72.翳りゆく部屋 |
「ね、今年の誕生日、何が欲しい?」 聖獣の聖地。長閑な女王執務室。 久しぶりのアリオスとの邂逅に、アンジェリークはほんのりと頬を染めた。 1年に1度、訪れる記念日。今年もそれを最大限祝うために、アンジェリークは彼を呼んだのだ。忙しい身の上で、去年や一昨年のようには盛大には祝えないけれど、せめて形だけでも。アンジェリークは最後の書類にようやくサインし終えると、笑顔で立ち上がった。 既にアリオスの誕生日は2週間を切っている。 「は…誕生日…?」 「そう。もうすぐでしょ」 沈黙。そうか、と前置いてアリオスは髪をぐしゃぐしゃと撫でた。 この頃の仕事に忙殺され、思い出す暇も無かったらしい。 「ああ。忘れてた」 「忘れてたって…普通忘れる? 自分にとって一番大事な日よ?」 「仕方ねえだろ、毎日どっかしらに出張してるんだからな」 う、と言葉に詰まった。出張させているのは明らかに自分の所為だ。 未だ人手の足りぬ聖獣の宇宙。守護聖だって新人ばかりだ。守護聖だけでなく、根本的に人間が足りてない中、どこかでトラブルが起きればどうしたってアリオスが出るしかない。結果、彼はあまり聖地に留まらず、辺境の宇宙を放浪してばかりいる。会える暇は、殆ど無くなった。 制約の無いアリオス。誰も口にはしないけれど、アリオスは守護聖以下の待遇で守護聖以上の仕事をこなす時も、あるのだ。それも聖地にいてするのではない。危険な実地にて。 「ごめん」 頭をこくり、下げて謝ると。アリオスは苦笑した。 「いいけどな。で、誕生日プレゼント…だったか?」 「うん。ごめんね、本当はパーティー開いて、もっと豪華に祝いたかったんだけど」 そんな余裕と時間が、このところは本当に取れない。言い訳するつもりは無いけれど。 「しょうがねえだろ。俺のために喜んで祝う奴なんて、いるのか」 「そういう事言わないの。ホントは祝ってほしいくせに、意地張らないの」 「誰が意地張ってるって?」 「アリオスの他に…って、今日はこんな言い争いがしたくて呼んだんじゃないの!」 慌てて軌道修正。肩をいからせて眉間の間に皺を寄せた。 どうして、彼と一緒にいると、こんなに口論ばっかりなんだろう。むかむかしながら、それでも問い掛ける事は忘れない。 「だから、誕生日プレゼント。用意するから」 「お前はな…何も言わずに当日に突然プレゼント渡す、とかそういういわゆるサプライズ的な事は出来ないのか。というか普通、そうじゃないのか。…お前の考える事は、時々よく分からねぇんだよな」 「もう、何だっていいでしょ。それよりほら、プレゼント。それとも私が変な物でも何でも渡していいならそうするけど?」 「いや…もうお前には勝てない。それでいい、お前がそれでいいなら」 はああ、と深いため息をついた。アリオス。その崩れた顔が、ふと真面目に戻った。 「なあ、何でもいいのか?」 「何でも、ってどういう事?」 質問しかけたアンジェリークは、途中で「あっ」と声を上げた。そして半眼になる。 「分かった、いやらしい事考えてるんでしょ! アリオスってばすけべい」 「アホか。もしそうなら、今この場で押し倒してるっつーの。…いやまあそれはそれで考えなかったわけじゃないけど」 「何か言った?」 「いや何も。だから、そうじゃなくて、物じゃなくてお願いじゃ駄目か?」 きょとん、とした様子のアンジェリーク。 「お願い?」 「そう、お願い。そっちの方が後腐れない上に、お前も準備するの楽だろ」 うーん、と顎に手を当ててアンジェリークは考える。アリオスが「お願い」などと言うのは珍しいし、何だかその言い方が変に子供っぽくて可愛らしく、それだけでもお願いを叶えようかなという気持ちにもなっていた。 「…それもそうね…分かった、いいよ、何でも言って」 「よし、言ったな。『一緒に逃げよう』」 「…うん、分かった、…えッ?!」 アリオスの「お願い」を理解するのにしばらく時間がかかった。彼は今、何と言ったのだ? 言う事に事欠いて「逃げる?」 …冗談だとしか思えなかった。しかも、自分を連れて、だなんて。 いつものように軽口を言ってこの話題から逃れようと思った。…彼の目を見て、すぐに逃れられないと感じた。アリオスが自分を見つめる目は、真剣そのものだった。彼は本気で逃げようと言っているのだ。知らず知らずのうちに、自分で自分のスカートの端をぎゅっと握っていた。これは冗談なんかじゃない。 笑ってこの場を上手くすり抜けようと思ったのに。自分の笑顔が固まるのが分かった。…上手く笑えない。どうして、いつの間に彼の表情からは笑顔が消えたのだろう。 さっきまで、あんなにはしゃいでお喋りしていたのに。途端に訪れる重たい空気に、アンジェリークは混乱してしまいどうしていいか分からなかった。 逃げられる、筈ないのに。アンジェリークは途方に暮れてしまった。それでも勇気を振り絞り、抵抗した。実に弱々しい抵抗だった。 「何言ってるの」 「だから言ったんだ。