2.花束


 夜。
 アンジェリークはまんじりともせずに自室にて夜空を眺めていた。
 部屋の電気は既に消してしまって、真っ暗だったけれど星の光だけでも十分にものを見る事が出来た。
 飛空都市でこの星空を見るのも、これが今日で最後だろう。そう思うと寝られなかった。
 流れ星が空を通り過ぎてゆく。願い事ならたくさんあったけれど、それは既に過去のもの。
 今更祈ったところで願いは叶わない、とアンジェリークはため息をついた。

 明日の朝、女王は決まる。
 大陸に辿り着く最後の力を、ジュリアスが送った。アンジェリークの事を次代の女王だと決め付け、日夜積極的に力を頼まれもしないのに勝手に送り続けていた彼の努力は明日報われるのだ。
 その結果明朝アンジェリーク・リモージュは第256代女王になる。
 数日前から自分に宿っている何がしかの力を感じ続けている。
 これがきっと女王の力なのであり、宇宙意志たる神鳥の力なのだ。
 その時からアンジェリークは「自分が女王になるのか」とぼんやりとではあるが感じていた。
 その神鳥の力により、エリューシオンに送られたサクリアにも敏感に感じる事が出来た。
 眩く輝く光を瞼の裏に焼付け、自然とそれがジュリアスのものであると感じられたのだ。
 神鳥は既に自分を認めてくれている。そんな気がしていた。自分は未だに女王になる決意も無いしそんな未来も見えないけれど。

 こうなったからには、なるしかない。諦めにも似た決意。
 きっと自分は女王補佐官になると思っていたのに、全く予想していたのと変わってしまった。
 こうなったらからには女王になり、その責任を負い続けるしかない。
 ロザリアは補佐官として自分の傍にいてくれるだろうという思いもある。彼女がいるなら自分が女王になるのも怖くない。

 しかし。
 アンジェリークは今のままでは自分が女王にはなれない事をもまた感じていた。
「ルヴァ様…」
 降るような星空の元、思うのはひとりだけだ。
 地の守護聖ルヴァ。あの人を想う自分を、これからどうしていったら良いのだろうか。
 この気持ちを隠したまま、女王になれるものなのか分からなかった。この気持ちを押し遣る事も、失くす事も出来そうに無かった。
 女王は、世界を、宇宙全体を愛するものなのだとスモルニィ女学院では教わった。
 誰か一個人だけを贔屓して愛してはいけないのだ。例えそれが秘めた感情でも。
 それは宇宙に対する裏切りである。そう習った。
 その時は、そうか、と受け取っただけだったが。
 自分が女王候補として飛空都市に来てようやくその本来の意味を汲み取れたような気がする。
 エリューシオンのみんなを愛している。それは本当だ。しかしその愛と、ルヴァを愛するのは別個なのだ。
 歴代の女王は伝え聞く通り区別無く全てを愛し慈しんだのだろう。自分はそうはなれない。
 言うなればエリューシオンは友達のような愛で、ルヴァを愛しているのはただのアンジェリーク・リモージュ…つまりただのひとりの女として彼を好きでいるのだった。比べようが無い。
「ルヴァ様、」
 さよならなんて言えなかった。この想いに別れを告げる事など、不可能だ。

 その時。
 ふいにベルが鳴った。星が出ているこんな時間にどうして誰かが尋ねてくるのだろう。
 どきり、とした。
 ジュリアスの育成が完了して、自分が女王になるのが決定的になったからディアが報告にやってきたのだろうか。ありうる可能性だった。明日朝にすぐ拝命式が行われるのであれば、今すぐにでもその準備が始まると考えて良かった。
 服におかしいところがないか、咄嗟に確認しつつおそるおそる扉を開けた。そこには。
「…こんばんは、アンジェリーク」
「?!」
 そこにいたのはディア、ではなく、柔和ながらどこか影を落とした笑顔を浮かべる、ルヴァその人だった。
 ディアでなかった事に安心しつつ、アンジェリークは玄関のランプを点けた。安心はしたものの、なぜ彼がこんな夜半に、と困惑もした。良識のある彼らしくない。どうしてこんな時間に、と静かに問うた。
「聞いたのですよ、ディアから」
「私が女王になるのが、決まったんですね」
「そういう事です。少し早いですが」
 言うが早いか、ルヴァは手に隠し持っていたそれをアンジェリークに差し出した。その赤さに、目が眩みそうになる。
「花…?」
「私が一番にお祝いしたかったのです。だからディアから話を聞いて、飛んできました」
 様々な種類の花を詰め込んだ、それは花束だった。その過剰な匂い。
 これから女王になるのだと、意識を改めてそちらに持って来させられた気分だった。
 彼もまた、自分が女王になる事を望んでいる。それなら他にどう出来る。彼の思う通り女王になったらいい。彼と結ばれる未来は永遠に訪れなくなるが、せめて彼と共にならばいられる。これ以上何を望むのか。ただのアンジェリークには、過ぎた願いだ。
「あ…ありがとうございます」
 無理して口角を上げ、笑顔を作ってみせる。そうしないとなぜだか泣いてしまいそうだった。花束を持つ手が、震えているのを感づかれてはならない。
「私、立派な女王になってみせます」
 一瞬、彼が浮かべた曇った表情が気にかかった。
 気付かれただろうか、とアンジェリークは内心不安になる。あ、と思う頃にはまたすぐに彼は笑顔に戻り、こう告げた。
「ええ。…どうか、良い女王、…」
 彼は不自然なところで言葉を切ると、今までにアンジェリークには見せた事のないような、切なげな顔でアンジェリークをじっと見つめるのだった。言葉は、一片も無い。つらそうに眉を歪ませる彼。何が彼をそうさせるのか、分からなくてアンジェリークは沈黙を破れなかった。
 お互い言葉が出ぬまま、立ち尽くす。
 その直後にルヴァから漏れた一言は、アンジェリークを驚かせるのに十分だった。

