WORST


「ついてない」
 荒れ果てた大地の中、リルカは突っ伏して自分自身に心から同情した。
 辺りには、何も無い。ただ荒野が広がるばかりである。
 ひゅう、と風が吹いて雑草とリルカの髪を揺らした。
「可哀想 ああ可哀想 可哀想」
 五七五だ、とぼんやり思って、空を見上げた。
「空が青いなぁ……」
 とりあえず、どうしたら良いのだろう。

 どうしたら良いのか分からず、リルカはいつまでもアヒル座りでぼんやりし続けていた。



 話は、3時間前に遡る。
 アーヴィングからの召集があり、久しぶりにARMSが集合する事になった。
 いつもはメリアブールの宿屋で待機しているリルカは(もちろんお代はアーヴィング持ちだ)久しぶりにアシュレーに会える事でうきうきしていた。
 かれこれ、1週間ぶりである。
 同じメリアブール市内にいるのだから、会おうと思えば会えない事もない。だがあのアシュレーに会いに行こうと思うとあのパン屋は避けては通れないのだった。
 アシュレーはいつもあのパン屋にいる。既に店主気取りなのかもしれない。
 そしてその隣にはいつも可愛い従業員……彼女がいるのだ。
 にこにこ笑顔でパン屋を手伝うアシュレーに、どうして会いに行けるだろうか。
 自分が辛くなるばかりだ。だからリルカは敢えて休暇中も自分からアシュレーをどこかに会いに行く事は無かった。
 そんな中での、指令だった。
 リルカが上機嫌にならないわけが無い。
 自慢のアンブレラを装備すると、早速リルカは宿を飛び出した。
 飛び出し、そして固まった。

「ハンカチは持った?」
「うん」
「ティッシュは? ヒールベリーは?」
「持ったよ」

 ……ぎゃふん。
 リルカはその場に立ち尽くし、いかにも新婚のような会話を繰り広げる二人を眺めた。
 アシュレーとマリナはパン屋の前で問答を続けている。
 マリナなどはアシュレーの襟元を直して、世話焼きな一面を覗かせている。
 ……あう。
「あ、リルカじゃないか。おはよう。一緒に行くか?」
「あう、おはよう……」
「?」
 朝からいちゃついている(ただし当人同士は自覚していないが)二人を見たくは無かった。あまりにダメージが大きすぎる。
「リルカちゃん、アシュレーをよろしくね」
「何だよ、それ」
「だって。アシュレーってばホントにしっかりしてないんだもの」
 リルカはポケットから元気ドングリを取り出すと、ぽりぽりと齧りながら二人に歩み寄った。
 遣る瀬無い気持ちだった。状態異常ではないので、どれだけ食べたところで回復は望むべくもないが。
「まかせてよ。わたしがちゃんとアシュレーを、」
 見守る、と言ったらマリナに悪いだろうか。えーと、と考え込んでしまう。
「……見張ってるから」
「それは頼りになるわね、よろしくね」
 うん、ともごもごと返事をすると、「それじゃ、行くかリルカ」とアシュレーが手を差し出した。
「いってらっしゃい」
「行って来ます」
 アシュレーは空いた手でマリナに手を振っている。
 いたたまれない気持ちになりながら、リルカは彼の手を握るのだった。
 舌に残ったドングリの味が、いつまでも苦かった。

