35.名前を呼ぶ声 |
白の中庭を目指し。 アンジェリークはアリオスの元へと駆けていた。 彼に関する、とても嫌な話を聞いたのだ。 レイチェルから聞かされた話に、いてもたってもいられずアンジェリークはここにやってきた。 <アリオスに惑星サイガに向かってもらう事になったよ。…ごめん、アンジェ。でもこの任務はやっぱり守護聖たちには出来ないんだよ。…> 走りながら、何度でもレイチェルのこの言葉が過ぎった。 その話を聞いた瞬間、さっ、と血の気が引いていくのが感じられた。ひやりと過ぎる予感に、震えた。 この前から惑星サイガに何かが起こっているというのは聞いていた。女王暗殺を企み「自由」の獲得を目指すとかいう一派がいると聞いていた。しかしたかが辺境惑星のひとつに過ぎないサイガの、しかも小さな組織ならば心配する事もあるまいと鷹を括っていたのだが。 先日起こった主星のテロ事件。死傷者が出なかったのが幸いだったが、その組織が起こした事件だと発覚した事より聖獣の宇宙の状態は一変する事になる。サイガに今もいる組織を滅ぼす方向に話が進んだ。要するに、組織を壊滅させ首領を暗殺する事。決定された任務はそれだった。 しかし、誰がそれをこなすのかというところで話が停滞した。まさか守護聖たちに頼むわけにもいかない。もしも彼らが任務に失敗し死ぬ事にでもなればそれこそ聖獣の宇宙の破滅だ。彼らを派遣する事だけは不可能だった。 ならば、と話がアリオスを派遣する方向へと向かった。アンジェリークはそれだけはならないと再三告げていたのだが、とうとう事態はアンジェリークにとって最悪な展開となってしまった。 守護聖を亡くせないと言うのなら、アリオスだって自分にとっては亡くせない。ようやく巡り合えたこの人を、もう一度失うわけにはいかなかった。また繰り返されたなら、今度こそ自分は正気を保てない。 ようやく白の中庭に辿り着き、息を整えた。探していた人は間違いなくそこにいた。 「…アリオス」 いつものようにベンチで。アリオスは危険な任務を任されたとは思えぬ冷静さでそこにいた。銀の髪が風に揺れている。 「聞いたのか。俺が行く事になったって」 「聞いたわ。みんな勝手な事ばかり言うのよ。守護聖ならダメだけど、アリオスならいいでしょうって。冗談じゃないわよ。私、あなたを行かせないから」 「俺が自分から志願したんだ。お前が奴らに反対する必要は無い」 「…今、なんて?」 たった今聞こえた事が、とても信じられなくてアンジェリークは自分の耳を疑った。 「俺が志願したんだ。俺を行かせてくれって」 「何で! 自分からそんな危険な任務に首突っ込む事なんか無いわ。どうせ小さな惑星で起こっている小さな諍いよ。私たちとは関係ないわ。私の命が狙われてるらしいけど、殺せっこない。だいたい、主星まで来れたとしてもどうやって聖地にまで侵入するっていうの? 不可能よ。あなたにも守護聖たちにも、平和は守られてる。行く事なんて無いのよ」 「…お前、少し落ち着け」 オッド・アイ。その目に見つめられる度、落ち着けなくなる自分を自覚する。そんな事、分かっている。けれど、好きな人が危険な任務に赴くと分かっていては冷静さなんて保てない。 「あなたを、聖地に連れてくるべきじゃなかったのかも」 何度も深呼吸した挙句、口から漏れたのはそんな後悔だった。もしあのまま、約束の地でだけ会おうと決めていたなら、あるいはこんな惨い未来は訪れなかったかもしれないのだ。 「あなたが世界で一番大事なんだもの。女王失格でもいい。失えないわ。…行かないでよ、アリオス、」 心からの懇願が、受け入れられた気はまるでしなかった。顔を逸らすアリオス。 「もう決めた事だ。…仕方ねぇだろ。俺はアルフォンシアには信頼されてない。俺がこれからもここに留まるには、危険な任務にばかり顔突っ込んであいつからの信頼を勝ち取るしか無いだろ」 「それは、そうなんだけど、」 女王はアンジェリーク・コレットである。その事実に相違は無い。しかし、結局アンジェリークが何に従っているかと問われればアルフォンシアである。この宇宙はアンジェリークを失えば新しい女王を立てるだけだが、アルフォンシアの死亡はそのまま聖獣の宇宙の終末を意味する。アルフォンシア無しにはこの世界は回らないのだ。 元敵であるアリオスを信用しないというのは、一方ではその気持ちをよく理解できる。しかし仮にもアンジェリークと恋仲である男性に対して不信感を抱くというのは、過去からくる不信というよりアルフォンシアのただの嫉妬にも思える。 「どうしても行くって言うのね」 仕方なし、ため息と共に諦めを示す。ばか、と詰ってみたところで、頑固なこの人は自分の決めた道を決して譲ったりはしないだろう。経験からくる諦め。 「まあな。帰って来たら祝杯でもあげてくれ。…そうだ、帰って来たらで思い出した」 「ん?」 