乱世はここに終わりを告げる |
風魔小太郎が捕縛された、という内容の話を聞いて、ねねは飛び上がりそうな程驚いた。 「――嘘でしょう」 「いえ、それが」 この頃ねねは自らを「高台院」と称し、家康から便宜を図ってもらい身の安全を保障された立場にいた。秀吉はとうに亡くなって久しいどころか、既に関ヶ原の戦いが終わって3年の月日が流れていた。 慶長8年の事である。 そしてその家康がねねの元にやってきて最初に言ったのが、例の小太郎が捕縛された、という話だった。 「盗賊になり下がったという話は耳に入っておりましたが」 「おねね様に報告するかどうか、随分悩みましたが。けれど、おねね様は小太郎とは特別に仲良くされていたとか。なればこそ、と思い参上した次第です」 「…」 関ヶ原の戦い以後、天下は統一され、いつだか小太郎が言っていたように諜報を行う忍びはその意味を持たなくなり、あちらこちらで解体が始まっていた。そこでも尚風魔忍者は時勢に逆らうように天下にあり続けていた。それでしていた事というのが盗賊だというのだから仕方が無い。小太郎としても、他に取れる道が無かったのだろう、悪事に走るより他に彼の取れる手段が無かったのだ。あれで不器用な所のある彼が、今更忍者以外の仕事に就けるとも思えない。だから悪事を働いても許される、という論理にはけしてならないが、少なくとも多少の考慮の必要があるだろう。 関ヶ原の戦い以後、全く小太郎とは連絡が付かない状態になっていたから心配はしていたのだ。自由に動けない立場であるねねは孝蔵主に頼み、小太郎がいるという噂の江戸の町を探ってもらっていた。なかなか必要が情報が届かずにやきもきしていた頃に届いた情報が家康からの「捕縛」だったのだ。 「…どうにか助けてはもらえませんか、家康殿」 手を合わせて懇願する。ねねに出来る事といえば、こんな些細な事しか無い。既に実権が家康に完全に移っている今、出来るのは「命令」ではなく「懇願」であり、その効力の薄さといったら無かった。 心もとない自分の立場を恨むのも、これほどまではあるまい。家康を拝みながらねねはそう考えている。 「正直なところ、難しいでしょうな」 「そこを何とか。どうにかしていただけないでしょうか。お願いします」 「止めて下され。頭を下げるなど、あなたらしくも無い」 心臓の辺りが、きゅっと傷む。小太郎の事が心配だった。家康が首を縦に振らない以上、小太郎に待ち受けるのは死のみだった。どんな手段を使ってもいい、けれど彼の命だけは救わなければ。 生きて。願うのはそれだけだ。 「おねね様こそ、一度考えてみていただけますか」 「何をです」 「平和になった世の中を、です。あなたの願い通り、小太郎を助けたとしましょう。それは小太郎にとって本当に助けになるのかどうか? 平和な世界では忍びが生きられぬ事をご存じないあなたではない筈」 「…」 「あの者は死を求めているのではないか。わしはそう思う日が時々あります。忍びともあろう者が、あのように派手な目立つ行動を取るのは一重に殺されたいからだと」 「もうおやめ下さい、家康殿」 彼が言うのは、いちいちもっともなのだ。そしてそれが全面的に正しい事にも、ねねは気が付いている。小太郎が死を求めているのはまず間違いない。でなければ盗賊などという道を彼が選ぶ筈が無い。秩序の中では生きられぬ、そんな彼の言葉がよぎった。 …それでも生きて欲しい、なんて、ねねの一方的な我儘なのだ。 「いずれにせよ、処刑の日取りまでにはまだ余裕があります。もし処刑される前に小太郎に会いたいと仰るならばそのように取り計らいましょう」 「…、考えておきます」 「それでは、わしはそろそろお暇しますかな」 ねねの発言になど、まるで気に留めていない。