繋がっていく、約束


 やくそくをしようよ
 てをつないであるく
 やくそくをしようよ
 ひとりでなかない…

 聴こえてきたのは、少女の歌声だった。
 酒造郷ゴウノンにて、アヴリルはその声が聞こえてくるのがどちらの方向なのか分からずあちこちに視線を巡らせた。
 歌っていたのは、橋の向こうにいた青い服の女の子だった。その歌は童謡のようでもあり、そうでないようにも思える。ほっとするようにも聴こえるが、どこか切なさで胸の奥がつんとするようにも聴こえる。
 なぜだかその少女から目が離せなかった。
「アヴリル?」
 ふらふらとそちらに歩いて行こうとするアヴリルを制したのはディーンだった。振り返らず、真っ直ぐ進みながらアヴリルは告げた。
「ごめんなさい、ちょっとおじかんいただけますか」
「え? いいけど…」
「何、どうしちゃったわけ、アヴリル?」
「あのおんなのこ… あのうた、が」
「歌? …上手かったね、あの子。でもそれがどうかしたの?」
「もっとちかくで、あのうたをちゃんときいてみたいのです」
 約束。その言葉が、アヴリルの脳の中に響いていた。
 何かを思い出しそうなのに、何かがそれを阻んでいる。そんな気がしていた。
 約束。大事な約束を携えてここへやってきたような。
「いいよ。アヴリルがそんな積極的に何かに興味を持つなんて珍しいもんね。ひょっとしたら記憶と何か関係あるのかもしれないし。ディーンもいいよね?」
「異論はないぜッ!」
「ありがとうございます、ふたりとも」
 三人で、おそるおそるその少女に近付いた。真っ白なリボンを頭につけている。アヴリルより五歳以上は年下だろうと類推する。
「あの、すみません…」
「はい? …何でしょう?」
「そのうた、すてきなうたですね」
 真っ直ぐで衒いの無いアヴリルの褒め言葉に、少女は照れた笑みを浮かべた。
「あ…ありがとうございます…」
 そこで少女は、ふとアヴリルの後ろにいるディーンとレベッカに視線をやった。アヴリルとレベッカはともかく、ディーンは筋肉もついており渡り鳥然とした雰囲気を漂わせているのに気付いたらしかった。
「あの…あなた方は、ひょっとして渡り鳥ですか?」
「うーん、まあ、そんなトコかな?」
 厳密には違うのだが、ディーンは胸を反らして自慢げに言い切った。後ろで「アンタそれじゃ経歴詐称…ッ」とレベッカが小声で窘めるが、少女にはその言葉は聞こえなかったようだ。
「でしたら、あなた方の腕を見込んでお願いしたい事があるのですが…」

 ユウリィ・アートレイデと名乗った少女の「お願い」とは、八年前に生き別れた兄の捜索だった。
 それまではハニースデイで二人仲良く暮らしていたが、ベルーニ族の人狩りに遭いそうになったところを逃亡し、その途中で兄の行方を見失ってしまったとか。特徴としては、少女と同じ茶色い髪をしており、自転車が趣味で自分の自転車に名前を付けているそうだ。
 兄を見失う直前、少女は兄と別れる前に「再び巡り合うためにどんな事があっても生きる」、という約束をしたという。その約束だけを胸に今までひとりで少女は荒野で生き抜いてきたという。
 単に生き抜くだけでなく、少女自身も兄を探すためにあちこちを点々としているが、本人が渡り鳥ではなく世界中を自由に旅行出来る身分に無いためにそれにも制限があると言う。FXチケットを自由に手に入れられる渡り鳥に頼んだ方が確実だし、それに魔獣との戦い方も少女よりは渡り鳥の方が心得ている。
 少女は渡り鳥ではなく、それを補佐するパラディエンヌでしか無いのだ。
 それは歯痒いですが、結局は頼るしか無いのです、と少女は締めくくった。