「どうか、ならないで」

「え?」
「どうか、女王には。ならないで下さい」
 何を、と呟いた。彼は突然何を言い出すのか。ならないと宣言してみたところで、女王陛下のお言葉には逆らえない。
 今更どうしようもない、ルヴァからの嘆願。
 ルヴァはそっとアンジェリークの肩を触った。抱き締められる、と一瞬びくついたが、本当に彼はただ触っただけだった。
 制服越しに彼の手の温かさを感じた。温い、体温。彼と手を繋いだ事すら、未だ無いのに。
「あなたを愛しているんです」
「ルヴァ様…」
「このまま、あなたを女王にはさせられません」
「私は…、」
「答えを。聞かせて下さい。あなたが真っ当な女王になるつもりなら、どうぞこの私の惰弱な告白を切り裂いて。…でももし。あなたが禁断を犯すつもりなら、私の手を取ってほしいのです」
 アンジェリークはすぐには答えられなくて、俯いた。
 禁断を犯す。女王でありながら、その一方でルヴァを愛する事が出来ないかと彼は言っているのだ。
 女王としての仕事に従事する一方で、ただのアンジェリークとして一個人を愛する事が出来るのかどうか。分からなかった。
 その言葉とは打って変わって、今度は弱気な調子でルヴァは続ける。
「すみません…私は、一体何を言っているのでしょうねー…。あなたの女王就任をお祝いするためにここに来たのだと言うのに、どうしてか本音が…。忘れて、下さい」
 そうして、彼はその場で方向転換する。帰ってしまう。肩から離れた掌を、まだ失いたくなくてアンジェリークは彼の服の袖を引っ張った。
「ルヴァ様! …お願い、行かないで」
「アンジェリーク?」
 くい、と袖を引っ張る。自分から告白したというのに、振り返ったルヴァはまるで信じられないという顔をしていた。今、言わなきゃとアンジェリークは決意した。あるいは、女王になるという決意よりも先にその事を考えていたのだ。
 このまま彼を帰せなかった。それだけは、よく分かっていた。例え自分が罪人になろうとも、今この瞬間を逃したらきっと一生後悔する。未来の事など、何も分からない。女王になったからといって、それが感じ取れるようになるわけではない。罪人でも構わない。謗られても、自分はこの人の想いに応えたい。
「私も…っ、私もルヴァ様の事が、好きなんです」
 花束に埋もれる声。
 神鳥の歴史において、初めて禁忌を犯す者たちはその場で固まっていた。
「アンジェリーク…?」
 ルヴァの、どこかぼう、とした瞳。ぽかんとした顔つきは、無防備そのものだった。
「本当ですか?」
「本当です。…ルヴァ様、自分から告白したのに、どうしてそんなに自信無さそうな顔してるんですか」
「まさかアンジェリークから『はい』なんて返事をもらえるとは思ってなくて…」
 真っ赤になって慌てふためくルヴァに、アンジェリークはふ、と微笑を洩らした。

 今夜までの自分達の関係は、女王候補と守護聖。そして明日から自分達の関係は女王と守護聖になる。
 けれど今夜の二人は、ただのアンジェリークとルヴァでしかないのだ。

「私といる未来は、きっとつらいものになりますよ」
「それでも、いいんです。ずっと、ルヴァ様のお傍にいさせて下さい。…この未来がどこに向かっても。例えば幸せに、なれなくても。私はルヴァ様の、隣がいいんです」
 再び、肩の辺りに戻る掌。じんわりとした熱に、浮かされるようだった。先程より少し熱い。見えないけれど、はっきりと感じる予感。二人は今夜、禁忌を犯すだろう。アンジェリークは、ルヴァのものとなるだろう。神鳥の宇宙にとっては、女王は穢されるに等しい。
 望むところだった。
「ルヴァ様、…好き…、」
 少しだけ、顔を上げる。アンジェリークが動く前に、彼は既に行動に入っていた。一瞬だけ、微妙にタイミングの合わない口付け。それでも、ルヴァは十分に幸福そうに見えた。
「あなたを、愛しています…」

 アンジェリークの手元から、花束が滑り落ちた。
 花束は緩やかに地上に落ち、かさりと音を立てる。

 それが、彼等の合図だった。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
はいあとはみなさんの想像におまかせフルコース!(笑)
この後のドロドロな展開を考えるに、ニヤニヤ笑いが止まりません。(最悪)
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