32.イミテーション


 光の守護聖・ジュリアスが守護聖を退任した。

 アンジェリークが女王になってから、しばらく経ってからの事。彼女が第256代女王として即位してから、最初に守護聖を降りたのが彼だった。元々在位期間の長い彼だったから、アンジェリークが女王になる前からいつ下ってもおかしくない状態ではあったのだ。何しろ彼は第255代女王が即位する時の女王試験にも関わっている。
 ジュリアスと恋仲であったアンジェリークは、ただ彼を見送る事しか出来なかった。もう少し具体的に言えば、どうやってその時を迎えたのかアンジェリークははっきりとは覚えていない。女王らしくあらねばならない。そんな事も考えていたような気がする。自分であって自分でない瞬間が過ぎていった。ジュリアスが消える時、自分が正気であったとは思わない。
 どうすれば、良かったのか。今でも時々考える。引きとめていれば。思い切り泣き叫べばよかったのか。行かないでと懇願すれば良かったのか。それでも未来は変わらない。それなら、と思い返す。わざわざジュリアスの中の女王像を破壊する事だって無い。
 最後の一瞬で、あの人がどういう顔をしていたのか思い出せない。



 休日。いつもなら、ジュリアスを誘って外に出るところであるけれど。
 彼はいない。突然の喪失に、アンジェリークは休日の過ごし方さえ失った。どうやって笑ったらいいのか。どうやって休んだらいいのか。引き離された思いは、何処へ。
 病人のような顔色で、それでも表面上は淡々と仕事をこなしているように見せていたつもりだったが、突如ロザリアに言い渡されたのは1週間の休暇だった。女王が倒れられたらそれこそ事だと彼女は判断したらしい。今の自分に一番あってはならないのは「何もしない時間」だと反論したけれど、ロザリアはもう聞く耳を持たなかった。
 する事もなく。
 ふらり、と病人のような歩き方のままアンジェリークが向かった先はジュリアスの執務室だった。未だに次期光の守護聖の説得に手間取っているらしく、ジュリアスの執務室は空のままだった。新しく守護聖が来てしまえば、ジュリアスの気配はたちどころに消えてしまうだろう。彼の思い出を辿るには、もうあと何日持つか知れない。光の守護聖の執務室は新たな風によって侵される。
 入り口に突っ立ったまま、窓から注がれる光をじっとアンジェリークは見詰めていた。この光は神聖。もうすぐそれも終わる。
 執務室の中の、空の机や椅子が。嫌でも認識させている、これが現実なのだと。目には映らないジュリアスの姿。そこにいても、何の違和感も無いのに、それでもここにはいない。今にも現れて、書類とにらめっこしていそうなのに。あの人が好きだった、整えられた空間。それならここにいてもおかしくはないのに。これだけ完璧に整えられた舞台なら。
 口の中に苦い味がした。
 胸の中に後悔を抱えたまま、今日もアンジェリークは生き続けている。その感情を後悔と呼ぶのかどうか、それも分からない。あの人を追って聖地を脱出したとしても、責任を重んじるジュリアスは喜ばないだろう。それは分かっているつもりだ。
 それなら、胸に在るこの闇は何だ。納得しているつもりでも、理解する事を脳が拒絶している。これ以上は、もう何も分かりたくない。
 限界を感じた。これ以上、ここにはいられない。一刻も早くこの空の執務室から出てゆきたい。どうしてこんな場所に来てしまったのか。アンジェリークはぱっと出口に体を向けてノブに触れた。
 声が聞こえたのは、その瞬間だった。

 ――陛下 もうお帰りなのですか

「い…」
 振り返ってはいけない振り返ってはいけない振り返っては。
 衝撃に、声を詰まらせた。絶叫する仮想。実際には声は殆ど出なかった。両手で耳を塞いで、その幻聴をやり過ごす。
 見てはいけない。後ろを振り返っては。幻聴である事を、認識してはいけない。
 「そこ」にいない事を再確認して、今度こそ絶望してしまう。空の机と椅子に背中を向けていても、そこに存在する彼の姿を痛いくらい想像出来るのに。
 窓から射す光に、金髪は緩やかに反射して。思い出す。いつもこうやって公務を抜け出て彼の元へ遊びに行くと、彼はとても困った顔をして…。首座の守護聖なのに女王を叱れない、その狭間にいるからこそ浮かぶ苦笑こそが、アンジェリークを受け入れている顔そのものなのだ。
 たくさんの出来事がアンジェリークの中を掠めた。思い出す、その行為自体がとても憎らしい。それこそが、ジュリアスが過去のものとなっている良い証拠なのだ。それでも、分かっていても止められない。そうして最後にようやく思い出す。最後に彼が浮かべていた表情を。
 それは厳しかった。今までに見せたどの表情よりも、厳格だった。
 それは言っていた。「ついてくるな」と。彼の苦悶の顔の意味。決して私についてきてはいけない。そう言っていた。
 こうしてアンジェリークはひとりになったのだ。
「もう、いや…」
 ぼろぼろとみっともなく涙が零れ落ちた。
「もう嫌ぁ…ッ!」
 何に嫌悪しているのか理解出来ないまま、リモージュはその場にしゃがみこみ、延々と涙を流し続けていた。

 虚像があればいい。この部屋にはそれさえ無い。あるのは空の机と椅子と現実。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
とても電波なジュリリモでした。
ジャンルは「シリアス」にしても良かったんですが、今回のアンジェはやや正気ではないので。
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