎は良い子だけど」
「…」
「ありゃ、無視しないの! 人が話している時にはちゃんと相槌打たなきゃダメじゃない。ああ、もう、朝からお酒なんて飲んで。不健康ったら無いわ」
 言い放つと、小太郎からさっさと酒を奪い取り、隅に押しやる。小太郎の意志は全く無視されている。先程までは静かな気持ちで酒をゆったりと飲めていたというのに、今となっては騒々しい限りだ。
「…一体、何をしに来た…」
 それだけを告げると。む、とねねは眉を寄せた。
「あたしね、前から思ってたんだけど。小太郎っていっつも何食べてるの? あたしが見てる限り、どうも小太郎の食生活は偏ってると思うの!」
「…」
 ねねの発言は、小太郎の問いに対する答えになっていない。この女はいつもこうだと僅かに小太郎は嘆息した。人の話を全く聞かない女だ。その上いつも勝手な理論で勝手な発言を並べ散らしていく。
「それで、よ。今日はあたしがお弁当を作ってきたの」
 お節介ここに極まれり。小太郎は対処に困って黙り込むしかない。
 気が付けばねねは小太郎の真正面に座り込み、お手製のお弁当を差し出していた。顔はにこにこと笑っているのに、有無を言わせぬ強引さがある。
 …受け取るしかなかった。
 ほのかに熱の残るそれを開くと、中からは握り飯が2つ、出てきた。
「こっちが梅、こっちがこんぶね」
 ねねが身を乗り出して、指差して説明する。
 よく考えれば、なぜここにやってきたのか訊いてなかった。厳密には「小太郎の食生活が不安だから」と先程聞いたばかりだが、それだけでは動機には足りない。たかがそれだけの理由で、本当に敵地にひとり乗り込んで来たのだろうか。この女ならば十分に有り得る話だったけれど。冷静に考えて、同じ忍者として起こり得るのは、毒を盛られている可能性。この握り飯を受け取って食べて即死、という未来も、考えられなくは無い。それにねねが敵地にまで乗り組んでくるところを、秀吉は把握しているのだろうか。
「何を企んでいる。秀吉の指令か」
「馬鹿ね。あの人とこれとは、関係ないわよ」
 ねねの表情はくるくると変わる。先程までにこにこと微笑んでいた筈が、今は般若になっている。秀吉の事を引き合いに出したのは間違いだった。
「折角小太郎のために作ってきたっていうのに、指令とか何とか言うんじゃありません。作った人に失礼でしょう? …とにかく食べなさい」
 強引に握り飯を眼前に押し付けられる。梅、の方。きれいな俵型を仕方なし受け取り、一口含んだ。どうとでもなれ。いずれにしろ、多少の毒ではびくともしない体だ。
 本当は分かっている。ねねが毒を盛るなどという卑怯な真似をする女ではないという事を。真っ直ぐで、人を陥れるたり騙したりする事の出来ない女だ。小太郎には、ねねと幾許か過ごした日々により、それを分かっている。それでなお疑うのは、言ってみれば小太郎の中の通過儀礼のようなものだった。
「…どう? 美味しい?」
 不安げに、ねねは小首を傾げて小太郎に問い掛けた。気付けば、随分と顔の距離が近い。握り飯より、この女の方が近いと言ってもいい。取って食らう事も出来るものの、気が進まず小太郎はその近さに気付かない振りをした。ねねはおそらくは、気付いていないのであろう。世にも無自覚なお節介焼きなのだから。
 それにしても、ねねの握り飯の味はよく分からなかった。
「我には味覚が欠如している故…、旨いか不味いかなどという事は分からぬ」
 本当の事だった。空腹は満たされさえすれば良く。忍者生活の長い小太郎にとっては、旨いか不味いかよりも食べられるかそうでないかさえ判断出来れば、食物の役目はそれで終わる。
「ふ…下らぬな」
 その生活の長さ故、また毒を盛られた事数回に渡る経験故、小太郎はとうの昔に味覚を失っているのであった。二口、三口と口の中に放り込むが、握り飯は食感しか感じ取る事は出来ない。
「何よぉ、折角作って来たのに」
 と、何が気に入らなかったのか、また機嫌を損ねかけるねね。
「今度は、何だ」
「味覚が無いとか、下らないとか、そんなにはどうでもいいの。美味しい? って訊いてるんだから、ちゃんと質問に答えなさい!」
 ねね自身は人の話を全く聞けず、聞かれた事にも答えないところがあるくせに、人にはそうである事を求めるのだ。滑稽と言うしかない。しかも彼女の求める答えは、ねねの理論で行けば「旨い」しか有り得ない。
 ねねの眉間に皺が寄る。それを何とはなしに眺めながら、小太郎は不思議な面持ちでいた。
(変わった女だ)
 無いものは無いのに、それをどうにかしろ、と言い募るねね。無茶な注文。それが嫌だとは思わない自分の心情にも懐疑の念を抱く。むしろ、どこか心地良かった。秀吉子飼いの部下達が、みな一様にねねに心酔している理由はここにあるのではないかと、ふと小太郎は思い至った。彼女のお節介は敵までにも届くらしい。
 そう言われれば、人間らしさを欠いた小太郎にも、常人と同じような味覚が戻ってくるような気がした。塩、の味などするわけがないのに、握り飯に含まれた塩の味が、一瞬ではあるが確かに小太郎には認められた。
 今もにこにこして小太郎からの返事を待つこの女と。共にあれば、或いは失くした人間らしさを取り戻せるやもしれぬ。そんな事も思う。所詮は儚い夢想であるけれど。
 言葉を合わせるわけでもなく、機嫌を取る事を考えたわけでもなく、小太郎は本心からの気持ちでその言葉を口にした。
「…旨い」
 一言告げた途端、ぱっとねねの顔が華やいだ。こんなに、簡単な事だったのか。無表情のまま、小太郎はその事実を認めた。ねねを喜ばせるのは、これ程簡単な事だったのだ。
「小太郎、嬉しいよ」
 花が咲いたような、と形容されるような。小太郎にはますますねねの事が分からなくなる。
 しかし、それで良いのだろう。意味も理解出来ぬまま、小太郎はいつだってねねを無言のまま迎え入れる。追い出す事はけしてしない。ねねにしても、小太郎が彼女の事を受け入れてくれているという事には永遠に気付かぬまま、ここへ通い続けるのだろう。
 子供をあやす時のような、優しい微笑のままで。
 ねねにしてみれば、小太郎などは大きな子供のひとりに過ぎないのだから。
 …しかし、それも、悪くは無い。
 褒められた事に機嫌を良くしたのか、ねねはにっこりして小太郎に告げた。
「これ食べて、明日もお仕事、ガンバってね」
「…ガンバってね、か…」

 気持ちの良い秋の日差しの下で。
 どこか良い気分で小太郎は二つ目の握り飯を手に取るのだった。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
大好きです小太郎×ねね。マイナー街道の終着点です。
忠勝の外伝に感謝感謝です。

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