glauben


 彷徨い続けた八年間は終わりを告げて、ようやく再会出来たクルースニクとユウリィ。ミラパルスで八年分の抱擁を済ませたあと、ユウリィはクルースニクの住んでいるカポブロンコの里へと移動する事になった。
 二人で荷物を持ち合い持ち合いしつつ、ようやく彼が住んでいたというカポブロンコの里まで辿り着く事が出来た。その里はハニースデイやミラパルスよりも更に田舎で、過疎化が進む所為でベルーニ族も寄り付かないと聞く。ここならば、ベルーニの人狩りの恐怖に怯える事無く生きていける。もう二人が別れる事は無いのだ。
 彼が住んでいるという家に辿り着いて荷物を置いて一休みして。そこまでしてようやく、自分も今日からここで暮らすのだと感慨深い気持ちになっていた。

 夜。
 スーツケースに仕舞い込んだ荷物がどっさり片付いた頃、ユウリィはクルースニクの部屋で休憩していた。勿論傍らにはクルースニクもいる。本来ならばひとりででも出来る作業で、しかもこんな場所で休む道理も無いのだが、折角の時間を二人で過ごしたかったのだ。それはクルースニクも同じ気持ちも見え、何くれと無く要らぬ世話を焼こうとしている。構いたくて仕方ないらしい。クルースニクの差し出した手に導かれ、ユウリィは彼の隣に腰掛けた。椅子代わりのベッドの心地よい反動。差し出された掌を受け取って、そっと握った。こうして手を握るのだって、八年ぶり。彼が確かに「生きている」と感じられるのが嬉しくて、ユウリィはクルースニクに寄りかかった。
 今までは想像で「きっと生きている」としか思えなかった。でも、もう不安は無い。妄想に取り憑かれる事も無いのだ。きっと生きている、のではなく、自分の隣で、彼は生きているのだ。
「ずっと信じてました。きっと兄さんは生きているって」
「俺も信じていた…と言いたいところだが、どうかな…」
 戻ってきた返事は、予想もしない曖昧さで包まれていて。
「兄さん?」
「俺は怖かったんだ。信じてはいたが、もしか、そうでないと言い切られたら…。俺は生きられなかった」
 人一倍思い込みの激しい彼なら、「生きられない」と言ってしまっても何の不思議も無い。彼が絶望して自殺でも決行してしまう前に再会出来て良かった。漏れ出る、溜め息。
「…だから、わたしを探す事もしなかったんですか?」
「そうだな。お前より度胸が無い」
 年の割には、思い込みが激しくて視野狭窄な面も持ち合わせている。それがクルースニク・アートレイデという人物だ、とユウリィは思っている。八年も経ってもその認識が変わる事が無かったのは喜ぶべき事なのかどうか、彼女にはちょっと判断がつかない。
「ユウリィ、訊いてもいいか」
「はい、何でもどうぞ」
 躊躇いのための数秒のあと、クルースニクは切り出した。
「ゴウノンではどうやって暮らしていたんだ?」
「兄さんとはぐれてからは、とあるご家族のおうちに居候して、林檎絞りのお仕事してました。ゴウノンに滞在するにしても、世界中を回って兄さんを探すにしても、やっぱりお金が必要ですから…」
「俺が言いたいのはそういう事じゃなくて。…その、だな」
「?」
 胡散臭い咳払いなど、してみせる。
「一般的に言うような、…『彼氏』というヤツは…」
 何を訊くかと思えば。もう、と苦笑すると、クルースニクははっきりと気分を害した。
「笑うな。いいか、俺は真剣に尋ねているんだ。俺を親だと思って、いるのならいると…ちゃんと申告してほしい」
「いません、そんなの」
「本当か」
「本当です」
「それならいいが」
 「それならいいが」の「が」に込められた拭いきれない不信感に、ユウリィは眉を顰めた。
「信じてないんですね?」
「いや、信じている」
「…嘘つき。動揺して目が泳いでますよ。…これなら信じられますか?」
 クルースニクの横顔に顔を近づけて、一瞬だけ口付けた。自分の唇に僅かに感じる、ヒトの皮膚の感触。触れた、と思う頃には離れている。何が起こったのか分からない、というふうに片頬を押さえてあっけに取られる兄に、今更ながら恥ずかしい思いを抱きながら呟いた。
「…初めてなんです」
「ユウリィ…」
「わたしの初めては、みんな兄さんのものです」
 それを誰にも、渡したりなんてしません。
 それだけを赤面しながら何とか言い終えると、恥ずかしさに耐え切れなくなりそっとベッドから立ち上がった。そのまま窓まで向かうと、少しだけカーテンを開いた。見上げた空の上には、真白い月がぽっかり浮かんでいる。月明かりで、街もどこか明るい。月夜はこんなにも明るいのだ。自分の顔だって、きっと全部クルースニクには見られている。
 自分なりの、精一杯の告白のつもりだった。その気持ちは愛情、または思慕と言ってもいいかもしれない。あの時、八年前に別れてしまったあの日から、ひたすらに想い続けてきた。失って初めて、自分にとってどれだけ必要なのか思い知らされたのだ。肝心な時に動けない不器用な兄、信じていると言いつつも疑り深い兄が、それでもやっぱり大好きなのだ。
 ぎし、と音を立ててクルースニクがベッドから立ち上がるのが聞こえた。足音を立てて、こちらに近付いてくる。
「…ユウリィ、」
 硬い声に、混じる優しい甘さ。

