転倒幸運 |
「姫様〜。司教様が中庭でお待ちですよー!」 ある昼下がり。フィーリアが執政官ヴィンフリートとともに執務室で執務に励んでいるとばたばたとエクレールが駆けて来た。はぁはぁと息を切らしながら執務室に入ってきた彼女に対して、ヴィンフリートは瞬時に冷たい視線と言葉を投げつける。 「君、陛下は今執務中なのが見て分からないのか。くれぐれも邪魔はするなと以前にも言った筈だが」 「だってぇぇ。姫様が『司教殿がいらしたらすぐに呼ぶように』って前に言ってたんですもの」 エクレールが似てないフィーリアの声真似(仕草付き)をするのを横目でちらりと見ながらフィーリアは笑顔で立ち上がった。ばさりと音を立てて書類を片付けるのを、咳払いでヴィンフリートは制した。 「…陛下、今は執務中だと、申し上げた筈ですが」 「この陰険眼鏡! 恋人が来てるってのに行かないわけにもいかないでしょうが!」 「ヴィンフリート、私、行ってもいいわよね…?」 フィーリアは上目遣いでヴィンフリートを見つめた。ほぼ幼馴染といっても差し支えないこの男性が、この手の方法に弱い事をフィーリアは熟知しているのだ。案の定うぐ、と声を漏らしてヴィンフリートは言葉に詰まる。もう一押し、とフィーリアは畳み掛ける。 「もう何日もウィーギンティに会っていないのよ。お願い、彼に合わせて。あなたが仕事と恋とを両立できなければ司教殿とは付き合えないっていうから、執務だってこうしてこなしているじゃない。言われた事以上の仕事はしてるつもりだわ…」 目を伏せて。切々と訴えかける。今にももらい泣きしそうなエクレールとは裏腹に、冷静な執政官ヴィンフリートはその鉄仮面ぶりを崩そうとはしない。 が、ヴィンフリートはふぅ、と息を吐くと眼鏡の弦に指を掛け、「仕方ないですね」と漏らした。 「ほ、本当なの? ヴィンフリート」 「確かに私は仕事と、それからこ…恋とを、」 なぜか咳払いをしてその単語を有耶無耶にするヴィンフリート。 「両立出来なければ司教殿には会わせられないと申し上げました。しかし殿下は非常によくやっている。私はそう思います。ですから、」 「ありがとうヴィンフリート! 大好きよ!」 フィーリアはみなまで聞かず、ぎゅうとヴィンフリートに飛び付くと彼の背中に腕を回した。何が起こったのか分からず、硬直する彼に気付いた様子も無くフィーリアは一瞬で離れていく。 「じゃあ早速行って来るわね!」 朗らかな調子でぶんぶんと手を振りながら中庭へ掛けていくフィーリア。すっかり眼鏡のずれ落ちているヴィンフリートに、エクレールはニヤニヤしながら声を掛けた。 「姫様も罪な方ですわね」 「ああ、全くだ。…と、な、何を言っているのか分からんな」 「…これで姫様にまるっきり気の無い振りが出来ているっていうんだから、笑わせるもんですわ…」 * 「ウィーギンティ…!」 いつものように不思議な存在感のままで彼は中庭にいた。仮面の奥の視線はすっと空を見ている。呼びかければ、くるりと白い仮面をこちらに向けた。 まだ、彼との間には距離がある。フィーリアはぱたぱたと掛けながら、しつこい程にウィーギンティに呼び掛けた。その度に律儀に「はい」と返事する彼は相変わらず少し神秘的で、まるで目が離せないのだった。 そして、フィーリアは。ウィーギンティのすぐ前で止まるつもりが、足元の小石に盛大につまづいた。 「きゃっ…」 「フィーリア、」 勢いを付けすぎて彼の体の目の前で倒れこむ。差し出された腕に甘えるように、思い切り。とん、とウィーギンティの体に抱き着く恰好になった。 「…!」 今現在の自分の状況を確認して、ひたすらフィーリアは赤面した。司教である彼の立場もあり、そうそう滅多に近づけない分、こうした直接的な接触はむしろ珍しい方だった。服越しに感じる、熱のようなもの。協会の司教たるウィーギンティが熱など――人の子らのような熱を持っている筈も無い。彼自身の性格と似て低温な彼自身を、それでもフィーリアは温かいと感じた。 もう少しだけ触れ合っていたい。それがいけないのは分かっている。接吻でさえ禁忌と呼ばれる程の協会の厳しい掟がそこにはある。フィーリアが近付きすぎる事で彼の立場をまずいものにしたくはなかった。けれど、この気持ちもやはり抑えられそうに無かった。 もう少し、もう少しだけ。 「もう少しだけ、こうしていていい?」 「構いません。それにそれは私の望みでもあります、フィーリア」 僅かに優しさを――それは多分、フィーリアにしか感じられない程のごく僅かな――含んだウィーギンティの声音に、ほっとすると同時に言い知れぬ高揚感を覚えて、フィーリアは目を閉じた。 知らぬうちにフィーリアの腰に回された手が、優しくて。 フィーリアは微笑むと、彼の腕の中へともう一度ぎゅうと戻っていくのだった。 「きー! 羨ましいですわあのひとり仮面舞踏会! 姫様を独り占めなさるなんて! それに姫様に対してどうしてもっと気の利いた事が言えないのか…これだから殿方は」 「…それより先に言うべきことがあるだろう。全く、こんな公衆の面前であのように破廉恥な…」 「うう…でも、あんなふうに顔を真っ赤にしながらにこにこしてる姫様、とっても幸せそうですわ…それに、やっぱりとってもかわいらしい」 「…うむ、最後のそれについては私も反論する余地は無い」 こっそりフィーリアの後ろをついてきていた二人も、ばっちりはっきり二人の逢瀬を見届けているのだった。 おしまい |
■あとがき |
→ごちゃまぜ部屋へ |
→home |