96.not awaken |
アンジェリークはセイランと共に暗い洞窟の中を駆け抜けている。 どうしてここにいるのか、どうして走っているのか、何も思い出せない。 ただ分かるのは、急がなければという事だけ。時折後ろを振り返りながら駆けて行く。 いつしかアンジェリークとセイランの手はしっかりと握られていた。どんなに慌てている状況下でも彼と接触出来るのが、アンジェリークには喜びだった。 洞窟の中は一本道。湿気が高く、呼吸しづらい。暗い洞窟内でも何とか見分けられる岩肌はごつごつとしており、湿気の所為なのか湿っているようだった。洞窟の中は舗装されてはおらず、けれど過去に何人かが通った形跡が残っていた。その僅かばかりの手掛りに食らい付きながら、足を止めずに走り続ける。洞窟の中には人気は無い。しんと静まり返った洞窟の中で、ただ耳に届くのは二人の荒い呼気と硬い足音。 今まで何をしていたのか、これから何処へ行くのか、今が何時であるのか、アンジェリークには何も思い出せない。それほど疲れていないところからして、きっとそう長くは走ってはいないのだろう。 疑問が頭を抜けていくが、それでも走るセイランに手を引かれて走り続けている。きっとセイランは全てを了解しているのだ。 それならば自分がこの世界について知る必要は無い。セイランが望まない限りは。 ふと、前を走りながらぐいぐいと自分を引っ張ってきたセイランが呟いた。その声は囁き程度の大きさであったのに、辺りに反響してはっきりとアンジェリークの耳に届いた。 「アンジェリーク、どうして僕についてきたりしたんだい」 「…え、」 アンジェリークには彼が何を言っているのか分からない。 それでも咄嗟に口をついて出たのは真実だった。思い出したわけではない。自分であって自分でない誰かが喋っているようだった。 「セイラン様が好きです。だから、一緒に来たんです。どうなってもいい、それでもいいから一緒にいたくて」 「…君って子は…僕は君を巻き込んだんだ、君を試したんだ、そうだろう? もっと僕を詰ったって良いのに」 セイランのくぐもった声では、彼がどんな感情をもって喋っているのか分からない。 「どうしてセイラン様を詰る必要が? セイラン様のなさる事ならきっと全部正しいです。私はただ、あなたについていくだけ。…それとも、迷惑ですか?」 「…いや。迷惑じゃない。…嬉しかったんだ」 束の間の沈黙。 「…そうだね、どうして忘れてしまったんだろう。嬉しかったんだよ、僕は君の純粋な好意が」 「セイラン様…?」 セイランは足を止める。つられてアンジェリークも足を止める。 「僕はこの世界に飽き飽きしたんだと、言ったね。それには様々な理由があると」 「ええ」 「あの時に述べた理由は、一番大きな理由ではないんだ。むしろ、一番大きな理由に比べればあまりにも瑣末だ」 「…というと…」 「君がね、遠い世界が、嫌になったんだ」 「…え…」 「君と離れて数年経って、君は変わったと思った。立派になった君はもう僕を必要としないって。君に必要とされない世界なら、僕には必要無いから。あの時に…、女王試験の時や、レヴィアスの侵攻の時に君から受けた好意は今はもう残ってないと思ってた」 そんな事、とむきになって否定するアンジェリークの唇を、セイランはやんわりと押し留める。 「数年ぶりに君と会って、僕が最初に何を考えたのか分かるかい? 絶望さ。君は随分と女王としての器量を身に着けた。もう助言なんて、教官なんて君には必要無いくらい、君には既に女王としての素養を手にしている。僕の指導が君のためにはならなくなったんだ。もう、君には僕は要らないと思った。そして君も僕を忘れ去ったと思ったよ。女王らしくなった君が捧げる愛は全て民衆のため、僕のためなんかじゃないって。けれど違った。好意は未だ君の中にあり、それは全て僕のものだった。どうして失望したりしたんだろう。君は女王になり変わった部分もある。でも変わってない部分もある。…僕の目は一体何を見ていたんだろう」 沈黙。 