花の香


「おねね様、なぜあのような男にまで心を砕かれるのです」
 突然ねねの部屋に入ってきたのは、秀吉の部下の石田三成だった。きれいな顔して言う事は素直じゃないわきついわで彼には敵も多い。ねねにしてみれば、三成というのは単なる素直になれない損な子である。どんな事を彼が言ったとしても「仕方ない子だね」で済ませてしまう自信がねねにはある。今日も挨拶も無しに突然入ってきた彼に対しても、ねねがしたのは「こら」と小さく叱る事だけだった。
「女の人の部屋に入る前はちゃんと挨拶するものよ? あたしだから良かったようなものの、これがお濃様やお市様ならどうなってたか!」
「おねね様、今日は問答をしに参ったわけではないのです」
 これ以上叱られるのを不服としているのは分かる。ねねとしても叱りたくて叱っているわけではない。彼女は居住まいを正すと三成に尋ねた。
「じゃあ、一体どうしたのよ」
「あの男へのおねね様の態度を、いかがと思い苦言を呈しに参りました」
「あの男って…誰の事?」
 思い当たる所と言えば正則だろうか。以前から正則と三成の仲は悪い。水と油のように二人の相性は悪く、正則は事ある毎に三成への不満を零す。その度にそれとなく嗜めはするものの、嫌いな人間を好きになるのはあの子には難しかろう。ねねはそう思っている。
 が、三成の口から出たのは意外な人物だった。
「風魔小太郎です」
「小太郎?」
 首を傾げる。確かに小太郎とは敵同士ではあるにも関わらずそれなりの付き合いのある男だ。三成はそんな男は信用ならないと言いたいに違いない。けれどねねには確信がある。小太郎はねねの信頼を裏切るような子ではない。多少彼の考える事は読み取りにくいけれど、読めないというわけではない。ただそれが他に伝わりにくいだけだ。だから小太郎は周囲によく誤解を与えるけれど、本当は心根の優しい子なのだ。
「小太郎はそんな子じゃないわよ」
「そう思っているのはおねね様だけです」
「あたしだけかもしれない…それならなおさら言わなくちゃ。小太郎は三成が思っているようなひどい事はしないわ。あたしが保障する」
「一体どうしてそんなに肩入れするのです」
 三成は次第に詰問口調になる。
「どうしてって言われても…小太郎はいい子だもの。いい子が言ったりしたりする事が、間違ってるわけないでしょう?」
「あなたという人は…」
 呆れた人だ。声には出さなかったけれど、三成はそう言いたかったのだろう。いくら何でも、主君の妻に対しては言葉に出せない文句だから、沈黙する事で伝えたのだ。
「ああ、分かった!」
 突然高い声を出したねねに、三成はぎょっとして尋ねた。
「いきなり何です」
「三成ってば嫉妬してるのね?」
「…はい?」
「お母さんを取られたみたいな気持ちになって妬いてるのね? 仕方ない子ね! あたしはみんなのお母さんなんだから、自分ひとりのものにならないからって我儘言わないの。分かった?」
「俺は…妬いてなんか…ッ」
 一気にかっとなる三成に、「はいはい、ごめんなさい。あたしが悪かったわ」と彼の肩をとんとんと叩いて宥めるねね。彼がそんな事を微塵も思ってはいない事に、勿論ねねは気付かない。ねねとしては真剣なのだ。真剣で、はた迷惑な勘違い。
「三成も小太郎も、あたしの大事な子よ。これじゃだめかしら」
「…」
 三成の機嫌をすっかり損ねてしまったようで、彼はねねから視線を逸らしてむっつりしたまま黙り込んでいる。
 もう、こっちを見なさい、と叱ろうとしたその時、とん、と背後で音がした。ふわり、と通り過ぎるような風の気配。
「?」
 振り向けば。
 そこには、先程までには無かった一輪の花があった。二人して一瞬きょとんしてその花を見つめた。三成は直前までへそを曲げていた事も忘れ、その花に見入っている。
「…さっきも、この花、ここにあったかしら?」
「いえ」
「…これは…」
 花。いや、空気に残る、微かな残り香。他の者ならいざ知らず、忍者の端くれのねねには分かる。どうやら「彼」が来ていたようだ。ねねが三成と話し込んでいるのに気付いて立ち去ったらしい。花ひとつだけを残して。なかなか粋な事をする。
「あたしへの贈り物なんだわ、きっと」
「一瞬の風…まさか、これは」
「そうだね、小太郎だね」
 来てくれたのなら挨拶くらいしていけばいいのに、それもしない。自発的にここに来てくれるなんて、珍しい。いつもはねねから誘ってもちっとも来てくれないのに。三成がいたから姿を現すのを嫌がったのかもしれない。
 そこで傍と気付く。思うのは、まさか、という事だ。

「まさか、小太郎ってば、あたしと三成がいつまでもお喋りしてるものだから妬いたのかしら…」

 だから花を残した。二人の会話を途切れさせるために。姿を直接現すのが嫌な以上、取れる手段は多くない。花を贈ってねねへの点を稼ぐ事まで考慮に入っているのだろうか。まさか、とは思うものの、その可能性を否定したくない自分がいた。
「おねね様…いくら何でも、その発想は有り得ないかと」
「有り得なくないわよ! きっと、そうなのよ」
「あなたには付き合い切れません」
「でも、絶対そうなんだから」
 ふわり、と漂う花の香に、ねねは嬉しげに目を閉じた。

「もう、ほんとに仕方ない子なんだから」


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
三成もねねの子供。小太郎もねねの子供。
ねねの周りは手のかかる子供ばっかりで大変です。(萌)

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