30.ティータイム |
大した事では無いと思っていた。 リュミエールと想い合う仲でありながらオスカーとひとときの時間を過ごした事、それを。オスカーとは友人として、また同じ第256代女王を気遣う者同士として、二人きりで出会い交流する事はお互いに利があるのだ。そこに甘ったるい感情は存在せず、またそういった感情が生まれる事も無い。せいぜいあるとしたら、根本的なところで女心を理解出来ないオスカーのための助言者の役目だ。あれで彼に想う人がいるなど、笑い話にしかならない。 「今日は楽しかったぜ、お嬢ちゃん」 「こちらこそ。また機会がありましたら是非」 オスカーとのひととき。森の湖で、束の間穏やかな時間を過ごしたその帰り道。日は既に落ち、人工的な明かりがぽつぽつと帰り道を照らしていた。途中までオスカーに送ってもらったところでロザリアは優雅に別れを告げた。家の前まで送らせないのはある種の礼儀でもある。オスカーとは何も無いまっさらな関係であっても、だからこそ踏み越えてはいけない一線がある。 それにロザリアの恋人のリュミエールの事もある。彼はああ見えて案外に嫉妬深い。それがオスカー相手なら尚更。ならばオスカーとは関わりを絶った方がいいかもしれないが、オスカーとのやりとりの中では得るものが大いにあるのだった。 部屋へと急ぎつつ、歩いていたロザリアのその背中にふいに声が掛けられた。 「ロザリア」 夜に似合う、その静かな語り口。それは。 「――…あ、リュミエール様…」 今彼に会いたくはなかった。余所行きの服にいつもはしないアクセサリー。明らかに誰かと会っていた帰りである、自分。それがアンジェリーク相手でないのは、自分自身の今の第一声によって既に気付かれている。 「外に出ていたのですね」 「…ええ、…まあ…」 沈黙。リュミエールはけして視線をロザリアから逸らさない。口元の微笑を崩さないまま。待っているのだ。ロザリアから何かを言ってもらうのを。その言葉とは。分かっている。それは謝罪だ。だが、口はからからに渇いてしまって開きさえしなかった。それに一体何を言えというのか。何もやましい事をしていないのに謝ってしまえばそれこそ自分に非がある事を認めるようなものだし、それはロザリアには出来ない相談だった。 「…今週は…駄目でしたから。…来週こそ、リュミエール様と同じ時間を共有したい…もの、ですわ…」 動揺している口調を隠せない。 「そうですね」 「あの…ですから…、」 「ええ?」 ゆるりと話の続きを促す。それに乗せられるように、ロザリアは言葉を紡いだ。 「…だから…」 ロザリアの小さな手を取ると、リュミエールは手を重ねた。 「わたくしは、…あなたが言わんとする事を、理解しているつもりですよ」 「…リュミエール様」 「…いいのですよ、ロザリア」 いいのですよ。 その言葉に、全てが詰まっている。 許された。その事実にほっとした弾みに、ロザリアは脱力してリュミエールに寄りかかる。温かく抱きしめる腕を感じて、ロザリアは安心しきって目を閉じた。 ――そして、それから1週間が経った。 今ロザリアはリュミエールの私邸へと招かれていた。彼の言う事には、たまには二人きりで、静かに穏やかに語り合いたいのだという。何をするというのでもなく、静かに過ごしたいのだと言ってくるのは正しく彼らしい。ロザリアは一も二もなく承諾し、そして今はテーブルの前に向かい合って座っている。 他愛の無い会話。それは心底ロザリアの心を落ち着けるものであった。そして色々と揉め事を起こしたとしても、やはりこの人と共にいたいと望むのだった。 「今日はあなたのために、特別な葉を用意したのですよ」 「まあ、そうですの? 手に入れるのは難しかったのではなくて?」 「ええ…少しばかり。でも、どうしても一度試してみたい品種だったものですから、無理を言って分けてもらいました」 「それは、先方に感謝しないといけませんわね」 「ええ、とても」 話題は紅茶の葉になっていた。 