鋭ささえ感じる程の視線の強さ。セイランはアンジェリークを強く見つめると、その手をゆっくりと離した。ほんのりと感じていた熱はすぐに霧散する。 「セイラン様…?」 「どうして気付くのが、こんなに遅れてしまったんだろうね。君は僕のどうしようもない我が儘に付き合うべきじゃなかった。僕も君も、ここに来るべきじゃなかったんだ。…アンジェリーク、帰るんだ。もうここにいたらいけない。…君は帰るんだ」 「セイラン様は?! わたし、セイラン様と一緒じゃなきゃ嫌です!」 「僕は…そうだね。僕が何錠飲んだか、君は知らないんだろう? …運にまかせてみようじゃないか。…僕にさえ、僕が何錠飲んだかは分からない。…もし僕が帰れたら、その時にはきっと君に僕の本心を告げると約束するよ」 「セイラン様…ッ」 どん、とセイランはアンジェリークを突き飛ばした。すぐにやってくると思われた地面はしかし、いつまで経っても訪れず、その代わりに光が。 目映い光がアンジェリークを満たした。 * 目を覚ました時、目の前には補佐官ロザリアの姿があった。 「この子、目を覚ましたわ!」 目を開けた途端に騒がしくなる辺り。たくさんの目が自分ひとりに集中している。その事に気が付いた。それにとても寒い。ここは屋外なのか。反射的に自分の両腕で自分の体を庇うように抱き締めた。 人工的な明かりを当てられて、暗がりから急に昼間に連れ出された感覚にアンジェリークは目を細めた。 屋外で、自分は眠っていたというのか。それにこんな夜更けに。 「起き上がれる?」 言葉遣いの優しさとは裏腹に、そこにはぴんと張り詰めた雰囲気があった。まだだるい、という本音を押し隠してアンジェリークはのっそりと上半身だけ起き上がった。 寝ていただけの割に、体は疲れを覚えていた。屋外で寝ていたから風邪でも引いたのだろうか。 支障の無い範囲で辺りを見渡してみる。…ここは銀の大樹だ。どうしてここに、この時間帯にいるのか。どうしても思い出せない。 それに自分はひとりでは無かったと思ったが。 自分の上に掛けられている毛布は、これは他のみんなが掛けたもので最初からあったわけではないだろう。 最初から。 その言葉にひどく敏感に反応する自分がいる。最初とはどの時点の事を言うのだ。 ふと見上げてみれば、ロザリアや守護聖たち、それに教官や協力者までもが勢ぞろいしていた。視界の隅にレイチェルの姿もある。 が、その場にふたり足りない者がいるのをアンジェリークは感じ取っていた。ひとりは女王陛下。ひとりは… 「…セイラン様」 その場にいた誰もが、アンジェリークの発した何気無い一言に硬直した。 気まずい沈黙が漂う。自分が発言した事でみんなが動揺している意味が分からず、アンジェリークはひとりぼんやりしていた。 口火を切ったのはロザリアだった。 「一体どういう事なのか、教えてほしいの」 「…? 何が…ですか?」 「こんな事を…仕出かした意味よ!」 ロザリアが指差したもの。アンジェリークのすぐ隣で眠り込んでいるセイランの姿があった。まだ目覚めてはいない。 二人の間に転がるもの。薬瓶。白い小さな錠剤。瓶の中身は半分程に減っている。 全てを理解した。 「わたくしたちが捜索しなければ、本当に間に合わないところだったのよッ!」 怒気を孕んだロザリアの声。それをじっと見つめた。怖いとも何とも思わない。感情が何も湧いて来ない。 「話しなさいッ、さあ、話しなさい全てをッ!」 がくがくとロザリアに揺さぶられる。されるがままに、まるで抵抗しないでいると横からレイチェルが入ってきてロザリアの手を止めた。 「ロザリア様、どうか落ち着いて下さい。この子が助かった以上、ワタシたちがしなければならないのは事情聴取なんですから」 事情。そうか事情を話さなければならないのか。何処とも知れぬ一点を見つめながら、アンジェリークはぽつり、と語り出した。 「わたし…セイラン様と一緒に、睡眠薬を飲みました。…セイラン様が違う世界を見たいと仰ったのを、無理にご一緒したんです」 ロザリアが吐き捨てる。 