何処までも


「お濃様って、信長様の事、地獄までもお供したいくらい好きって伺ったんですけど…」
「そうよ?」

 昼下がりの屋敷にて。
 ねねは濃姫とお茶を飲みながら談笑していた。談笑と言うには、聊か殺伐とした単語が混じってはいたけれど。
 ねねはこの濃姫という人物が、少し苦手だった。なんといっても夫の主人の妻に当たる人物だ。下手な事をして怒らせては、秀吉の首が飛ぶ事に等しい。気を遣いながら、その上さらに気を遣わせている事を相手に感付かれてはならない。ねねにとっては気苦労の耐えない相手である。
 それに、濃姫は考えている事がいまいち読めない所もある。さすが信長の妻、さらりと「地獄まで付いていく」などと発言してみせる。信長が地獄に落ちるだろう事も予測済み、それだけならまだしも、それを分かっていて付いていくというのだから、そこらの武将よりもずっと剛毅だ。
「それがどうかしたの」
「いやあ…あたしはそこまではいけないなあ…、って思いまして。あたしもうちの人のためなら何でもするつもりではいますけど、さすがに地獄まで付いて行こうとは思いませんし」
「地獄は嫌かしら」
 濃姫はくすりと笑みを漏らす。それは女のねねでさえもしばしうっとりさせる程の極上の美しさであったが、それは同時に笑みを傾けられた者の破滅を意味している。正に蝮の娘だ。
「そりゃあ…嫌ですよ。閻魔様に舌抜かれるだとか、石を積み上げていっては横から石を崩される、なんて言うじゃないですか」
「あら、それこそ面白そうじゃない。生ぬるい世界になんて興味は無いわ。私は私が楽しめる世界に行きたいのよ」
「信長様にならそれが出来ると?」
「そうよ」
「はあ…」
 生返事しか返せない。彼女の理論からすれば、信長が作り上げる世界は地獄絵図そのものであるといっていい。そんな世界の一端をまかされるかもしれない秀吉。このまま信長に仕官していていいものか、ふとそんな考えが浮かんでねねは首を振り振り、その考えを打ち消した。
「でも、あたしはやっぱり普通に三途の川を渡りたいです」
「何を言ってるの。あなたは地獄に落ちるのよ」
「…はい?」
 急に濃姫に掛けられた言葉に、意味が分からないと呻くねね。濃姫はその艶やかな笑顔を消さないまま、しかしとんでもない事を口にした。
「あなたは地獄に落ちるのよ、って言ったのよ」
「なっ、何でですか!」
 地獄に落ちるような事を、自分がしただろうか。…否定はしきれない。戦国の世にあって極楽へ行ける人物の方が少なかろう。しなくても済んだ筈の殺生を、この手にて行った記憶だってある。けれどそれを濃姫に断定されるいわれは無い。それなら彼女こそ地獄に落ちるだろう人物だった。
「ああ、言い方が悪かったかしら。そうじゃないのよ。あなた自身は極楽浄土へ渡れるかもしれない。でも、あの乱波がそうはさせないわ」
「乱波…もしかして、小太郎の事ですか」
 なぜここに小太郎の名が出てくるのか意味は不明だが、ここは彼女の言葉を促す事にした。
「そう。あの人物こそ地獄に落ちる。そしてその時に、きっとあなたをも引き摺り込むわ」
「何で…どうしてです。小太郎は地獄になって行きませんし、例え行ったとしてもあたしを連れて行く理由なんか無いじゃないですか」
 濃姫はここで、思い切り不快そうな表情をした。隠しさえしない。その美しい眉が歪むのを見て、ねねは何か言ってはならない事を言ってしまったのだとさあっと顔面から血の気が引いていった。
「あ、あの、あたし、何かまずい事を申し上げちゃったでしょうか」
「…」
 濃姫は相変わらずむっつりしている。
「あ、あの、」
「もういいわ。まさか気付いてないなんて」
「え? あの、」
「あの乱波も、多分自分では分かってないんでしょうね。馬鹿馬鹿しい事だわ。どうやらつまらない事を言ってしまったみたいね」
「あの…?」
「せいぜいその日に後悔する事ね。最もあなたの事でしょうから、秀吉が地獄に落ちなかったとしてもあの乱波が地獄に落ちたら真っ先にそこへ向かうでしょうけど」

 おろおろするねねを尻目に、濃姫は立ち上がるとすたすたと部屋を出て行ってしまった。どうやらそれほど機嫌を損ねたわけではないようだが、それでもあとから謝罪をした方がいいようだ。
「…でも、何でお濃様、ご機嫌を悪くなさったんだろう…?」
 小太郎がねねを地獄に引き摺り込むだとか。そんな事、有り得ない。
「地獄に…」
 ふと思う。小太郎が地獄に落ちたら、自分はどうするだろう? やはり母として、助けに行くだろうか。
「…そうだよね」
 母だから。母は子を助ける義務がある。自分は地獄に自ら進んで落ちるだろう。
「お濃様の仰ってた事、こういう事…なのかな?」

 何処までも、きっと小太郎が消えたのなら探しに行く。その理由は、未だねねの心のうちには無い。多分、理由なんて存在しないのだ。ただ小太郎を、目の端でいつも確認していたいから。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
ねねの小太郎無自覚溺愛っぷりに呆れる人たちシリーズ第一弾濃姫篇。
小太郎が地獄に落ちるその時、彼自身理由も分からずにねねをひきずりこむだろうと思います。

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