15.オルゴール


「わあ、可愛い」
 天使の広場は、アンジェリークにとっては大好きなデート場所のひとつだ。こぢんまりとはしているが活気があり、ここで暮らす人々の息吹を感じられるというところが、お気に入りの理由だった。加えて、デートの相手が大好きなアリオスであるなら尚更。
 今日の天使の広場では、何かの催しをしているらしく、たくさんの出店が並んでいる。
「何見てんだ」
 出店を覗き込むアンジェリークにつられるように、隣のアリオスがひょいとアンジェリークの肩に顎を載せるようにして覗き込む。そのまま、誘導するようにアンジェリークは指を指した。
「…オルゴール?」
 指したのは、蔦のような金の飾りのついた精巧なオルゴール。白を基調とした小さな箱で、蓋を閉じた状態で陳列されていた。見る限り、何か些細な――ピアスのような他愛も無いものを入れる収納としての機能も持ち合わせているようだ。
「うん、そう。可愛いよね」
「子供っぽいな、こんなものが好きなのか」
 自分が可愛いと思ったものをけなされて、ついでに趣味まで疑われて、アンジェリークはついかちんとなる。いつもこうなのだ。アリオスといる時にはいつも正直で素直でいたいのに、アリオスの売り言葉でかっかしてしまう。売り言葉に買い言葉、でアンジェリークの言葉遣いは荒っぽくなる。
「子供っぽくて悪かったわね。いいじゃない可愛いんだから」
 そして再び、視線をオルゴールへと戻す。部屋のインテリアとして置いてもいいかもしれない。そこまで考えて、アンジェリークはぽつりと呟いた。
「…買っちゃおうかな」
「やめとけ。お前の部屋にそれ以上雑貨増やしてどうするんだ」
「失礼ねえ、私の部屋を見た事無いくせに」
「見た事は無いが、大体予想は出来るつもりだ。…どうせぬいぐるみだとか飾るだけのつまらない雑貨で埋め尽くされてるんだろ」
「…むう」
 全く図星であったため(雑貨がつまらないという彼の感覚には大いに憤慨するところであるが)、アンジェリークはそれには返事をせず、むくれて頬を膨らませたままそのオルゴールを手に取り、蓋を開けた。優しい、ちりんとした音色が耳に届いてくる。何の曲かは分からないが、アンジェリークの好みの旋律だった。目を閉じて聴けば、その独特の世界に吸い込まれそうになる。
「きれいな音だわ」
「…」
「ねえ、アリオス、そう思わない?」
 アリオスの同意を得ようと、アンジェリークは目を開けてアリオスと視線を合わせようとした。が、本来彼がいるべき位置に彼がいない。
 アリオスは頭を抑えてその場にしゃがみ込んでいた。
「アリオス?!」
 アンジェリークは蒼白になって彼に触れた。苦痛に顔を歪め、眉間に皺を寄せるアリオス。今はただじっと痛みが過ぎるのを堪えているようだった。
「アリオス、しっかり、しっかりして…!」
 本当は叫んでしまいたかった。本当は泣いて人を呼びたかった。けれどここで人を呼ばれて困るのはアリオスも自分も同じ。だから、出来る限り声を潜めて、アリオスの肩に触れる。そこからじわりじわりと女王のサクリアを気付かれないように送り込んだ。
「…何だ…そいつを見てたら、急に…」
 音が。それが原因らしいと気付いてアンジェリークは慌てて蓋を閉めた。
「ごめんなさい、オリオス。蓋ならもう閉めたから、だから、しっかりして」
「いや…いいんだ」
「もう、立てる?」
「ああ」
 ふらつくアリオスの背中をそっと支えて。アリオスはゆっくりと立ち上がった。ぼんやりと、焦点の合わぬ目でアンジェリークを見つめようとするのを、彼女はしっかりと受け止めた。
 記憶の無い彼は、時々こうして発作を起こす。この彼の頭痛はけして珍しい事ではなかった。何かがきっかけで過去を掘り起こしかけ、その度に具合を悪くしている。その「何か」がアンジェリークにも分かるものであるならば――例えばアリオスがアンジェリークと敵対していた頃を思い起こさせるものは一切アリオスには近づけないようにアンジェリークは細心の注意を払っているが、その「何か」はいつでも、アンジェリークが予期しない「何か」であるのだ。
「…二人で、オルゴールを…」
 アリオスから何気無く発せされた呟きに、アンジェリークはひゅっと息を呑んだ。
 二人で。アリオスと誰かで。

 それは、誰。

 問い掛ける自信は無かった。自分が想像するあの人の事を今アリオスが思い出しかけているのだとしたら、あまりにもやりきれない。アリオスの影に潜む、エリスの影。その名を思い出すのも煩わしく思え、アンジェリークはかぶりを振ってアリオスに優しく語り掛けた。
「まだ、頭、痛い?」
「…、オルゴールを、二人で…」
「…え…」
 聞きたくは無かった。自分でない誰かの事を懐かしそうに語るアリオスの姿は、見たくなかった。アンジェリークが若干不快に感じているのにはまるで気付かない様子で、アリオスは何処か遠い所を見つめながら、言葉を選びながら呪文を唱えるような静かな口調で、告げた。
「いつかこんなふうに。雪降る街で。今日みたいな…出店で。オルゴールを、見なかったか。…お前と」

 お前と。

 その言葉が聞こえた途端、アンジェリークが感じたのは安堵だった。あの人じゃなかった、自分だった、という僅かな優越感。そしてその直後に襲ったのは自己嫌悪。アリオスが思い出さなくて良かった、なんて最低だ。アリオスは記憶を持たなかったばかりに今このようにして苦しみ、曖昧模糊とした記憶に苛立ちを覚えているのだというのに。アリオスの本当の幸せを思うのなら、彼の記憶が少しでも早く戻るように祈りを捧げるべきだった。
 …出来はしない、けれど。
 アンジェリークはアリオスの腕を取ると、きゅっと抱き着いた。慣れた体温に、安心を覚えて息を吐き出す。大丈夫。「彼女」の事があってもなくても、きっとアリオスは自分の傍にいてくれる。
「ねえ、アリオス…。アリオスは不安になったりしない? 記憶の無い不確かな自分、なんて私だったら耐えられない。…アリオスは強いのね」
「強いわけじゃない。過去が欲しくないと言ったら嘘になる、だがな」
 くしゃり、とアリオスは空いた方の手でアンジェリークの髪を撫ぜた。
「これからお前とつくる思い出があればいい」
「うん、…そうだね」
 アリオスは、いつでも強がりだ。恋人であるアンジェリークに対してであっても、時折今のように強がりを言う。けれど、今はその強がりを信じたいと強くアンジェリークは思った。
 そんなアリオスを包み込める存在でありたい。そんなアリオスの傍にいたいと、強く願った。
「で、このオルゴールでいいんだったな?」
「え?」
「何が『え?』だよ。買ってほしいんだろ?」
「わ…う、うん!」

 あの時買ったオルゴールの事を、きっと思い出す事は無いだろうけど。それならもう一度、繰り返せばいいだけ。過去は無くなっても、新しい記憶がきっとアリオスを癒してくれるから。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
「rain grass」のせつこさんとの合作アリコレでございます。
話の大筋をせつこさんが、実際の執筆を私が担当しました。
せつこさん好みにコレットを若干暗めの思考回路にさせてみましたv(←そこは「v」なのか?/笑)
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