17.月のない夜


 ルヴァが守護聖を辞めてから半年が経った。
 今彼は故郷の砂漠の惑星で考古学者として生計を立てている。勿論聖地からの援助があったからこそ為せる技だ。一介の人間がいきなり学者として生きているわけがない。しかし、だからこそかえって地域住民に元・守護聖がやってくるという事で随分と騒がせてしまった。期待と恐れをもって歓迎してみれば、そこに現れたのはとっぽい男性。とても守護聖だとは思えなかっただろう。一般人が守護聖として思い描くのは、一般的にはジュリアスのような人間である事をルヴァは痛いくらい知っている。自分が子供の頃にも通った道だ。住民たちは最初こそ想像と現実の格差に戸惑い、「こんな人が」と大いにがっかりしたらしいが、ルヴァのやたら人間臭いのんびり屋なところと、頭の回転の早さを知ると、あっという間にルヴァは人気者になった。
 まだ守護聖を降りてから半年しか経っていない所為もあるが、ルヴァの容貌は守護聖であった頃とあまり変わりない。整っている顔立ちにも関わらず、格好にまるで頓着しないのがかえって功を奏したらしく、他所からの評判は「守護聖だったのにえらそうじゃない」という具合だった。
 ジュリアスとクラヴィスという特別に扱いにくい二人に囲まれていた時期が長かった所為か、ルヴァは何処に行っても「人付き合いの出来る優しい男性」と大評判だった。人付き合いはけして上手い方であるとは言えないのに、それでも周囲からはそう見えるようになったのかと、環境の違いにルヴァは戸惑ったものだった。
 こうして、なおも抱く女王への強い思慕の念はそのままに、今は学者として生きている。思慕、という言葉は相応しくないかもしれない。女王と彼との関係は密だった。簡単に言えば、二人は恋人同士だった。「だった」という時制が、正に事実を顕著に述べている。ルヴァの守護聖交代とともに、彼らの関係は崩壊した。どちらが言い出したわけでもない。二人ともが、これ以上は続けられないのをよく理解していたからこそ、どちらも何も言い出さなかった。
 否。言い出せなかった。それに対する恐れがあった。言い出してしまえば、別れを惜しむあまり罪だと分かっていてもルヴァは女王を攫って何処へなりとも出奔したかもしれない。そんな根性の無いルヴァは、ただ溜め息を繰り返す事で守護聖交代の日を迎えた。

 一般人として生きるといっても、学者という職業を選んだ以上守護聖とやってる事にはあまり変わりは無い。何れにしろ書類を捲ったり資料に目を通す事で1日が過ぎていく職種である。今日も今日とてルヴァは夜遅くまで書斎に篭っていた。書いてしまいたい論文があったのだが、それが今ちょうど終わったところだった。ルヴァは書き上げたと同時にペンを転がし、「うーん」と伸びをした。近頃運動不足でいけない。前だとゼフェル辺りによく叱られて已む無し簡単な運動をしていたものだが、最近ではそれも無い。この半年間でつくづく自分の自己管理能力の無さを思い知るばかりだ。
 首をこきこきと鳴らしているとふとカレンダーが目に留まって、ルヴァは小さく「あ」と声を上げた。
 7月12日の欄。赤く大きな花丸が描かれている。
 明日はルヴァの誕生日ではないか。
「これで私は一体何歳になるんでしょうねー?」
 いつもの独り言をぼやいて、苦笑した。見た目こそこうであるが、実際は長老と言われてもおかしくない年齢である筈なのだ。正しい年齢は数えた事が無いから分からないけれど。
 かちこちと時を刻む時計に目を走らせれば、時刻はちょうど12時を指すところだった。かちり、と一瞬針が止まり、それで12時きっかりを指した事が分かった。「明日」ではなく「今日」はルヴァの誕生日だ。
 …思い出すのは、去年の暮れの事だ。ルヴァに新しいカレンダーをくれたその人は、ルヴァの誕生日と、その人自身の誕生日と、それ以外の人間の誕生日とを書き込んでいた。自分達以外の人間の誕生日を控えめにではあるが記入しておくのも彼女らしいと思ったが、ルヴァの誕生日を他の誰の誕生日より一番大きく書き記したのが特徴的だ。自身の誕生日を忘れがちなルヴァのために敢えてした事だと、これが自分の愛情だと、彼女は言っていたけれど。
 ルヴァは徐にカレンダーを手に取ると、瞬きをせずに見入っていた。赤く大きく描かれた花丸。それをにこにこしながら描いた人。あの人。彼女自身の誕生日は描かれていないわけでもなかったが、一番控えめな表現に留まっているのが尚更愛嬌を感じる。
 …カレンダーに誕生日を書き込んでいた時点では、半年後にルヴァが聖地を降りる事になるなど予想も付いていなかったのだ。彼女もきっと半年後にはルヴァを祝うつもりでいたのだろうし、ルヴァだって祝われるつもりだった。それが。こんな記号だけ残して、ルヴァは強制的にひとりになった。
 女々しいとは思うけれど、それでも思い出に身を浸す事を止められなかった。言ってほしかった。他の誰でもない、あの人におめでとうと言ってもらいたかった。今日というこの日を祝ってほしかった。今日も、これからも。
 声が聞こえたのは、その時だった。