「引き受けてはいただけないでしょうか…?」
 突然にして初めての依頼に、戸惑うばかりの三人。そもそもディーンは未だに正式なゴーレムハンターでないために、FXチケットは手に入れられない事を、一体どうやって説明したものか。こちらを信じきっているきらきらした瞳を濁らせるのは胸が痛む。
「うーん、そう言われてもな…」
「報酬なら、わたしに出来るだけのものはお支払いします。…」
 懇願する少女に押されて、なかなか「お断りいたします」の一言が出てこないディーン。
「報酬、とかそういうんじゃなくて。オレたち、今ジョニー・アップルシード探しで、正直それどころじゃ――」
「このおしごと、ぜひひきうけましょう。ディーン」
 渋る口調のディーンに歩み寄り、彼の意見とは全く正反対の言葉を述べたのはアヴリルだ。
「アヴリル?!」
「…いや、ですか?」
「嫌じゃないけど。でも、ジョニー・アップルシードが…」
「いいのです。それほどいそいでませんもの。わたくしのことをあとまわしにしても、このこのねがいをかなえてあげたいのです」
「お兄さんと再会、ってのを? …珍しいね、アヴリルが何かに拘るなんて。大体いっつも『みなさんとおなじでかまいません』って言うのにね。再会させる事と記憶とが何か関係あるのかな?」
 自説を唱えてみせたのはレベッカ。わかりません、とアヴリルは弱々しく首を振る。
「でも、あのうた。…なんだかさみしいきもちでいっぱいになりました。わたくしはこれいじょう、このこにあのさみしいうたをひとりでうたってほしくはないのです」
 知っている。とアヴリルは感じていた。過去に、少女はあの歌を口ずさみながらひとりで泣いていた。ひとりで泣かないための約束の歌を、きっと泣きながら。
 知っているのは、どこかでそれを経験したから。自分にも、似たような事をした覚えが、どこかにある。約束を守れない事を、知っている。
 約束。それがあるから、切なくなる事がある。約束。どうしてこの言葉が、これほど胸に痞えるのか。アヴリルは自分の事でありながらまるで説明出来なかった。
「アヴリルがいいのなら、オレもいいけど。人助けは、気持ちいいもんなッ!」
「こうやって、また脱線していくってわけね…」
「引き受けていただけるんですね…ありがとうございます!」
 少女はにっこり微笑んだ。
 しかし、その微笑みの影にある寂しさを思い、アヴリルは笑えなかった。
 知っている。先程からその事ばかり考えている。
「なるべくはやく、さいかいさせてあげましょうね、ディーン」
 それだけを言うのが精一杯だった。
 少女から「これを兄に見せれば、きっと兄はわたしの事が分かる筈です」とオルゴールを預かると、三人は旅路を急ぐのだった。



