46.小さな賭け事


 望美は、実は乾燥肌だ。
 冬場にはクリームを塗ってもどうかすると膝小僧が白く粉を吹いてしまう事もある。母の水仕事を手伝えば即座に手がぴりぴりしてしまう。
 中でも際立って乾燥するのは、唇。
 今日も乾いた風が、望美の唇から水分を奪い取る。かさかさになった唇を、いけないだと分かっていても舐めてしまう。悪循環。
 この世界には、当然の事ながらリップクリームなんてものは無い。唇が荒れたって、放置するしかないのだ。女子高生なのに、カッコ悪いなあとぼやいて望美は歩を進めた。
 ここは望美の本来いるべき世界でない、異世界である。時は平安末期。時空を越えてこの世界に流れ着いた望美は、白龍の神子として源氏を勝利させる戦いに出ていた。
 今は冬。スカートの中にまで入り込む寒気に、望美は震えた。大体どうしてこんなミニスカートなのか。戦いにくいったら無いが、これしか服が無いのでは仕方ない。どう考えても望美をこの世界に連れてきた奴の好みとしか思えない。実際そうなんだろう。
「寒いよー」
「神子、寒い? 温めようか?」
 呟くと、隣で望美と同じ歩幅で歩いていた白龍が聞き咎めた。さらりと、人が聞けば激しく誤解しそうな発言をする。彼自身としては、言葉以上の意味などさらさら無いのだろうけれど。
 とてとてと望美に近付いてきたかと思うと、白龍は「あ」と声を上げた。
「どうしたの?」
「神子、唇から血が出てるよ」
「あ、ホントだ」
 指で確かめる。確かに唇が割れており、拭った指に僅かに血らしきものが付着した。少しだけぴりぴりとした痛みを感じた。
 白龍はこちらを覗きこみ、心配そうに告げる。成長してからむやみに背が高くなり、望美と会話するのにも背を少しだけ曲げる。
「この世界に、リップ無いもんなあ…」
「癒してあげるよ」
「え? …、」
 白龍は望美の正面へと周る。そして。
 奪われたのは唇。
 キスだ、と意識する頃には白龍の舌が血を舐め取っていた。いつか、転んで目の下に傷をこさえた時にも彼の唇で治してもらった事を思い出し、望美は赤面した。それ以来、望美が怪我した時にはすぐに彼の自称「治療」がやってくる。他の人がいる時にはけしてしないようにと固く言い含めているから、この行為を八葉や朔に見られる事は無いけれど。それでもこの行為が時々「そこはどうなのか」という箇所に及ぶ事もあり、その事を思い出しかけて望美は無理にその回想を頭の中から閉め出した。
 その間にも治療は止まず、口付けはやまない。わけもなく、ぞくりとした。体の芯が熱くなり、訪れるのはぼう、とする感覚。
 気付けば既にキスでなく。白龍の熱い舌が、唇の縁をなぞっていた。彼にはきっと他意は無くて、純粋に白龍の神子を癒したいだけなのだ。それを分かっているから恨めしくなる。これならかえって下心があった方がいい。それならこちらだって対応のしようだってあるというのに、彼の神子に対する思いは純朴そのもので、余計なものが混じっていない。
「んぅ…っ」
 思わず、声を上げてしまう。それを堪えるために、白龍の袖をぎゅっと掴んだ。その意味に気付いた様子も無く、白龍は顔を離した。いつものように落ち着いた柔和な笑みを浮かべる彼に、だが同じような微笑みを返せない。
「はい、おしまい。治ったよ」
 恨みがましく、白龍を見つめる。その意味ありげな視線に、さすがに白龍も小首を傾げた。望美は一瞬躊躇った末、ひとつの勝負に出た。
「ねえ、白龍。唇と唇を重ねる事を私の世界で、何て呼ぶ行為なのか知ってる?」
「ううん、知らない。何ていうの?」
 ふるふると首を横に振る白龍に、望美は即答した。
「キス」
「きす? …神子の世界では、これはどういう時にするものなの?」
 望美はそれには答えずに、白龍と会話するために上げていた目を伏せた。
「白龍。…まだ、治ってないよ?」
 勿論、嘘だ。白龍の治療が不完全である事など有り得ない。しかし、望美は顔を俯かせて、指の腹で唇を撫でた。白龍の舌によって唇がまだ少し濡れているのは、意識しないよう努める。
「え? まだ痛む?」
「うん、少しだけ…」
 これも、嘘。白龍は疑う事を知らないから、望美の言う事の全てを信じてしまう。
「分かった、癒すね」
 白龍は望美の肩をふわりと抱いた。白龍の熱を感じて、望美の心臓はとくんとはねる。応えるように、今度は望美から唇をほんの少しだけ開けた。
 ついたのは、ほんのささやかな嘘。
 騙されてくれるなら、自分は彼の体に腕を回して、何度でも口付けを求めよう。

「どういう時にするものなのか、説明しなくても分かるでしょ?」
「うん、分かるよ、神子…」

 きっと、その賭けには勝利する。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
白望萌え。無自覚でエロエロしい白龍がたまりません。
というわけで、エロエロしくする事に重点を置いた小話でした。
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