「お誕生日おめでとう、ルヴァ」

 紛れも無い、ルヴァの心に今も住むあの人の声。ルヴァの心の一番大きな位置を占めているあの人の声。鈴を鳴らすような可憐なあの人の声。胸がずきずき痛むのを覚えて、ルヴァは勿体を付けて振り返った。
 どく、どく、どく、と心臓ははちきれんばかりにうるさくがなりたてる。そうして窓に視線をずらして、ルヴァはああと声を上げた。

 …ああ、幻聴だ。

 窓の外にあったのは輝く星だけだった。
 やはりそうだった。あの人がここにいるわけはないのに、もしかしたらと自分を奮い立たせていた。砂漠に現れる蜃気楼で、人々が「あの向こうにオアシスがある」と勘違いするのに似ている。はっきり「違う」と分かっていても、それでも幻想に縋らなければ生きられない程追い詰められている人の気持ちが、ルヴァには痛い程よく分かった。
 分かっていた筈なのに、それでも自分が失望していくのは止められなかった。幻聴。自分が聞いたものは過去に聞いた思い出だ。また聞ければいいと、そう望んでいたから自動的に脳内で再生されたに過ぎない。
「…っ…」
 戻りたい。戻れない。せめぎ合う気持ちに、ルヴァは押しつぶされそうになる。
 平気になったと思った。もう自分は大丈夫だと思えるようになった。けれど、ふと瞬間にあの人の声や仕草を思い出す。街に出て雑貨が目の端に止まれば、あの人はこんな色や形が好きだったとその度に思い出に浸って。
 回想に頻繁に現れるのはあの人の曇りの無い笑顔。思い出す側にとっては、痛みしか齎さない。笑顔が可愛いと思っていた。女王なのに、その眩しさは穢れない少女のもの。その優しい笑顔を守って、出来れば永久に一番近くでそれが見たいと思った。
 「永久」という言葉は半年前で終わったのだ。

「…何を、しているんでしょうねえ、私は…」
 ぽつり、開け放した窓に向かってルヴァは声を掛けた。無論誰もいない事を、知っている。それでも今度こそあの天使が現れそうな気がして、声を出さずにはいられなかった。
「…あなたに。…祝ってもらいたかったですよ、…私は」
 泣きたいくらいの気持ちで、けれどけして涙は出せずに。
 ルヴァはターバンを抑えると、その場に蹲るのだった。
「これは、…あなたのものです。開け放した気持ちは全部、あなたのものです。…もう一生、他の誰にも…ターバンは、取りません…」

 窓から見えたのは、輝く星々。
 月のない夜では、夜空に輝く星は一際よく見えた。

 あの人がいないのなら。
 星が見えても、それが美しくても、もうどうしようもない。それがきれいだねと気持ちを共有出来ないのなら。あの人がいないのなら目なんて見えなくてもいい。その美しさなど、理解出来なくていい。自分の誕生日だってそう。あの人に祝ってもらえないのなら、一体自分の誕生日なんてものは何のためにあるのか。
 誕生日すら要らない。あの人がいないのなら。

 殆ど絶望に近い思いで、ゆっくりとルヴァは空を見上げた。
 それでも、月のない夜の星たちは美しかった。

 
おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
「2007年ルヴァ様誕生日企画」に差し上げたものです。ほんのり加筆修正しております。
ひとりだけ暗い路線で頑張りました。いや、あの、甘い創作はきっと他の方がなさるだろうからと。
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