既に処刑される事は決まっているのだ。ねねは項垂れたまま、家康が立ち去るのを肌で感じていた。ぎしりぎしり、と彼の足音が遠ざかるのを聞きながら、ねねはあるひとつの覚悟を決めていた。 * 「こんな地下牢に小太郎は囚われているんですか?」 「地上であれば脱出するのも容易いのですよ、おねね様」 数日後、ねねは側近の孝蔵主と共に江戸にいた。その更に横には家康の姿もある。風魔小太郎の処刑まであと数日に迫った今日、ねねは家康に頼み小太郎との最後の面会のためにここを訪れていた。 江戸を大きく騒がした悪党の首領という事で、他の下っ端とは異なる別の空間に彼は閉じ込められていると家康からは話を聞いた。事前に孝蔵主に頼んで入手した地下牢の見取り図を、もう一度頭の中で思い描く。冷え冷えとした空気が一行を包んでいた。 延々と続く地下牢。その殆どは空室である。それらを横目で眺めながら、ねね達はついに地下牢の一番奥までやってきた。 「小太郎…、」 牢に手を掛け、彼の名を呼んだ。ゆらり、と影のようなものが動いて、人間の存在を感じさせた。小太郎に何かを話し掛ける前にねねは家康に告げた。 「申し訳ありませんが、家康殿。…」 「分かっておりますよ。積もる話もありましょう」 家康は底の見えない笑い顔でねねの願いを承諾した。席を外して欲しいと頼んだのだ。どうあっても彼がいてもらっては、ねねが作り上げた策が崩れてしまうから。家康の気配が完全に無くなった頃、ねねはもう一度、しかし今度はもっと優しい声音で小太郎に話しかけた。 「小太郎、あたし、ねねだよ。…迎えに来たの、一緒に京に行こう?」 「京、だと…?」 ぞくり、と懐かしい声に瞬間時が止まるのが分かった。何年も聞いていなかったのに、まるっきり変わっていない。徐々にこちらに近づいてい来るその姿に、目頭が熱くなった。小太郎だ。小太郎がそこにいる。体のあちこちに血が滲んで若干怪我は目立ったものの、それでも命に別状は無さそうで、ねねは一気に安心してその場にへなへなと崩れ落ちた。 「もう、関ヶ原が終わってからっていうものあたしに連絡も寄越さないで盗賊なんかになっちゃって…ばか! どれだけ心配したと思ってるの! 帰ったらお説教だからね!」 「何を言っているのか…分からぬ」 「一緒に帰ろうよ、小太郎。そのために今日は迎えに来たの。家康殿はナントカ、とか色々言ってたけどそんなの知らない。あたしも小太郎と一緒に江戸を脱出するよ、そのために今日はこの服の下に久しぶりに忍装束を着込んできたんだから」 ねねがよいしょよいしょと普段の服を脱いでいる間に、孝蔵主が手際よく小太郎の牢の鍵を開けた。小太郎は相変わらずわけが分からないように首を捻っている。珍しい仕草だった。 「我はここを出ぬ。このまま処刑されるも天命だろう」 「ばかっ! 何が天命よ! あたしが、小太郎に生きてて欲しいって思ってるのが分からないの?!」 ぺちり、と軽く彼の頬を叩く。痛くは無い筈だが、小太郎はその頬を片手で押さえる。その手を取ると、ねねは強く主張した。 「小太郎、生きなさい」 母として、自分に出来る事を考えた。 小太郎を連れて京まで行く。そのためにここまでやってきたのだ。 家康がなぜ素直に席を外してくれたのか、その理由を知っている。彼はねねが何をしようとしているのか、それをきっと知っている。小太郎を逃がそうとしている事、それを分かっていて黙認してくれているのだ。…けれど、いくら天下人と言えど悪人をみすみす逃したとあっては威信に関わる。もし逃亡などしたら、警邏を増やして本気で小太郎を追跡してくるのは明白だった。それでも家康は分かっている筈だった。逃げおおせる、という事を。 ねねがいなければ天下も取れなかった。