「帰って来たら、話があるんだ」 その目はひどく真剣で、茶化して笑おうと思ったアンジェリークは動けなくなる。 祝杯、と言った時の軽い表情とは全く違う。滅多に見せない眼差しに射竦められたかのようだった。 「何? 今、言ってよ」 「俺が無事に帰るまで、そのまま楽しみに待ってな」 帰って来たら、なんて言い方は卑怯だった。眉を顰めるアンジェリークに気付いたのか、彼は立ち上がりぐしゃりとアンジェリークの髪を撫でた。アンジェリークの細い髪はあっという間に彼の手によってぐしゃぐしゃになる。 「あっ、もう、馬鹿! 何するのよ!」 「馬鹿はお前だろ。余計な事考えずに、じっとしてろ。すぐに戻ってくるから」 見抜かれている。いつだってそう。アンジェリークの心のうちを知りながら、いつもそうやって最後は茶化しておしまいにするのだ。 そうしたやり取りが最終的にアンジェリークの悩みや苦しみを救った事もある。けれど、今日ばかりはそれが救いになるとは思えなくて。 いつの間にか頬に添えられた手に、自分の手をそっと重ねていた。 「絶対、ちゃんと帰って来てね。そしたら、話してね。絶対よ」 怖いけれど。これからも彼と一緒にいるためには、アリオスが命を危険に晒す他は、方法が無い事もよく理解しているつもりだ。 結局自分に出来る事は、信じて待つ事しかない。その歯痒さが、つらかった。 「アリオスの言う通り、ちゃんとじっとしてるから」 口付けは、なぜだがひどく切なさを帯びていた。 * 約束は、1週間の筈だった。 白の中庭、普段ならアリオスがいるべきベンチにはアンジェリークが座り込んでいた。そのまま、どこともつかない場所をぼんやりと眺めている。隣には桜の木も見受けられるのだが、アンジェリークの視界には入らないらしかった。 1週間で、彼は帰ると言った。 主星を出るというその時になって、アリオスはアンジェリークと約束を交わしたのだ。 <1週間経ったら任務を完了して帰る。完了できなかったら連絡だけでもする> そう言い置いて、彼はサイガへと旅立ったのだ。 それ以来、まるきり音沙汰は無かった。その言葉だけを頼みにしてこうして待っているのに、彼はやはり連絡などくれなかった。マメでない彼に連絡を要求する事自体無意味だったかもしれない。 まだ帰って来ない。あれから1週間経ち、こうして1ヶ月経とうとするけれど何も連絡は来ていなかった。 不安は焦燥に変わりつつある。サイガの武装組織が何者かによって壊滅させられたという報道、あるいは吉報は未だにアンジェリークの耳には入って来なかった。有能な補佐官がいるからその事実が来次第アンジェリークに安心が届けられるに違いないのに、何も聞こえなかった。 桜の花びらがひらりひらりと落ちていく。それでいて、この桜の木は一年を通じて花がなくなる事は無く、この聖地の時は人間だけではなく物の時も止まっているのだ。 怖い、とアンジェリークは呟いた。ふとした時に嫌な未来を予感するのだ。連絡してこないのではなく、連絡出来ないのではないかと。サイガに囚われたまま、永遠に彼は帰っては来ないかもしれないと。 そうしたら、彼が何を自分に伝えたかったのか永遠に分からぬまま、この時の止まった狂いにも似た世界に閉じ込め続けられる事になるのだ。 こうした想像をする度に、信じよう、信じようとアンジェリークは呪詛のようにその言葉を唱え続けた。泣いても、怖がっても、何も変わらない。それなら前向きな発言で自分を落ち着かせていた方が、いいに決まっている。 脅迫まがいの信仰は、自分を追い詰める材料にしかならないけれど。どんなに「信じなきゃ」と呟いてみたところで、悪夢によって夜中に突然目が覚める事は頻繁だし仕事も手につかないのだった。 「アリオス…」 目を、瞑る。そこにはいつもの銀髪が、ありありと見えるのだった。いつもみたいに、少しだけ人を馬鹿にしたみたいな顔で。 「きっと、帰ってくるわよね?」 返事は、勿論無かった。 ふいにアンジェリークはひどい眠気を覚えた。夜半に眠れないので、日中にその皺寄せが来るのだ。アリオスと分かれて以来満足に眠る事さえ忘れてしまった。どうやって眠るのか分からないのだ。どうやらアリオスと一緒に睡眠の仕方とも分かれてしまったらしい。 アンジェリークはベンチに横になった。はらり、落ちた桜の花びらが頬に落ちてきた。振り払う事も出来ず、頬にその感触を残したままアンジェリークは静かに眠りの世界に引き込まれていった。 * おかしいな、と気付いたのはいつからだっただろうか。 自分は確かにベンチに横になっている。それは、変わらなかった。しかしどうも景色がおかしい。白い靄に包まれたどこか。聖地のようで、聖地でなかった。無音の世界。鳥の囀りも、風のそよぎも何ひとつ耳には入らない。 そしてもうひとつ、先程と一番違う事。自分は確かに目を閉じている筈なのに、その場所の事がよく見えるのだ。白の中庭にいるとはっきり感じられる。物の色も分かる。 