守りたいもの


 何気無い、宿での一日。
 今日は雨がひどくてどこにも出て行けそうにない。じとじとと降る雨を眺めながら、4人は退屈な一日を過ごす事になった。

 空は、灰。
 時折ごろごろと不吉な音も鳴る。鳴るけれども稲光が確認出来ないだけマシといったところか。ユウリィの隣でジュードが「光るかな? 光るかな?」と目を輝かせていた。ラクウェルとアルノーは先程から隣室にいる。邪魔しない方がいいのは分かりきった事だった。
 ジュードは窓にへばりついている。ユウリィはというと、そんなジュードを少し遠くから眺めていた。開け放されたカーテンを、出来れば閉めてもらいたかったが、言い出しづらかった。代わりに口から出たのは質問だった。
 重く積もった雲は光を遮っている。ここからでは太陽が確認できなかった。
「ジュードは、怖くないんですか?」
 ジュードはその突拍子も無い質問にしばらくきょとんとしていた。
「怖いって、雷が?」
「うん」
「怖いわけないよ。ぴかぴか光るのがきれいだから、僕は好きだな」
「…」
 まさに雷のぴかぴか光るのが苦手であるユウリィは、目を伏せて押し黙る事で静かに否定の意見を伝えた。光れば嫌でも思い出す、白い孤児院での悪夢。
 彼女を縛るのは、雷雨の中での思い出。

 その日は朝から雨が降っていた。昼頃になるとそれに雷が混じり、いよいよ悪天候になってきていた。
 そこは閉ざされた研究所。外からは「白い孤児院」と呼ばれる、実際には孤児院など名ばかりの人体実験を行う研究所にして、ユウリィにとっては白い墓場であるその場所で。
 ともだちがひとりしんだ。
 その友達と遊ぶためにその子の部屋に行き、ユウリィが最初に見つけたのは、明滅する光の中で血を吐いて倒れている友達の姿だった。
 駆け寄る事さえ、出来なかった。その名を呼ぶ事だって。
 それは死体ではなく、既に塊と成り果てていた。意味を理解する事を拒絶して、ユウリィは一歩も動けずにそこで固まっていた。
 電気の点いていないこの部屋で、思い出したようにちかりちかりと光るのは雷だ。その度に、思い出したかのように部屋の一部が赤に染まる。そして死体と。轟音。
 目をカッと見開いたまま友達は絶命していた。空が光る度に、死の直前まで浮かべた苦悶の表情が見えた。
 暗い。暗い。空はこんなにも真っ暗なのに。赤い。赤い。
 あかいかみなり。
 …それ以来、ユウリィにとって雷は忌むべきものとなったのだ。

 浮かない顔つきをしているユウリィに気付いたらしく、ジュードが謝ってきた。
「ごめん」
「何がですか?」
「だって、ユウリィは雷好きじゃないんでしょ? カーテン閉めた方がいいよね」
「あ…いえ…。ごめんなさい」
 気を遣わせた事を謝ると、ジュードは眉を顰めた。
「またそうやって。ユウリィは謝らなくてもいいよ。今のは僕の所為なんだから」
 しゃっとカーテンを閉めたあと、ジュードはにこっと笑ってみせた。
「でもね大丈夫ッ! ユウリィの事は僕が守るから。雷なんて落とさせないから平気だよ」
 いつもの台詞を口にした。
 彼は元気付けるつもりでそう言ったのだろうけれど、ユウリィの顔はますます曇った。
 ジュードはそれには気付かない。

 ユウリィの事は俺が守るから。
 昔、同じ事を言われた事がある。
 あのあと、血だまりの池のほとりで衝撃のあまり立ち竦んでいると、誰かがそれに気付き駆け寄ってきた。
「ユウリィ、…ユウリィッ、しっかりしろ!」
 肩を揺さぶられてようやく我に返ると、そこには兄がいた。
 唯一安心出来る存在を認めたユウリィは、ほっとするのと同時に脱力して兄にしがみついた。
 今更、足ががくがくと笑っている。さっきまで何とも無かったのに。
「兄さん…ッ」
 兄、クルースニクは何も言わずただぎゅっとユウリィを抱き締めた。
「もう、こんなのは嫌ぁ…ッ! もう、わたし、嫌だよ…!」
 つらいくるしいたすけて。
 昨日まであんなに元気そうに笑っていた友達が、今日になって突然動かなくなる。その落差に耐えられない。どう対応したら良いのか分からない。明日は我が身だ。次に冷たくなっているのは、自分かもしれない。
 その恐怖に耐えられない。
 そして、それ以上に耐えられないのは。
 頭の中に浮かんできたその考えを振り払うために、兄の体に回した腕の力を強くした。
 いなくならないで。
 ひとりにされるのは、自分が死ぬ事よりも恐ろしい。
「ユウリィ」
 クルースニクはユウリィを抱き上げると、ひとまずその場から離れる。血の池が徐々に離れていくのを、ユウリィは目を逸らさずに見ていた。目を逸らせなかった。
 部屋に戻ると、クルースニクはユウリィを下ろし、膝を折ってユウリィと同じ目線に立った。親指の腹でいつの間にかユウリィが流していた涙をふき取ってやる。
「お前の痛みも苦しみも、全部俺が引き受ける」
「…兄さん」
「お前は苦しむ必要なんて無いんだ。だから、どうか泣かないで…」

 思い出す、その言葉に胸が痛んだ。あの人は、自分を言葉通り守ってくれていた。つらい時、いつも傍にいてくれた。…今は、そうではないけれど。
「ユウリィを守るから」
 くどい程に繰り返す、ジュードの台詞に、思わず否定の言葉が口をついて出た。
「そんな事、しないで下さい」
「…え?」
「しなくていいんです」
「どうして、そんな事」
「…」
 …兄さんがいつか迎えに来てくれたら、わたしはきっと兄さんの所に行ってしまうから。ジュードを裏切るような真似、したくないんです。
 その言葉全てを飲み込んで、ユウリィはまた黙り込んだ。言えるわけが無い。
「何と言われても、僕はユウリィを守るから」
「ジュード…」
「そんなに言うなら、ユウリィも何かを守ればいいよ。僕はその何かを守るユウリィを、守るから」
「わたしの守りたいもの…」
 考える。記憶の中に埋もれる、兄との記憶。
 白い孤児院での過去など、出来るものならば投げ捨ててしまいたい。そうしないのは一重に兄との思い出があるからに他ならない。
「ユウリィにだって、あるでしょ? 守りたいもの」
 僕だって、そのために戦ってるから。とジュードは言う。
 ユウリィ・アートレイデの守りたいもの。
 きっとそのためになら、力を振るえる。
 今はいないあの人を、守るために。

 ――ユウリィの事は俺が守るから。

 今度はわたしがあなたと、あなたとの思い出を守る番です。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
兄も妹もお互いの事を守りたいと感じているのに、どうしていつもすれ違うのか!
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