56.モーニングコーヒー |
目覚めて真っ先に気付いたのは、鼻腔をくすぐるコーヒーの匂いだった。 アリオスがとりわけ好きで常備している好きなメーカーのコーヒーの匂い。淹れたての、目の覚めるいつもの。 「…?」 いつもは自分で淹れている筈――というか、ひとり暮らしなのだから自分以外の誰かがコーヒーが入れていたらおかしい――なのに、一体これはどうした事だ。アリオスは睡眠不足の頭でふらふらしながらもキッチンへと歩みを進める。 ぱたぱたとスリッパで誰かが動いているのが聞こえてくる。キッチンの扉をがちゃりと開ければ、そこにはくるくるとよく動くアンジェリークの姿があった。なぜかピンクのエプロン装備で、茶色いセミロングの髪を今はこさっぱりとまとめている。完全に新妻仕様だった。 呆気に取られているうちに、アンジェリークはアリオスを見つけるとにっこり笑った。彼女はアリオスとは違って朝からご機嫌の様子だった。 「あっアリオス! おはよう!」 「…おはよう」 つられて思わず挨拶を返す。その一瞬後そうじゃないそうじゃないと脳内が突っ込みを入れてきた。 何でここにアンジェリークがいる? いくら深い仲のアリオスとアンジェリークとはいえ、同棲を始めた覚えは無い。押しかけ妻を家に入れた覚えも無い。どうしてここにいる、とその質問を口にする前にアンジェリークにコーヒーがなみなみ入ったマグカップをふたつ、押しやられる。 「これ持っていってね。もうすぐパン焼き上がるから。そういえば聞いてなかったけど朝ご飯食べるよね?」 「…ああ…」 「そう。良かった。私の趣味でヨーグルトとバナナと目玉焼きも付いてくるけどいいよね? パンに塗るのはジャムがいい、それともバター?」 「…バター…」 「うん、分かった。じゃこれも持っていってね。持っていったらもうここには戻ってこなくていいから。向こうで待ってて。私もすぐ行くから」 朝からよく喋る奴だ。いやそれよりも朝からどれだけ食うつもりなんだこいつは、と若干そんな思いが掠めるが、目が覚めきっていない今喧嘩を吹っかけても勝てる自信は無い。一体いつの間に食材を買い込んだんだ、とか、そもそもどうしてここで朝食作ってるんだ、とか、分からない事項は増えていくが、今差し当たってアリオスに出来るのはアンジェリークに従いマグカップをリビングへと運ぶ事だけだった。 * リビングの机の上には所狭しと朝食が並んでいる。 朝食はコーヒーだけで済ませてしまう習慣の染み付いているアリオスには、見ているだけで若干胃がむかむかするのを覚えた。それとは逆に、アンジェリークはこれぐらいの分量を平らげるのこそが習慣らしくそれはもう嬉しそうににこにこしている。 アンジェリークはエプロンを外すと椅子の背に掛けてアリオスの向かいに座った。そして手を合わせてはきはきと「いただきます!」と言った。 「…いただきます」 完全にアンジェリークのペースに飲まれながらも、二人の朝食が始まった。かり、と程よく黄金色に焼けている食パンに齧りつきながら、ようやくアリオスはひとつの疑問を口に出来た。 「お前、いつ来たんだ」 「ん? 今朝だよ」 アンジェリークはジャムを塗るのに悪戦苦闘していて、アリオスとは目も合わさない。 「そもそも、どうやって入って来たんだ」 「え? それはね…女王権力。えへへ」 要するに問答無用で押し入ったらしい。アリオスとアンジェリークの仲だからいいものの、相手が相手なら不法侵入罪だ。いや、アリオス相手でも有罪だ。 「何でこんな真似を?」 「だって、アリオスこの前『自炊はもう飽きた』って言ったじゃない」 「…。すまん、お前の思考は飛びすぎでよく分からん。最初から説明しろ。何で俺が自炊に飽きるとお前が不法侵入する事になるんだ?」 「それはねー、アリオスをびっくりさせようと思って」 「いや、だから…」 もう、とアンジェリークはむくれるが、すぐに機嫌を直していちから説明し出した。 「だってさ、今日アリオスの誕生日でしょ。だからね、何か出来る事は無いかなって考えてたの。何かプレゼント贈るのもいいけど、今年はちょっと違う事したいなって思って。そしたらこの前アリオスが自炊は飽きたって言うから、じゃあ今日のお誕生日は自炊のお料理をプレゼントかな〜と思って」 カレンダーをちらと横目で見て気付く。今日は11月22日。そうか、今日は自分の誕生日であったのだ。聖地にいる以上、何歳であろうと特別な意味が少なくなるのでどうも年という概念が希薄になりがちで、今日もアンジェリークに指摘されるまで全く気付かなかった。毎年アンジェリークに祝われてる筈だが、毎年のように当日まで気付かない。 「なるほどな…。で、その結果がこれか?」 「そう。アリオスこの前言ってたじゃない? たまには手料理食べたい、って。だから今日は朝から晩まで私のお手製料理をプレゼントしようかと思って」 「よく分かった」 それで当人の与り知らぬ間に人の家に無断侵入か? とは思うが、それは口に出さない。口にしてそれとなく責めたところで相手の話を聞くアンジェリークではない。それに始めこそ戸惑ったものの、今こうしてテーブルで向かい合ってゆっくりとコーヒーを飲むのは実にいい感覚だった。 何だか、まるで、ずっと昔から二人でこうして生活していたかのような馴染みを覚えた。誕生日だから、これは形ではないプレゼントだから。1日で消えてしまう魔法なのを、アリオスはふと残念に思った。魔法だなんて、とても信じられなかった。 「でしょー。そうそう、お昼何食べたい? お肉? お魚? 一通りのものは買っておいたけど、何か特別なものが食べたいなら早めに言ってね。そしたら買出しに行くから。勿論その場合にはアリオスに付き合ってもらうからね。今日はね、前々から掛け合っておいたから私もアリオスもオフだし、時間ならいっぱいあるから」 目の前でにこにこしながらパンにかぶりつくアンジェリーク。かぶりつきつつも延々と喋るのも忘れない。やかましいとも思いながらも、アリオスは黙ってアンジェリークの話に耳を傾けた。初めて体験するこうした騒々しい朝も悪くない。 「お前、料理なんて出来たんだな。知らなかった」 「私が不器用だから料理も出来ないと思ったの? 失礼ねえ。掃除も洗濯も出来ないけど料理はなかなかなんだから、私」 「…それは、自慢出来るような事なのか…?」 モーニングコーヒーを楽しみつつ、アリオスはこんな朝食も悪くない、と考え始めていた。いつもと同じ良い香り。でもいつもと加減が違う濃さ。それがふわり、と鼻腔をくすぐる。 「あっそうだ。言うの忘れてた」 「ん?」 「お誕生日おめでとう、アリオス」 「…ありがとな」 いつか、これを永遠にする。この魔法を終わりにはさせない。 おしまい |
■あとがき ここまで読んで下さってありがとうございました。 2007年度版アリオス誕生日記念創作でした。 アリオス視点となるとコレットが暴走しがちなのは、一体何でなのか…。 アリコレでほのぼのが書けて満足。 |
→お題へ |
→home |