夢かな、とも思う。よく分からない。これを現実として受け止めるのにはあまりにも非現実的だったし、これを夢として受け止めるのにはあまりにも不気味だった。 聖地の、白の中庭。 ふとアンジェリークは頭の辺りに温かい感触を覚えた。どうやら血の通ったものを自分は枕にしているらしい。誰かに膝枕されている? そう気付くのと同じくらいに、誰かが自分の頭を優しく撫でているのが分かった。その誰かは、撫ぜたり指で髪を梳いたりを繰り返している。その温もりが、アンジェリークをなぜだか落ち着かせた。きっと、自分にものすごく近い人なのだ。そうでなければこんなに安心したりなどしない。 穏やかな声音で自分を呼ぶ声が聞こえた。声は声として耳に伝わってきたのではなく、感覚として認めただけであったが、アンジェリークは自分が心からほっとするのを覚えた。 大好きな人の声だ。…そうだ、これはアリオスの声。アリオスの膝。アリオスの指だ。どうして気付かなかったのだろう。気付けばこんなにもはっきり彼だと分かるのに。 アリオス、とそっと呼びかけた。自分は口も開かない。目も開けないけれどそうやって伝える事が出来るのだ。 真昼だ、と思えた。誰のどんな意志も介入出来ない真昼の世界。太陽の光射すだけの、完成された場所。そこには、他のどんなものもこれ以上は必要でない。自らの発する言葉さえ、無意味だ。 ずっと待ってたの。やっと帰って来てくれたのね。 <そりゃ遅れちまって悪かったな> ねえ、帰って来たなら教えてよ。話があるって言ってたじゃない。話って何? <…それか。それはもう、止めだ> どうして? <大した事じゃなかったんだ。早く忘れろ、何でもない事だったんだ> …そうなの? アリオスは指を動かすのを止めると、今までに見せた事の無いような微笑を浮かべた。 見えない筈なのに正面からきちんとその笑顔を受け止めて、アンジェリークは胸がきりりと痛むのを感じた。どうしてそんなに優しく微笑むのか、となじりたかった。こちらがどれだけ心配したのかも忘れて。 目の裏に浮かぶアリオスの影。それが突然急速に薄くなっていくのに気付いて、アンジェリークは咄嗟に手を伸ばした。しかしそれは何も掴む事が出来ず、見事に空を切る。 彼の熱が少しずつ失われていく。消えないで、と叫んだ自分の声がこだました。どうしてこんなに不安になるのだろう。彼は帰って来てくれたのに。どうして自分の傍を離れていくくらいでこれほど落ち着かなくなるのだろう。わけも分からず、アンジェリークは手の中に汗をかくのを覚えた。 <忘れるなよ、…俺がお前を呼んでいた事、> アンジェリークには答えられない。 <俺に必要なのは、お前だけだった> 待って。何とかその言葉だけを搾り出す。返ってきたのは、一語だけだった。 <お前を今でも愛してる。…最後にお前に会えて、良かった> * はっ、と気が付く。自分がいたのは白の中庭。彼の声、彼の姿なんてどこにも無い。 あれは幻だったのだろうか。 夢だったのか、と思う。しかしあの実感は夢などという曖昧なものとしては片付けられなかった。確かに彼の指の感触を感じたのだ。 そうして気付くのだ。あれは現実ではなかったが、夢でさえなかった事を。 アリオスが言っていた事を一語一語思い返してみる。早く忘れろと言っていた。自分が言い出した事を、なかった事にしてくれと言ったのだ。 知っている。彼が本当は何を言おうとしていたのか、自分は本当は知っているのだ。けれど彼の口から直接聞きたくて、わざとずっと分からない振りをしていた。 そのために彼がこの前密かにセレスティアで買い求めた物が何であるかさえ、自分は把握していた。その時にはまだ分からないでいたけれど。金色に光るそれを、なぜ買うのかしらと思っていただけに過ぎなかった。 今ならよく分かる。聖地に戻れないかもしれない、彼にとってその可能性が大きくなったから、その約束を抹消させたのだ。 …アンジェリークを未亡人にさせないために。 その思いつきに、膝ががくがくと震えた。絶望している自分を覚える。 「…アリオス」 期待とも胸騒ぎともつかない想いを抱えながら、アンジェリークはわけも分からず立ち上がり星の小途へと向かった。 きっと、いる。それが何なのか分からないけれど、そこに何かあるのだ。 頭の中で、また彼の自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。 <…アンジェリーク、> おしまい |
■あとがき ここまで読んで下さってありがとうございました。 ネオロマなのに「武装組織」やら「テロ」やら穏やかならぬ単語ばかり出てましたね。 しかし、不思議とアリコレには似合う単語のように思われます。 しかしそれにしても暗いなこれまた! ぎゃふん。 |
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