「さて、今回は離島の出張所に行ってもらおうと思う」
 アシュレー、リルカ、ブラッドの3人が久々にヴァレリアシャトーに集まった。
 義足の美丈夫、アーヴィングは淡々と指令を告げた。
「『離島の出張所』? それってドコ?」
「リルカ君、発言は手を挙げてからしたまえ」
「はーい」
「どうぞ、リルカ君」
「『離島の出張所』って何ですか?」
 高々と手を挙げると、アーヴィングは満足そうに頷いた。
「うむ。そこにはディーという魔法学の権威がいるそうなんだ」
「『そうなんだ』?」
 アーヴィングの語尾の曖昧さをアシュレーが指摘する。
 わざわざARMSを集まらせたのにも関わらず、そんな不確かな情報を追おうとしているのだろうか、とリルカも首を傾げる。
「ディーって聞いた事あるよ。有名な人なんでしょ。教科書に載ってた。……落書きしちゃったけど」
 こら、とアシュレーに軽く小突かれる。
 アーヴィングが咳払いをして二人のお喋りを止めると、朗々とした声で説明した。
「リルカ君の戦力増強に繋がるのではないかと思ってね。正直今の魔法だけでは心もとないだろう?」
 それは、今の自分があまり役に立ってない事を暗に示しているのだろうか。
 いずれにしろ、リルカにとっては図星以外の何物でもなく、こくんと頷く他無い。
「ディーは上位の魔法を研究していると聞く。本当に離島に住んでいるのならば、接触してそれを会得出来ればかなりの戦力増強になるのではないかな」
「でも、わたしなんかが行っても、追い返されちゃうんじゃないかな……」
 お姉ちゃんだったら、ディーとか言う人もきっとすぐに教えるんだと思う。
 でもわたしはエレニアックの魔女、……の妹だから。お姉ちゃんと違って才能、無いもの。
「大丈夫だよ、リルカ」
 その不穏な空気を察したのか、ぽんぽんとアシュレーがリルカの頭を撫でた。
 それだけで、リルカの心の固い部分がほっとほぐれるのが分かった。
「リルカは追い返されたりしないよ。リルカは頑張ってるじゃないか」
「そう……かな?」
「そうだよ」
 アシュレーに言われると、そういう気にすっかりなってしまうのだから不思議だ。
 アーヴィングがそれでは、と議題を進めた。
「本日はヒトヒトマルマルより離島の出張所に行き、ディーに接触する事。以上だ」

 快晴であった。
 外に出た3人はそれぞれテレポートオーブを手渡される。
 これでテレポートして離島に辿り着け、という事らしい。
 そのむにむにした感触を何度も確かめながら、リルカは次第に自分が緊張していくのが分かった。
(失敗しちゃったらどうしよう……)
 テレポートは苦手だ。何度も何度もテレポート先の座標を間違い、知らない所に飛ばされた。
 その度に、上手く切り抜けて生きてきたけれど。
 今度は失敗では済まされない。今度のこれは実習ではなく仕事なのだ。
「ヒトヒトマルマル……良し。じゃあ、行くよ、みんな」
 アシュレーが号令をかける。待った、なんて言える筈も無く。
 アシュレーとブラッドがテレポートオーブを掲げたのに一瞬遅れて、リルカもそれに倣った。
 頭の中に離島の出張所を思い浮かべる。飛べ、と念じた。
 途端、目の前に浮かぶ赤色。血よりも鮮やかで、リルカのマントよりも透明感のある赤だ。
 空が真っ赤になったのかと思い、すぐにそうでない事に思い至った。
(ダメ! ……)
 また失敗した。時既に遅し、リルカは違う大地に吹っ飛ばされたのであった。

 そして、物語は冒頭へと戻る。



「どうしよう……」
 リルカは相変わらずアヒル座りのままで困り果てていた。
 帰りの分のテレポートオーブはアシュレーに預けてある。
 つまりは、戻れない。
 地図さえアシュレーに預けておいたのが悔やまれる。これでは今自分がどこにいるかさえ把握出来ない。
「どこよ、ここ……」
 目に見える範囲では、近くに村などは無いようだった。
 前々回失敗した時はヴァレリアシャトーに行くつもりがパレスヴィレッジに着いてしまった。
 前回失敗した時はヴァレリアシャトーに行くつもりがメリアブールに着いてしまった。
 だから、まだ良かったと言える。今回は村さえ無い。
 昼も近い事か、ふいに自分の空腹を自覚した。開けた大地しか無いここでは、空腹を満たすものは望むだけ無駄だった。
「おなか減ったな……」
 何だかリルカは泣きたくなってしまった。
 朝からあんなものを見てしまうし、案の定テレポートオーブは制御出来ないし、おなかは減ってくるし。
「今日は運が悪いな……」
 多分、WORST。そんな事を思ってため息を吐いた。

 アシュレーとマリナを責めるつもりは毛頭無いけれど。
 好きになったのも、好きでい続けているのも自分で選んだ道。
 だけど今は、全てを放り投げたい気持ちでいっぱいだった。
 もう、嫌だ。何やっても上手くいかない。

