68.彼女の恋人


 リュミエールの絵のモデルをする事になった。
 きっかけは何だったか思い出せない。彼の人物画を見せてもらった時そのあまりの美しさに感激し、自分もこのような絵の中の人間になってみたいと呟いたのがそうだったのだろうか。
 実家にもロザリアの絵はそれこそ腐る程飾られている故、モデルをするのは慣れている。子供の頃から事ある毎にモデルとしてカタルヘナ家に相応しい絵を提供してきたのだ、今更そのような絵が一枚増えてもなんという事も無い。
 それなのに。ロザリアはリュミエールのモデルになれた事が嬉しく、また緊張するのをらしくもなく覚えていた。

 当日。リュミエールの元を訪れたロザリアは、一脚の椅子をすすめられいつもの通り画家が求めるようなポーズをした。それをどういう意味で取ったのか、リュミエールは口元に上品な笑みを浮かべると言った。
「楽にしていて構いませんし、話していても大丈夫ですよ」
「そうなのですか?」
「長時間そのままでいては気疲れするでしょう」
「いいのですか? それはほっとしましたわ」
 リュミエールの眼差しに照れてしまう。意味なんて何ひとつ無い、ただ絵の対象として眺められているに過ぎないのに。たくさんの画家に今まで絵のモデルとなってきたが、こんな気持ちになるのは初めてだった。
 他愛の無い雑談をしながら、ロザリアはその日にこにことモデルを続けたのだった。

 モデルを初めてしばらくが経った。
 毎週日の曜日はリュミエールのためにそれとなく予定を空けておくのがロザリアの流儀となっていた。リュミエールが毎週誘ってくれる事を知っているのだ。リュミエールもそれを承知なのだろう、とは思ったが、まさかあなたのために空けているなどと言う事は出来なかった。
 誘ってくれるからといって、何処かに遊びに行くわけではない。絵を描いてもらうだけだ。ロザリアがモデルとなっているその絵はリュミエールのこだわりが強く出ているのか遅々として進まず、「ではまた今度も」という言葉で締めくくられるのが毎度の事となっていた。
 穿った見方をすれば、わざと遅く描いているのかもしれない。だとすれば願ったり叶ったりだが、リュミエールがそんな性格であるとも思えなかった。
 そんな折、リュミエールに水のサクリアを送ってもらうために聖殿の中を歩いていたロザリアはアンジェリークに呼び止められた。
「ロザリアー!」
「なあに、もう。廊下を走ったりして、ジュリアス様に怒られても知らないわよ」
 そんなの全然構わない! とアンジェリークはぶんぶんと首を振るとねえ、と甘えた声を出してきた。お願い事をする時の彼女のいつもの癖だ。
「今度の日の曜日、一緒に買い物に行きましょうよ、ロザリア」
「ごめんなさい。リュミエール様との約束があるの」
 即答すると、アンジェリークは途端に「えー」と不満さを顔に出した。
「そうなの? ロザリアってば毎週リュミエール様と会ってるんじゃないの?」
 意味するところは、「毎週会ってるんだからそのうちの1回くらいいいじゃないの」だ。本当は週に1回というのもロザリアにしてみれば相当にもどかしいのだ。女王候補である事を気遣ってか、リュミエールはけして平日には誘ってこない。誘われれば行くのかと問われればまた悩むところだが、そうしたロザリアの迷いさえも全て理解しているといったふうにリュミエールは控えめにしかやってこない。
「ロザリアってばそんな顔しちゃって。好きなんだねえ」
 しみじみとそんな事を呟いてくるので、ロザリアは予期せず顔が赤くなるのを覚えた。
「そっ…そんな事! リュミエール様は、ただ単に、わたくしとの思い出を…女王になってもならなくても素敵な時間を過ごせた事をあとからきちんと思い出せるように…そうして下さっているに過ぎないのよ。それを好きだとか、そういう言葉で…」
「…でも、好き、なんでしょ?」
「うっ…。で、でも、リュミエール様がどう思ってらっしゃるかは―ー」
「いや、好きでしょ。何で好きでもない相手の絵なんて描かなくちゃいけないの。それも真剣に。絵だけじゃなくて毎週会ったりだとかも、そうだしさ」
 アンジェリークの言葉にロザリアはぐっと詰まった。いつもアンジェリークの見た目のほわほわとした印象に騙されがちだが、実際の彼女は物事の本質をずばりと突くようなところがある。見た感じはどちらかというとボケ体質そうに見えるのだが、現実にはツッコミタイプである。ロザリアの見た目がきつそうであるのにも関わらず実際は物事をはっきり言えない性格なのとは全く反している。
「…。それは…そうかもしれないけど…」
「あーもうじれったいなあ!」
「な、何よ」
「好きなら好きって言っちゃえばいいじゃない」
「な、そ、そんな事、言えるわけないじゃないのよ! わたくしたちは女王候補なの、それを忘れたの? ただひとりの女である前にわたくしたちには使命を果たさなければ…」
「それ、逆だと思うけどな。使命云々より、女である方が先。最悪おばあちゃんになっても自分に課せられた役目には立ち向かえるけど、恋愛ってそうじゃないもん」
「アンジェリーク、あんたとは本当に意見が合わないわね!」
「なあによ、それはこっちの台詞よ!」
「そなたたち、何を聖殿で騒いでいる!」
 突然横から沸いた光の守護聖の怒声に、ロザリアとアンジェリークの顔面からは血の気が引いていった。 
「――げっ、ジュリアス様」
「ジュリアス様、申し訳――」
「そなたたちにはやる気があるのか?! 全くそのような騒がしさなら、どちらともを女王として推せなくとも当たり前だ!」
「…はい…」
「すみません…」
 結局、こってりと搾られたロザリアとアンジェリークなのだった。