「なんて、ばかな子たち」 「わたし…薬を飲みました。それに抵抗はありませんでした。わたしが飲むのを見届けてからセイラン様は薬を飲みました」 アンジェリークは淀みなくすらすらと話し続けた。 「多分わたしを試したんだと思います。わたしはセイラン様に受け入れてもらえた事で頭がいっぱいで、セイラン様がどれだけ薬を飲んだのか見ていませんでした」 わたしたちは洞窟に行きました。その地下世界を駆け抜ければセイラン様の望んだ世界に行ける筈でした。そこでセイラン様は言いました。 洞窟の話をして、果たして信じてもらえるだろうか。その辺りの良識はアンジェリークにも残っている。 だから発言する代わりに黙り込んだ。 「…」 夢の中の出来事が、徐々にアンジェリークにも思い返されてきた。それと同時に、洞窟に辿り着く前にセイランとアンジェリークの間に交わされた言葉も脳内に蘇ってきた。 それは教官たるセイランに指導を願おうとセイランの館にやってきた時の事だった。 彼はやってきたアンジェリークに挨拶する事も無く、ただその片手に持った薬瓶を手持ち無沙汰そうにくるくると回していた。 そして言ったのだ。 この世に飽きたと。 同じ生活を繰り返す日常に、自分の教官としての役目に、自分の芸術を認めようとしない一般人に。宇宙を守っているのは女王ひとりきりという概念に。この世界を打ち砕くより、自分がこの世界でない何処かに行く方が早い。そう結論付けた。 最初から、アンジェリークには止めるつもりは毛頭無かった。彼がそう言うのであれば、きっとそうなのだろう。セイランを神聖視するアンジェリークにとってはそれが真実であるように思われた。 だから、そんな狂気じみた発言をしたセイランに告げたのはたった一言だった。 「わたしを連れて行って下さい」と。 止めないのか、とセイランの顔が何より雄弁にそう告げていた。 その言葉の真偽などどうでもいい。彼が「そう」なのだと言えばアンジェリークにとっては「そう」なのだ。その事を説明すると、セイランは呆れたように微笑んだ。実際呆れたのだろう、だがその表情にはそれだけではない穏やかな感情があった。無闇に否定しないことで、きっとよりセイランに気に入られたに違いない。 そして、二人は連れ立って銀の大樹へと赴き、そこで薬を飲んだ。 だが、自分だけ戻ってきてしまった。きっともっと飲まなければならなかったのだ。自分を突き飛ばしたセイランの事を思った。どうして自分だけ戻ってきてしまったのか。 こうなったからにはセイランの帰還を待つ事の他に、自分が出来る事は無い。 「…セイラン様は、きっと帰ってくると言いました…」 「じゃあ一体この惨状をどう説明するつもりなの?! わたくしたちはあなた方のつまらない演技に付き合わされたとでも?!」 「その通りです」 ぱしん、と良く響く音。ロザリアが怒りにまかせてアンジェリークを引っ叩いたのだ。じんじんと頬に残る痛みに、思わずアンジェリークは顔を顰めた。 「彼は帰ってくると言いました…」 「もういい。もうその言葉は聞きたくないわ」 その時にはきっと君に僕の本心を告げると約束するよ。 そう、セイランは言った。何を彼が言うつもりなのか、本心とは何を意味するのか、それは分からないが彼が待てと命令するのならば待たなければ。 「…セイラン様は帰って来ると仰いました…」 アンジェリークはロザリアの視線から逃げるように這いずり、セイランに近付いた。目覚める様子は、まだ無い。 その冷たくて人形のように整った顔立ちに、アンジェリークはうっとりと目を細めた。呟く。 「…お慕いしています、セイラン様…」 彼はまだ、目覚めない。 おしまい |
■あとがき ここまで読んで下さってありがとうございました。 超絶欝展開セイコレでした。 そしてオチはタイトルへ。中途半端に希望持たせといてみんな絶望。 |
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