「今夜は離さない」

「…!」
 背中からぎゅっと抱き締められる。声も出なくて、ただその温かさに甘えた。耐えてきた八年分の思いを込めて。きっとそれは、兄も同じなのだ。八年分堪えてきた思いは、同じように積もるばかりだ。
「…いいな?」
 こくり、と小さく頷いて。
 自分の体に回されているクルースニクの腕に、そっと触れた。



 目が覚めた時、一番に見えたのは24歳のクルースニクだった。
 しばらくぼうっとしたあと、ああ、と現実を思い出した。一瞬分からなかったのは、子供の頃の夢を見ていたから。自分は夢の中で7歳で、その時の兄は16歳だった。思えばこの頃から幼心にもこの人をずっとずっと好いていたのだ。思春期真っ只中の兄が、八年ぶりに会ってみればすっかり大人になっていた事に関しては、衝撃が無かったといえば嘘になるけれど。一番恰好いい時期に再会出来て、それはそれで良かったのかもしれない。
 天井に目をやって、しばらくぼんやりしていたあと、ふと気付けば、兄がこちらを見ていた。いつの間に起きたのか、というくらい静かな寝起きである。
 そういえば、昨夜。兄に彼女がいるのかどうかは訊かなかった。…愚問だ。一見凛々しく見えるからそれなりには女性からの視線も浴びているだろうけれど、この生真面目さは付き合うのにはいささか問題だ。無論、兄に彼女がいないと断定出来る理由はそれだけではないが。
「…起きてたんですか?」
「ああ。…お前の寝顔は、子供の頃から変わらないな、と思って見ていた」
 出し抜けに言うのは、朝の挨拶では無く。同じベッドで寝起きした事実を、ふと面映く感じた。
「…兄さんだって、そんなに変わってませんよ」
「そうか?」
 笑みを零すクルースニク。大人の格好よさを見せ付けるような整った笑みに、ユウリィは思わず顔が赤くなるのを自覚した。気持ちを逸らせるために、ユウリィは無理に話題を転換した。
「し、信じてくれました? わたしの事」
 自分の気持ちが本当で、ここにいるのも本当で、ひとりなのも本当だって事を。
 クルースニクはしばらくその場で考え込んでいたが、ふ、と口の端に何か思わせぶりな微笑みを浮かべた。
 そして、行動に出た。
「…まだ足りないな。まだ信じ切れない。だから――」
 がばっ、という音。
「ひゃあッ?!」

 ――大変な男の人と、一緒にいる事を選んでしまったのかもしれない。

 クルースニクとの甘い(…ゆえにユウリィにとっては過酷な)生活が、今日から始まる。


おしまい


■あとがき
ここまで読んでくださってありがとうございました。
兄は多分妹が生れ落ちた瞬間から恋に落ちっぱなしなんじゃないかと。
今回のコレがアレなシーンの解釈はまかせます(笑)
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