既に机の上には熱湯を入れたポットと、その珍しいとかいう茶葉と、白い花柄の陶器のカップとソーサーが並べられている。話を続けながら、リュミエールは慣れた手つきで茶葉をスプーンで掬ってはもうひとつの空のポットに入れていく。 「特別な葉というのは、一体どのような?」 「味わえば、すぐに分かりますよ」 「楽しみですわ」 「ええ、わたくしもとても楽しみです。ロザリアの口に合うとよいのですが」 話しながらもリュミエールは淀みない手つきでカップに紅茶を注いでいく。こぽこぽと 音を立てながらロザリアとリュミエールのカップに注がれる。良い色の紅茶だ。注ぎ終わると、リュミエールは手を差し出して、完成した旨を告げた。 「どうぞ」 「ありがとうございます…。まあ、変わった匂いが致しますのね。…あ、悪い意味で申し上げたのじゃございませんのよ」 「勿論、分かっていますよ。だから言ったでしょう、特別な葉、だと。さあ、是非一口」 「ええ」 ソーサーごと手に取ると、ロザリアはゆっくりとカップを持ち上げた。くん、と改めて匂いを嗅ぐ。 …正直言って、あまり好ましい匂いではない。悪臭という程ではないが、不安感を煽るような匂いに、ついロザリアの眉間に皺が寄る。――胃が発作的に飲む事を拒否するような。――喉がまだ口内に何も無いうちから全てを押し戻そうとするような。「悪い意味で申し上げたのじゃございませんが」、本当は明らかに悪い意味だった。だがリュミエールはまるで意に介した様子も無く、ぼんやりとロザリアの方を見つめている。 ――否、一瞬の隙さえ捉えてみせるとばかりに、その目はロザリアのカップだけを見つめていた。ぼんやりしているのは見せかけだけ、本当はその目は爛々と「その時」を待ち構えている。「その時」。 カップを口元に近づけている以上、今にもその目とぶつかってしまいそうで。息すら出来ない程の緊張に見舞われたロザリアは、思わず紅茶に口を付ける前にカップをソーサーへと戻してしまった。 ソーサーを手にしたまま、ロザリアは動けずにいた。カチカチと、震えでカップとソーサーがかち合っては冷たい音が鳴る。顔面から血の気が引いていく。それはまるでじわじわと首を絞められていくように。 「いかがいたしました? わたくしの紅茶は、飲めませんか?」 ロザリアの前にいる美しいこの人は、妙なる笑みを浮かべている。 優雅に。微笑みと癒しと。それら全てを含ませた彼の笑み。 気が付いてしまった。 この紅茶には毒が混じっている。 オスカーと先日森の湖に出掛けた。彼はそれを許しはしなかったのだ。 にこやかに微笑んだまま。ロザリアの行動に対して昨晩彼は「いいですよ」と言った。許すとは言わなかった。 これは罰なのだ。淑女として、リュミエールの隣にいる事を望んだ者が犯してはならない失態を演じた事への、罰なのだ。 ロザリア・デ・カタルヘナにはこの澄んだ水色の紅茶を飲み干す以外の選択肢は無い。 「…ご、ごめん、なさい、」 今更だとは思いつつも、謝罪という命乞いをしてみせた。こうなってはなりふりなど構ってはいられない。 リュミエールはその優美な微笑みを絶やさないままで、しかしきょとんとして小首を傾げてみせた。 「何の事です?」 目の前が、真っ暗になった。 彼はロザリアをけして許すつもりは無いのだ。それがはっきり分かって、ロザリアは観念するよう俯いた。自分は死ぬより他に選択肢が無いのか。いや、おそらく計算高いリュミエールの事だ、紅茶を飲んでどれだけ苦しんだとしてもけして死なない配分にしてあるに違いない。… そうしてロザリアの心に刻み付け、体に分からせる。リュミエールを騙し、リュミエールを怒らせる者に何が起こるのか。 穏やかなティータイムは、まだ、終わる気配を見せない。 おしまい |
■あとがき ここまでお読みいただき有難うございました。 というわけでダークリュミロザでした。 リュミ様はとことん真っ白かとことん真っ黒か、どっちかがいい。 |
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