雨音の向こうに


「あ、雨だ…」
 ぽつ、と窓を叩く音に、アシュレーはふと外を見た。
「ああ。ついに降って来ちゃいましたか。お客さん、傘持ってます?」
「いえ…」
 アシュレーは曖昧に否定すると、また窓の外を、曇った空を眺めた。

 アシュレーはARM屋に来ていた。いつもの通り、ARMの弾込めや改良などをしてもらうためにである。アシュレーの使うバイアネットという武器はそこそこ使えるが、それでも専門家による調整をしばしば必要とするなど、問題点も多い。今回も例に漏れず、定期的な調整をしてもらいにARM屋に来ていたのだった。

「さっきまで晴れていたのに」
 アシュレーが窓の向こうを見ながらそうぼやくと、ARM屋の主人はバイアネットをいじくる手は止めないまま笑った。
「お客さん、知らないでしょ。この辺りは特別天気が変わりやすくてね。しばらくすれば止むだろうよ。こっちの調整もまだ終わりそうにないしね」
 つまり、ARM屋でしばらく待っていろ、とそう店主は告げているのだ。すぐに帰ってくるとARMSのみんなには伝えているから、さぞかしみんなを心配させるだろう。それを思うと、アシュレーは生返事しか出来なかった。待っていてくれる人がいるのに、すぐに行動出来ないのはもどかしい。
 ARMSのみんなは今は宿屋で待機中だ。自由行動中といってもいいが、実質的にはアシュレー待ちの状態には違いない。こんな雨の中、好き好んで外に出る者がいるとも思えない。しばらくは差し迫った任務も無いため、ゆっくりとは出来るだろうがリーダーとしての示しがつかないのも本当の事だ。
 手持ち無沙汰になり、アシュレーは何となく窓に近付くと雲の模様を見つめた。店主はすぐに止むと言っていたけれど、一見した程度ではその様子は見受けられない。ARMの調整が終わるまでここにいたとしても、その頃に雨が止む保証など無い。例えば雨の中を宿屋へと戻ったとしても、傘の無い自分ではバイアネットを濡らしてしまうだろうし。そうなったらまたARM屋へと逆戻りだ。
「困ったな…」
 アシュレーは窓に背を向けると、壁に寄りかかってただARMの調整終了待ちに集中した。



 30分かそこら経ったあと、店主からようやくARMを受け取ってアシュレーはほっと息を吐いた。
 何だかんだ言っても、この武器が自分にとても馴染んでいるから。これが傍に無いと、何だか落ち着かないのだ。
「お客さん、迎えが来てるみたいだよ」
「え?」
 ふと振り返れば、窓の外に見えたのは赤いチェック柄の傘だった。その中にちんまりと見える赤い服の少女。紛う事無く、リルカである。
「…リルカッ?!」
 からんからん、とドアの上部に取り付けられた鈴を鳴らしてARM屋に入ってくるリルカ。迎えに来たよ、と何処か不機嫌そうな表情で言う。
「え?」
 きょとんとした顔で尋ね返せば、ちょっといらいらしたようにリルカは眉を顰めた。今日はちょっと短気らしい。
「だから、迎えに来たの。アシュレーったらいつまで経っても帰って来ないんだもん。わたしが使いっぱしりされてきたの」
 ブラッド辺りに頼まれたのだろう。リルカの顔に浮かぶ、その何処かブーたれた感じはそれが原因か。
「そういう事か…。悪かった」
「ううん、いいの。…それより」
「?」
 リルカの言葉は突然歯切れが悪くなる。俯いてごにょごにょと何か言うので、アシュレーは首を傾けてリルカの顔を覗いた。突然不機嫌さは影を潜め、リルカは恥ずかしそうにもじもじし始めた。彼女の頬に、少し赤みが差してきている。
「どうした?」
「…持ってくれるなら、入れてあげてもいいよ」
 ”???”と頭の上に疑問符をたくさん並べ掛け、ああ、と全てを了承してアシュレーは頷いた。きっと傘の事だ。
「背の高い方が持つに決まってるよ。リルカが持ったら僕の頭に傘が刺さるって」
「…あ…。うん、そうだね…」
 途端にがっかりしたように肩を落とすリルカ。それが何が原因であるかなんてアシュレーは全く見当も付かない上にそれ自体にも目が行かず、彼はリルカの手からさっと傘を奪い取ると、先にARM屋の外に出た。追い掛けるようにリルカが出てきて、アシュレーの服の袖を遠慮がちに掴んだ。それに大して、アシュレーは言い様の無い面映さを覚えながら二人はようやく宿屋へと歩き出した。



 しとしと。水溜りに足を突っ込まないように、二人して上手い事避けながら宿屋へと進む。この辺りの道路はまだ舗装されても無い。泥濘に足を突っ込まないように気を付けなければならない。
「なんかさ…」
「うん?」
 リルカの声は、雨音に掻き消されてよく聞こえない。そうでなくともいつもよりずっと控えめな声量で、どうかすると聞き返さなければならない程だ。いつもだと、どちらかというとうるさいくらいだとアシュレーは認識しているのだが、その日常とのギャップに面食らうばかりだ。
 雨の音の所為かもしれない。ぽつ、ぽつ、と傘に当たって流れていく雫。その音は思ったより大きく、声すら掻き消していく。
「こういうのってさ…あ、相合傘、みたいだよね…?」
 一瞬言っている意味が分からなくて、黙り込む。
「『みたい』も何も、これって相合傘じゃないのか?」
「う…。あう、そういうんじゃなくて…」
「そういうんじゃなくて?」
「…ううん、何でもない」
「変なリルカだな。一体どうしたんだよ?」
「どうしたもこうしたも…もうっ、アシュレーのニブチン!」
 ぺちんと腕をはたかれて、アシュレーはイテテと零した。
 ――と、そうこうするうちに、ついに宿屋が近付いて来た。何処か遠い目で宿屋を見上げるリルカを、アシュレーは不思議そうな顔で見つめた。こんな目をするリルカを、自分はついぞ知らなかった。ひょっとしたら、自分はリルカの事を分かっているつもりで、全然分かっていなかったのかもしれない。
 その元気の欠けたリルカが、雨音と同じくらいの静けさでぽつり、と呟いた。
「残念だな…」
「え?」
 ささやかすぎて、アシュレーの耳には届かない。リルカは最初からアシュレーには聞こえていないのを承知だったようで、いつもの元気に満ち溢れた笑顔を浮かべるとアシュレーの手を引っ張るのだった。
「ほらあ、ARMSのリーダー! 雨だって止んできたんだし、みんなと合流して出発しようよ!」
「えっ? わあっ!」
 リルカはぱっと傘をアシュレーから奪い取ると、ぱちんと閉じる。その天真爛漫な笑顔の向こう側では、厚い雲が晴れ始めて大きな虹がかかっていた。
 
「――ああ、そうだな」


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
半年くらいかけて書いた気の長いアシュリル短文でした。
もどかしさとかじれったさとか感じてもらえれば幸いです。
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