 意識している、などと知られたらきっと自分は爆死してしまう。リュミエールのモデルとして今も彼の眼差しを一身に受けながら、ロザリアはそんな事を考えていた。思い返すのはアンジェリークの発言だ。彼女はきっとあとあとロザリアを意識させてしまうだろうなんて考えもしなかったのだろうけれど、生憎とロザリアは意識しまくっているのだった。
「…ロザリア? どうしたのですか?」
「え?」
「珍しく、視線に落ち着きが無いように感じられるのですが…」
「あの…いえ! 何でもないですわ!」
「…? そうですか?」
 眼差しが。一心不乱にこちらを見つめる美しい人の眼差しを受け続けて、誤解しない方がどうかしている。それに先日のアンジェリークの発言もある。余計に意識してしまって、集中どころの騒ぎではない。
 願うのは、ただ。こんな穏やかな時間がいつまでも続けばいいという事。絵なんて永遠に完成しなければいいのにとも思った。
 ぱっと顔を上げた拍子に、リュミエールと目が合った。考えていた事の浅ましさに、ぽっと頬が熱くなる。
「絵は、いつ、完成してしまいますの?」
 意識せずに告げてから、失言だったと気付いて口元を押さえた。これでは絵が完成したくないと言っているも同然だ。あからさますぎる。リュミエールはそれに気付いているのかいないのか、絵筆を走らせながらぽつりと呟いた。
「そうですね。――いつまでも。…完成しなければ、いいのに」
「え?」
「え、…あの、いえ」
 口元がゆるゆると緩むのを覚え、ロザリアは自らを叱咤した。きっと聞き間違いなのだ。自分に都合の良い言葉が聞こえたような気がしたのは。
「実は、もう殆ど完成しているのです」
「…え、本当なのですか?」
「ええ。これであと、仕上げが終われば。あなたにお見せ出来ます」
 ――終わってしまう。
 今、例えようも無い程の寂しさを覚えている。

 嫌だ。そう思った。絵が完成し、そして女王が決まれば彼は二度とロザリアの元を訪れなくなるだろう。休日に彼が訪れてくれなくなる事、絵のモデルには今後永遠になりえない事を考えたら胸が締め付けられる思いがした。
 描いてほしい。わたくしをもっと。それは切実な欲求。
 そこまで意識して、ロザリアはふと気が付いた。
 ――わたくしは既に自分の未来を選んでいるのだわ。
 考え考えののちに、ロザリアは口を開いた。

「あの、リュミエール様?」
「はい?」
「わたくし、リュミエール様の事をお慕いしておりますわ」
 リュミエールは一瞬ぽかんとして、それから盛大に絵筆を落とした。それから小さく声を上げる。慌てて立ち上がって絵を眺めてみれば、落とした拍子に絵の真ん中に余計な青い線が入ってしまっていた。これは修正どころかいちからやり直しレベルだ。
 実を言うと、絵を見るのはこれが初めてだった。絵の中の自分がいつも見る鏡の向こうの自分自身よりも明らかに美しい事に戸惑いを覚えたが、しかし見惚れている場合ではなく、ロザリアはそっとリュミエールを呼んだ。
「リュミエール様、」
「す、すみません…気が動転する余り…その…まさかあなたからそんな嬉しい言葉がいただけるとは、思ってもいなかったので」
「では、リュミエール様…?」
 見上げたリュミエールの頬は、今までに無いくらい紅潮している。こんな風に狼狽える彼は見た事が無い。
「――この絵が描き上がったら、申し上げるつもりでいたのです。2枚目も、3枚目も、またあなたの絵をこれからも描き続けていきたいのですが、宜しいですか、と。けれど、なかなかその決意が持てなくて。…だから、絵を描くのがどうしても遅くなってしまったのです」
「まあ、そうでしたの。…おかしいとは思っていたんですの。いつもならばもうとっくに完成している頃合ですから。…でも」
 すっと深呼吸すると、ロザリアは続けた。
「リュミエール様こそ気付いていらした? わたくしがどうしても動いてしまっていた事。いつもならどれだけでも止まっていられるのに、リュミエール様からの視線が恥ずかしくて、とてもじっとなんてしていられなかった事を」
 ふわり、と微笑むリュミエールを見上げて、今度こそロザリアは真っ赤になった。リュミエールは青色に薄汚れた手を伸ばしかけて、慌てて引っ込めると小首を傾げて尋ねた。
「…答えを聞かせていただけますか、ロザリア?」
「勿論ですわ。…まずはこの絵の修復ですわね?」
「付き合って…いただけますでしょうか」
 ええ、とロザリアは満面の笑みで答えた。

「喜んで!」


■あとがき
ここまでお読みいただきありがとうございました。
ほのぼの白リュミロザでした。
書くのに随分時間がかかった一作です。白リュミ様は難易度が高いらしい…
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