 少女の兄・クルースニクに会えたのは、ようやくA級ライセンスを手に入れて列車に自由に乗り降り出来るようになった頃だった。それでもライセンスを手に入れてすぐに探しに行ったのだから、まだ早いと言えるだろう。
 結論から言うと、探し人がいたのはカポブロンコの里だった。青い鳥の話のようだとふとアヴリルは思った。散々探し回った挙句、出発地点に探しものはある。鳥も人も同じだ。ただし探し人が見つかったのは本当に偶然だった。探そうと思って辺りをくまなく探索したから見つかったのではない。彼が見つかったのは、ちょうど探索を打ち切り一端小休止を挟もうとしていたところだったのだ。
 茶色い髪に、自転車をこよなく愛する人。カポブロンコの里を何気無くぶらぶら歩いていた時にアヴリルが発見したのは、まさにそういった風貌の人間で、間違いなく依頼人の探し人だった。
 休憩だからという事で、ディーンもレベッカも自宅に帰っていた。二人を呼びに行こうとしたアヴリルだったが、彼と話してみたいという気にふとなり、熱心に自転車をいじっている男の背中に話し掛けた。
「あの…すみません。クルースニク・アートレイデさんですか?」
 男は仏頂面のまま立ち上がると、不審気な目でアヴリルを見た。第一印象は、よく似ている、だった。さすが兄と妹と言うべきなのか。端正な顔がそこにはあった。妹もあと数年すれば立派な美少女になるだろうと推測できた。
「そうだが…俺に何か?」
「あずかりものです」
 ぽん、と両手に乗せて見せたのは預かっていたオルゴールだ。鳴らそうかと蓋を開けかけた瞬間にそれは奪い去られる。
「これは…ッ! なぜ、これを!」
「いもうとさんからあずかったんです。あなたをさがして、わたすようにと」
 男の目に束の間浮かんでいた焦りが消え、入れ違いに表れたのは安堵だった。
「わたくしはゴーレムハンター…の、ようなものです。かのじょからあなたをさがすようにいらいをうけていたんです。…ずっとまえから、あなたをさがしていたんですよ」
「そうか、そうだったのか…妹に代わって礼を言おう。きっと生きていると信じてはいたが、確信が持てるというのは喜ばしい事だな…」
 途端にデレデレしだしてオルゴールを撫でる男を見て、アヴリルはひとり首を傾げた。
 何だかまだ、言っていない事があるような気がする。
「やくそくです」
「? 何の事だ?」
 男はアヴリルを見る事もせず、ひたすらオルゴールを撫で繰り回している。妹の生存が確認できて嬉しい、という気持ちが十分伝わってくる。だが、アヴリルの脳裏にはいつまでも寂しそうに歌う少女の横顔がこびり付いて離れなかった。
「ユウリィさんと、やくそくをしたんですよね? …あのうた、」
「ああ、あれの事か。昔、ひとりになるのを怖がった寂しがり屋の妹に教えてやった歌だ。お前はひとりじゃないから、何も怖がる事なんて無いと。俺がきっと離れていかない事を約束すると。あれはそういう意味の歌なんだ。離れていても心はひとつだと。…考えてみれば今の状況と同じだな」
「はなれていても、こころはひとつ…」
 約束。絶対だから。

 もういちどあえる。

「…ッ」
 突然頭を押さえたアヴリルに、男は驚いて「どうした」と声を荒げた。今何かがアヴリルの脳の中を駆け抜けた。それはあまりにも一瞬で、幻影すら捕まえられない。走り去る頭痛は一瞬で、すぐに消え失せる。
「ごめんなさい…なんでもないんです。…」
「頭痛か? あとで医者に行くといい」
「…はい。あの…」
「分かっている。妹には俺から手紙を出しておこう。必ず迎えに行くから、待っていてくれとッ!」
 そう言い切って、また男は自転車へと体を向ける。もうアヴリルとの話は終わりだ、と言わんばかりに背を向けられて、慌ててアヴリルはその背中に語りかけた。
「あの、やくそくを、まもってくださいね」
「約束? …何の事だ? あなたと約束なんてした覚えは――」
「そうではなくて。いもうとさんとのやくそくを、まもってくださいね。ひとりにはしないであげてくださいね。きっとです。やくそくです。やくそくはやぶっちゃだめなんです。だってわたくしみたんです。あのこがとてもさびしそうにうたっているのを。…」
 男は黙って聞いている。
「これいじょうあのこにさびしいおもいをさせないであげてください。やくそくをしたのなら、かなえてみせてください。おねがいです」
 どうしてこんなに懇願口調なのか、自分でも分からない。
 だけど、約束の歌は、寂しい顔して歌うものでは、本当は無い筈だから。「約束する」という行為は、もっと前向きである筈だから。それを思って切なくなるものではなく、前に向かって頑張るための力になる筈だから。
「ずっとひとりであのこ、がんばってきたんです。つらいとき、くるしいときにささえになったのはあなたとむすんだやくそくでした。…あのこのきもちを、どうかふみにじらないでください」
 男はそのまま、アヴリルには顔を見せなかったが、ひとことぼそりと呟くのだった。
「そうだな…約束は、きっと守ってみせる。妹のために」

