19.ただひとつだけの真実


「……アリオス、こんにちは」

 木曜日、昼。
 太陽が高く昇って一番暖かい時間。
 約束の地にて。アンジェリークはアリオスの元にいた。

「お前か」
「うん。来ちゃった」

 彼は記憶を持たない。
 彼の元へ通うようになって随分経つが、今時点で彼が思い出せたのは自分の名前と、自分の身の回りのごく少ない情報のみであった。
 例えば、そう、……彼の誕生日であるとか。

「今日、アリオスの誕生日、なんでしょ」
「ああ。お前には、いつか言ったかもな」
「プレゼント、持って来たよ」
「ああ?」
「はい」

 言って、小さな包みを差し出した。
 青い紙に包まれたそれをそうっと受け取って、アリオスはぐしゃぐしゃと開けた。

「……オカリナ?」
「そう。吹いてみて。いい音、するから」

 彼とはあまりに似合わない、それ。
 それの持つ素朴なイメージとは、似ても似つかない。
 アリオスの鋭い視線をまともに受ける。

「何でだ。俺にオカリナ……ヘンだろ。イメージ違いすぎる、とか考えなかったのか?」
「ちょっとぉ。先に言う事があるでしょ」
「……。ああ、まぁ……ありがとな」

 アリオスは分からないのだろうか。
 記憶を失うまでは、オカリナの音色が好きだった事を。
 どこでその記憶さえ失ったのだろう。
 好きなものが分からなくなるとは、一体どんな気持ちがするものなのだろう。

「前にも1回あげたのに。あれどこで失くしたの?」
「……俺、これもらうの初めてだった気がするけどな。違ったか?」

 覚えては、いないのだ。

「ううん。私の気のせいだったみたい」

 あの常夏の街で。オカリナを手渡した事。
 あの雪の街で。一緒に雪を眺めた事。
 あの紅葉の街で。手紙を届けた事。
 何一つ、彼の記憶の中には。
 そしてそんな具体的な思い出ではなく、もっと大事なアンジェリークの心さえ。
 彼は持たないのだ。
 アンジェリークがアリオスを愛していた、アリオスもまたアンジェリークを愛していた、そのたった一つの真実でさえ。
 でも、と思う。
 悲しくないと言ったら嘘になるけれど。

「アリオス、大事にしてね」
「受け取ったんだから、一応大事にしてやるよ」
「ありがとう」

 私達はここからやり直せる。と思った。
 アリオスがオカリナを受け取った瞬間に、それが見えた。
 私の事が分からなくても。
 きっと、前に好きだったものならば、もう一度彼は好きになるだろう。
 そうやって今は信じるだけ。
 彼が自分を忘れても、自分は愛し続けるだろうというただ一つだけの真実を。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
アリオス誕生日記念創作でした。
誕生日なのに暗いのは私のいつものやり口です。
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