家康にとってこれは、ささやかな礼でもあるのだ。ねねは関ヶ原の戦いにおいて何人もの武将に東軍に味方するように伝えた。今の家康がいるのも、ねねの働きかけに寄るものが大きいのだ。 「あたしと一緒にいれば、少なくとも命は保証される。でも忍びとしては生きられない。この暮らしが小太郎にとってはけして救いにはならないって事も分かってる。でもお前を説得しに来たの。あたしと一緒に来て欲しいから」 見上げ続けるのは、首が痛くなる。いかに小太郎の身長が高いか、思い知らされる。 小太郎はため息と共に言葉を吐き出した。 「うぬは、馬鹿だ」 「お馬鹿なのはどっちよ。困ったら、いつだってあたしに連絡寄越して良かったのに」 「我といれば、家康公には借りが出来るな」 「借りがあるのは家康殿の方よ。今回のこれは、それを返してもらっただけ」 「…なぜ、我を望む?」 ねねが用意していた言葉は、もう何年も前から気付いていた事だった。 「小太郎の事が大好きだからに決まってるじゃない」 何だかほっとけないから。何だか不憫だから。突き詰めると、それはどうやら大好きらしいという事で。 だから、傍にいて欲しい。彼が忍びとしての地位を失っても。 滅多に感情を表に出さない小太郎が、動揺しているように見えた。ぐらり、と彼の瞳が揺らいでいる。 「…ねね」 彼の答えは、もうねねの耳に届いていた。 * 家康からの追っ手は厳しいものであったが、そこは小太郎とねねの阿吽の呼吸で切り抜けた。何年も前線に立って戦う事をしていなかったねねではあったが、小太郎との戦闘を繰り返す事で昔の勘を取り戻していったのだ。隣にいた小太郎も、傷だらけの身であるという事が信じられない程俊敏に動いていた。ねねの手前、下手な動きは出来ないと思ったのかもしれなかった。 そうして今、小太郎とねねは京にいる。無事に逃げおおせたのだ。家康から放たれた忍びにより、お互いに連絡を取り小太郎もねねも無事である事を伝えられた。 これでようやく、一息つけたのだ。小太郎もねねも両者ともぼろぼろではあったものの、なぜか屋敷につけた時に安心して二人で笑い出してしまった。ねねは軽やかな笑い声で、小太郎はいつものような密やかな笑みで、それぞれ。 ひとしきり笑い合うと、急に黙りこくって二人は沈んでいく夕日を見つめていた。 「…着けたんだね、あたしたち」 「どうやら、そのようだな」 「家康殿は上手く誤魔化せたのかな…」 「信じるしかあるまい」 「うん、そうだよね。…小太郎はきっと表向きは処刑されたって事で片付けられるんだと思う。…これで風魔忍者も終わりなんだね」 「…乱世も終わる、か。これからどのような世になっていくだろうな…」 「いい世の中になるといいなって思うよ。心機一転、小太郎がまた新しく生活出来るような、そんな世の中に。さあ、行こっか。孝蔵主がきっと中で待ってる。ご飯にしようよ。あったかいご飯、全然食べてないんでしょ、あたしがおにぎり作ってあげる」 「要らぬ。普通の飯でいい」 「何よーっ! 折角あたしが作ってあげるって言ってるのに。あっ、ちょっと待ちなさいよ!」 ひとりですたすたと行ってしまった小太郎を、慌てて追いかけようとするねね。ぱたぱたと軽い足音で追いかけようとするも、その音にかぶさって彼の言葉が聞こえてきた。 「…」 「なーに? 聞こえない!」 「…やはり、いい」 「あっ、またそういう可愛くない事言う! おしおきよ、こら!」 乱世が終わるのも、そう悪くないかもしれないな。 小太郎がそっと呟いた言葉が、本当の意味でねねの耳に届くまでにはまだあと数年を要する見込みだった。 おしまい |
■あとがき |
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