逃げよう、って」 「…仕事、つらい? …ごめん。私の所為だね」 俯いた。彼が逃げたいと思うくらいなんだから、任務が重荷になっているのに違いないのだ。今までそれを知らずに来て、アリオスもまたそれを告白するのを耐えてきた。 自分は女王失格だ。 「バーカ。俺の仕事は、別につらくない」 「…じゃあ、どうして、逃げたいなんて言うの」 「…つらいのは、お前だ」 アリオスの手が伸びてきて、ぐしゃぐしゃとアンジェリークの頭を撫ぜた。子供にする仕草で、いつもだったらかんかんに怒るところなのに。アンジェリークはその手の優しさに甘えた。いつもより温かい気がする。 「私、つらくなんて、無いよ」 「嘘付け。…俺は知ってる」 「…何を?」 「お前が言ってほしくないみたいだったからな。今まで黙っておいたけど。…お前、あんまり食べてないだろ。いや、違うか。食べてるんだろうけど…体重、減ってるだろ」 気付かれている。そう思った。 「どうして分かっちゃうかなあ?」 「お前な…俺がお前の事で、分からない事があると思うのか?」 「随分自信満々なんだね」 どう答えていいのか分からず、曖昧に笑みを浮かべた。視界の端に、目に留まる自分の手首。女王に即位したその日より、痩せてしまって骨ばってみえる。どう考えても健康的ではない上に、これは気付かない方が不思議というものだった。 理由は簡単な事だった。順風満帆とはいかない女王の仕事。女王試験と違って、手をかければかける程宇宙が育つわけではない。じっと見守り続けなければならないし、どんな小さな異変にだって目を凝らして、目を離してはならないのだ。 今まで気付かない、分からない振りをしていたけれど、彼の言及によってそれも終わった。自分は疲れているのだ。はっきり、それを自覚してしまった。手をかけたからってよりよい宇宙になるとは限らない。それがアリオス以上に重荷になっている事になんて、出来れば気付きたくなかった。 それが女王。それが宇宙を守る者の定め。…自由など、この手には無い。 「だから、だ。逃げよう。アンジェ。…俺と。…このまま聖地に留まって女王であり続ける事に、お前の幸せがあるとは思えない」 ぽんっ、と彼の胸に頭を置いた。じわじわと温かい熱が伝わってくる。アリオスは頭を撫ぜるのを止めない。 「だけど、それが私の役目だもん、幸せであるかどうかなんて関係ないよ」 「俺は…お前が過労死しそうで、心配なんだ。死なないまでも、いつか倒れちまいそうだ。…不安なんだよ、時々。頼むから、もう、…あんまり頑張り過ぎるな」 彼の誕生日の話をしていた筈だったのに、こんなに湿っぽい話になってしまっているのだろう? 不思議に思った。ともあれこんな話題は早く終わらせてしまいたかった。 アンジェリークはアリオスから体を離すと、きっぱりと言い切った。 「馬鹿言わないで。誰も逃げないわ」 「…言う、と思った」 分かっている、と彼は言う。口の端に、苦笑を滲ませて。本当は、全然納得してないのが見え見えだ。 それでも、と思う。逃げ道など、どこにもない。ここに留まり、働き続けるのが使命なのだ。その他に、道は無い。そんな無責任な未来は、選べないのだ。 自分は女王。どれほどに疲れが溜まっていても、それが最後の誇りとなる。 だから、アリオスの願いでも、そこは譲れないのだ。アリオスが自分の体を労わってくれていると理解していても。 「…ごめん、ね」 「いいさ。…それなら、別のお願いにしてもらうかな」 「お願い?」 「…お前、もう忘れたのか? 誕生日のプレゼントっつったのお前だろ」 「あ、そっか」 「忘れっぽいな。ボケか?」 「もうっ、失礼ね!」 とんっ、と軽く彼の胸板を叩く。と、その手がぎゅっと掴まれた。 「なら、当初の通りに行くかな」 「えっ、ちょっ、当初って…」 視界が暗くなり、塞がれたのは。予感に胸を熱くさせた。先程のやり取りを思い出したのだ。自分の予測している通りなら、これから訪れるのは。 <分かった、いやらしい事考えてるんでしょ! アリオスってばすけべい> <アホか。もしそうなら、今この場で押し倒してるっつーの。…いやまあそれはそれで考えなかったわけじゃないけど> 仕方ないなあ、とこっそり考えるのだ。 自分自身に考えを譲るつもりは無い。それはきっと、アリオスも同じなのだ。こうする事で、お互い納得出来るなら。少々丸め込まれた感がなきにしもあらず、だけれど。 「…少し早い、誕生日プレゼントだね…?」 訪れるのは優しい沈黙。 黄昏時の執務室は、二人だけの空間になっていた。 おしまい |
■あとがき アリ誕記念創作でした。 こんなんが誕生日プレゼントでいいなんて安上がり、っていうかこんなんでええんかいな、と思いながらつらつらと書いてみました。 アリオスとコレットが手に手を取って逃亡するのも萌えですね。 |
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