環 |
ターブルロンドの女王フィーリアは死んだ。 王の試練が終わってから50年、65歳で彼女は死んだ。この世界の、この時代の平均年齢としてはよく生きた方である。と、ウィーギンティはベッドの上で冷たくなっているフィーリアの体を見下ろしながら計算した。既にエクレールもヴィンフリートもこの世にはいない。ウィーギンティには感知出来ないがきっとシジェルの園にてフィーリアは二人に再会し、幸せに暮らす事だろう。既にフィーリアはこの手からは離れていってしまったのだ。 「フィーリア」 呼び掛ける。が、答えは無い。…答えが無いのなど、当たり前だ。死んでいるのだから、答えなどくれる筈が無い。それでも呼び掛ける事を止められなかった。 「フィーリア、あなたは、幸せでしたか?」 死ぬ直前まで彼女は幸せでいられただろうか。幸せの定義は「協会」の司教たるウィーギンティには難しい。それでも人の子がそれを愛しているのは知っている。幸せが大好きなのだという事も知っている。幸せの概念の無いウィーギンティには俯く事しか出来ない。それでも、今この自分がおかれている状態がどうやら幸せでない事は分かる。フィーリアの微笑みが、この先見られない世界など、何処に価値があるのだろう。… ふと、ウィーギンティは先程から自分が時間を止めている事に気が付いた。 「…これは」 知らぬうち、世界がセピア色になっている。フィーリアの眠る顔はそのままに、無音の世界になっていた。これからフィーリア無しにこの世界に生きていく事を本能が拒絶しているらしい。こんな事は初めてで、ウィーギンティは戸惑うしか無かった。自分の中に築かれていた本能などというもの。これでは全く協会関係者らしくない。これでは正に、そう、人間のようだ。 「あなたが私を、人の子のようにしてくれたようです。…あなたの所為で、いつか予告したように本当に前にも後ろにも進めなくなってしまいました」 責めているわけではない。人の子を理解するためにも、フィーリアの傍にいたのは間違いではなかった。これはその副産物というだけの事だ。自分の中にある混乱に戸惑い、ウィーギンティはこの迷いをそのまま口にした。 「私は…過去に戻ろうとしている…?」 司教なれば、時間と空間を移動する事など容易い。そしてそれは今まで何度もしてきた事に過ぎない。けれど、そうして、一体何になると言うのか。 いつしか時間の静止を自分はやめており、そこには在りし日のフィーリアの私室であった。躊躇いがちに自分に声を掛ける少女が、ウィーギンティの前にいた。 「…一体どうしたの? …急に口篭ったりして」 「ここは?」 思わず場違いな言葉を投げかける。少女は一瞬きょとんとしたものの、すぐに素直な返答をした。 「何を仰ってるの、司教殿? 明日は剣の誓約の日…今夜で王の試練も終わり、だからあなたをお呼びしたのに」 「…。そう…そうでしたね」 「変な司教殿ね」 そこにいたのは、まだあどけなさを残す15歳のフィーリア。自覚しないうちに過去に戻っていたのには自分でも驚きを隠せないが、それより今はまた振り出しに戻って来れたという喜びの方が大きかった。生きているフィーリアとまた一緒にいられる喜びに、ウィーギンティは心が浮き立つのを覚えた。自分らしくなく、浮ついている。 この気持ちは一体何であるのか。それを教えてくれたのは、フィーリアだ。協会の事しか知らなかったウィーギンティに、こちらの世界の物事を本質的な意味で教えてくれたのが彼女なのだ。…魂などという曖昧模糊とした概念より、こちらの方がウィーギンティには理解しやすい。彼女が死んだあとも彼女の魂が自分の傍にあると思えたら良かった。シジェルの園の概念すら理解出来ない自分には、そのような事が出来る筈も無かった。 「恋」。ふとそんな単語が浮かんだ。自分はフィーリアに恋をしている。今も尚。 これから彼女がどんな未来を歩むのか、それを知っている。 この行為がどういった意味を示すのか、それを知っている。やるべき事を為さず過去に戻り、このようにうつつを抜かしていたのでは簡単に言って「協会」への反逆に等しい。それでも躊躇無く、ウィーギンティは言葉を吐き出した。 「お呼びを…心待ちにしておりました。今日は良き日となりそうです」 それでももう、未来に――フィーリアが死亡したあとの未来に戻る気は無かった。 何回でも、何回でも、このちからを使って過去に戻る。将来またフィーリアは寿命で死ぬだろう。そうすればまた過去に戻ってやり直せばいいのだ。幸いにして、彼女が受けるべき受難も知っている。2度目なのだから、今度はもっと上手くやれるだろう。上手く立ち回って、彼女が受ける苦しみや痛みを減らしてやりたい。 彼女を幸せに。そして少しでも笑顔を。 それが見たいから、自分はきっと何度でもこの過去を、この環をやり直すだろう。 おしまい |
■あとがき |
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