 膝を抱えるように座りなおすと、小さく体を丸めた。
 このまま二度と戻れなかったら、どうしよう。干からびて、死んでしまうのかな。
 そんな事を思った。
 ふいにアシュレーの笑顔が浮かんだ。あの人は。わたしが消えちゃったら、泣いてくれるのかな。
 泣いてくれなくてもいい、せめて、覚えていてほしい。
 それとも、怒るだろうか。その方が有りそう未来だった。
 でも彼の事だから。結構あっさり忘れて、マリナと幸せすぎる未来を築くのかもしれない。
(……ダメだ)
 感傷的になってる場合じゃない。うだうだしてる場合でもない。
 気持ちさえ伝えてないのに、このまま消える事なんて出来ない。
 どうにかして何とかして、みんなの所に帰るのだ。
 リルカはがばっと立ち上がった。……そして、そのまますぐにへたり込んだ。
「やっぱ動けない……、おなか減った」
 ああ、ヤキソバパンが思いっきり食べたい。
 何とかして帰ると意気込んだものの、さしあたっての困難は空腹だった。むむむ、と呻いて、リルカは無意識のうちにポケットを探っていた。
 そして指先がグミ型の大きさの何かに触れた。むにむにした感触。グミ、……じゃない。
「テレポートジェム!」
 あまりの嬉しさについ叫んでしまった。これで帰れる!
 テレポートジェムより幾分小さいそれは、リルカの手の中で淡い光を放っていた。
 テレポートジェムはテレポートオーブより安価であるが、その分精度が低いのがリルカにとっては問題である。
 ただでさえ今ひとつ制御出来てないのに、テレポートジェムで正しい場所に戻れる保証は無い。
 だけど、何としても帰らなくてはならないのだ。みんなの所へ。
 大好きな、アシュレーの所へ。
 リルカはテレポートジェムをぎゅっと握り締めると目を閉じた。
 頭の中でアシュレーの事を思い浮かべる。青い髪、優しい瞳、大きな掌、……あの人の姿を、寸分狂わず頭の中に再現する。
 飛べ、と念ずる。彼の元へ!
 光がリルカを貫いたような、そんな感覚が走った。

 次に目を開けると、そこはヴァレリアシャトーだった。
 何階なのかまでは分からない。だが、確かにここはヴァレリアシャトーだ。赤い絨毯とそこから長く続く廊下を、ひどく懐かしく感じた。
 空腹に倒れそうになりながら、しかし感動に震えた。
 実はまともに帰ってこれたのは、これが初めてだった。
「帰って、これた……」
 テレポートオーブでも出来なかったのに。それより精度で劣るテレポートジェムで戻る事が出来た。信じられない奇跡だ、と思った。
 でも、奇跡じゃない。これは現実。この近くに、アシュレーがいる筈だった。探さなければ。
「アシュレーッ!!」
 その場で声を上げると、近くで「わっ?!」と誰かが喚いた。
「リルカ?!」
 廊下を曲がったところに、アシュレーがいた。
 何か言おうとして、その前にリルカは何も言えなくなった。
「この、今までどこ行ってたんだよッ! 心配したんだぞ!」
 アシュレーはだかだかとこちらに近付いてくると、いきなりリルカを抱きしめたのだった。
 顔がかーっと熱くなるのを自覚した。ぱくぱくと、口を開けるがどれも言葉にならない。
「……大丈夫か? 怪我は?」
「うん。だいじょぶ……」
 ぎゅ、とアシュレーの背中に手を回した。ほっとする温もりに、ようやく戻ってこれたのだと思えた。

 ああ。運悪いなって思ってたけど、そんなでも無かったのかも。

 浮かぶニヤニヤ笑いを何とか堪えて、彼の耳元に囁くように言った。
「二人はディーに会えたの?」
「うん。でも、何とか言うアイテムが無いと協力出来ないって言われちゃったからそのまますぐ戻ってきたんだ。リルカの行方について相談しようって言ってた矢先だよ」
「そうなんだ」
 アシュレーに一番に会えて。こうして、ぎゅうと抱きしめてもらって。
 多分彼は意識せずにやっている事なんだろうけど、それでもいいのだ。
 この温かさは今自分だけのものだから。
 ほっとするのと同時に。きゅう、とおなかが鳴いて。
 アシュレーがははっと快活に笑った。
「何だ、腹減ってるのか?」
「違うもん……」
 きゅう。
 リラックスした途端に止まらない、おなかの虫。
「何か食べに行こうか?」
 お誘い、だ。
「行く行く!」
 アシュレーが何の気なしに手を差し出してくる。
 そのシチュエーションはまるきり朝と同じで。
 でも、リルカはそれを朝とは全く違う心持ちで繋いだのだった。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
アシュリルはあまり意識する事無く手を繋いでいる気がします。
兄と妹のような関係と申しますか。保護者と被保護者の関係。
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