 なぜだか、ひどく泣きたいような気持ちになった。
 この男は約束を守って、近いうちに妹との再会を果たせるだろう。きっとそこにあるのは幸せな未来だ。悲しい歌はもう響かない。悲しさは終わる。依頼人も、探し人もみんな笑顔になるハッピーエンド。
 約束。こんなに拘るのは、きっと過去に自分が約束を守れなかったからなのだ――



 長い戦いが終わり。ディーンとレベッカはリリティアを連れてようやくカポブロンコの里に帰ってくる事が出来た。これからどうするか、未来設計は何も立てていない。ひとつだけ確定している事といえば、リリティアと仲良くして優しい記憶でいっぱいに満たしてあげる事。今はまっさらなリリティアに、もう一度。
 全く知らない世界に戸惑うリリティアをひとまずディーンの家で休ませている途中、レベッカは居たたまれなくなりその場を飛び出した。色々と思う事はあるものの、とりあえずディーンとリリティアを二人にしておきたかった。
 そう思って外に出たところでばったり会ったのは茶髪の男性だった。村を出る時、旅の始まりの頃にカポブロンコの里に居つくようになった住所不定・無職の男だ。顔はいいのに、ものすごく勿体無い。あの時も感じた印象を再びレベッカは覚えていた。
 その男の傍らに立つのは茶髪の少女に白いリボンの少女。男と顔つきがよく似ている。どこかで見た事がある気がする、と考えた瞬間、あ、と声を上げたのは少女だった。
「あの…ゴウノンでお会いしましたよね」
「…。ああ、お兄さんを探してた依頼人! 良かった、会えたのね?」
「その節はありがとうございました」
「いえいえ、お役に立てたなら良かったわ」
 ぺこりとお辞儀する年の割に礼儀正しい少女に、思わずつられてレベッカもお辞儀。男は我関せずの姿勢のまま畳み掛けるように質問した。
「あの銀髪の女性を見かけたような気がしたのだが…ここにいるのか?」
「兄と再会出来たのもあの銀髪の女性のおかげだって、わたし達考えてるんです。だから、是非お礼を、と思って」
 レベッカは答える前に目を伏せた。
「…今は、ちょっと。折角だけど、二人を見ても、二人の事は思い出してくれないと思うの」
「どういう意味だ? …記憶喪失か何かか?」
「そんなようなとこ、ね」
 詳しいところは曖昧に誤魔化して。もはや本人であって本人ではないなどと、どうやったら説明できるのか。嘘は吐いていないにしても。
「残念ですね…」
「でも…会ってあげて。記憶がなくても、『アヴリル』がどういう行動をしたのか伝えてあげて。きっと喜ぶから」
「そうだな。記憶が無くとも、俺たちには言わなければならない言葉がある」
 男は俯く。「礼を言いそびれたんだ」とぼそぼそと呟いた。
「あの人があればこそ、俺は妹と再会出来たのだし、それに…」
 ふと遠い場所を仰ぐ男。少女は男の腕にそっと触れている。彼らの手が恋人繋ぎなのをレベッカは静かに見つめていた。
 ――この人たちは、アヴリルとは違う。ちゃんと約束を果たせたのだ。と直感した。アヴリルのおかげだ、と二人は口を揃えて言う。当の本人は約束するだけして果てしない遠くに行ってしまったというのに。約束の意味を、彼女は分かっていたのかどうか。
「それに…?」
 尋ねれば、返ってきたのは思いも寄らない一言だった。
「約束の意味を、もう一度取り戻す事が出来たんだ」

 もういちどあえる、きっと。


おしまい


■あとがき
ここまで読んでくださってありがとうございました。
約束、という言葉に、アヴリルは記憶が無くても反応しちゃうと思います。
WA4との共通単語を見出しつつ、アヴリルにキューピットになってもらいました。
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