殺したのは僕


 フロンティア・ハリムに程近い、森の中。
 森林保護官としてその後の未来を定めた、ジュード・マーヴェリックの暮らす小さな世界がそこには有る。

 ジュードは自らが暮らす小さな家の中で、まんじりともせずに紙片を眺めていた。
 葉書だった。美しく傾いだその字は、裏にこちらの住所と、送り主であるユウリィ・アートレイデの名前とその住所が書かれている。
 先程郵便配達員が持ってきたものだ。来た瞬間、ユウリィからだろうという予感はあった。実を言うと、ユウリィから葉書が届くのはこれが初めてではない。ユウリィの期待に沿った事は一度も無いけれど。
 ジュードへ、という言葉から始まる手紙を、ジュードはゆるゆると読み始めた。内容は分かっているけれど、丸ごと無視出来る程ジュード自身も強くは無い。

「ジュードへ

 元気ですか?
 私は毎日子供たちに囲まれながら、相変わらずだけれど充実した日々を過ごしています。ジュードが何も言わないから推測する事しか出来ないけれど、ジュードの生活も充実しているのだと信じています。どうでしょうか? 私の予測は、当たっていますか?
 この前、ジュードが私に何も言わずにハリムに戻ってきたと人から聞きました。
 連絡くらいしてくれたっていいのに、最近のジュードはいつも私の知らない所でこっそり帰っているのですね。
 たまには顔を見せて下さい。そうすると、私も安心出来ます。
 何だったら、またご飯を作ってあげてもいいですよ。
 ともかく、心配なのでたまには連絡下さい。

あなたのユウリィより 愛を込めて
ユウリィ・アートレイデ」

 ユウリィはどうやら、彼があまりにもハリムに戻ってこない事に心配をしているらしい。
 けれど、とジュードはぼんやり考えていた。葉書は破るわけにはいかないけれど、ハリムには戻れなかった。
 ハリムに戻る事は、そう多くは無い。生活必需品や食糧が足りなくなった時にしか、滅多に森を出ない事にしている。
 怖いのだ。
 これから発展していくだろうハリム。その変貌をこの目で確かめるのが怖かった。愛した田舎が何か違うものに変わっていく様など、見たくなかった。空が割れてしまった故郷の事を、つい思い浮かべる。変わらない方が、結局良かったに違いないのに。
 そして何より一番大きい理由は、村をうろつく事でユウリィに出くわす事なのだ。
 彼女とは、少し微妙な仲である。言葉にはしにくい。言うなれば過去に危機を一緒に乗り越えた経験のある、元仲間。唯一ハリムに残った元仲間である。他の仲間とは結局散り散りになり、あれから10年経つけれど再会は果たせずにいる。どうしているのか、ジュードは全く知らない。
 その残った元仲間のユウリィに会うのが、特に近年怖くなりつつある。
 理由は、簡単だった。
 ジュードは未だに、あの事件から10年以上も経っているにも関わらず真実を話せないでいるのだった。ユウリィの兄であるクルースニク・アートレイデが一体どうなってしまったのか、未だに彼女に告白出来ずにいる。
 彼は落ちた。その一言が、どうしても言い出せなかった。全て告白したなら、肩の荷を下ろす事も出来るだろうけれど。言える機会はどこにも無かった。
 しかしそれだけなら、まだ良かった。自分は彼女のために死ぬまでこの秘密を保持し続けるだけだっただろう。だがこのところの彼女の様子を見るにつけ、彼女の傍にいるのが耐えられなくなってきていた。
 信じているのと彼女は言う。あの人の帰りを、ずっと待つと彼女は言う。あのきらめく瞳も、あの小鳥の囀りのような声も、全てそこにはいない彼のものだった。あの熱い視線は全てそこにはいない彼のもの。居たたまれなかった。
 さりとてユウリィがジュードに真実を話すように強要した事など一度も無いのが、さらにつらかった。それらしき話を匂わせた事さえ無かった。いっそ責めてくれた方のが楽だったかもしれない。ユウリィは誰を責める事もせず、ただじっとその場でクルースニクを待ち続けているのだった。
 2、3年前では口にさえしなかった「信じている」なんて言葉。敢えて言葉にする事で彼女が自分自身に信じさせているような、そんな気がしたものだった。
 ユウリィの隣にいるのが申し訳なかった。無理して信じようと努める彼女の隣で、のうのうとは生きられなかった。どうあっても彼が戻ってくる事が無いと知っているのは自分だけだ。話せなかった。笑顔の下に泣き顔を隠す彼女に今そんな事を告白したら、どうなってしまうか分からなかった。おそらくは彼女の世界は終わってしまうだろう。どう言ったら傷付けずにクルースニクの事を諦めてもらえるのか、それさえ分からなかった。自分が上手く言葉を選べるとも思えなかった。
 殺したのは自分だ。長年、その事実に苛まれ続けている。
 もっと自分が懸命に手を伸ばしていたら、もっと自分が上手く言葉を選んで彼を説得していたなら。きっと彼は、落ちたりなどしなかったのだ。そうして彼はユウリィの元へと戻ったに違いないのに、自分の選択が下手だった所為で、自分が子供だった所為で全てを台無しにした。
 申し訳なかった。どうユウリィに言い訳したらよいのか、見当も付かなかった。
 だから、会わない。もうそうやって決めたのだ。会えば向こうもこちらもつらくなる。なら、会わなければ良い。ジュードにとって苦渋の決断だった。だからジュードはユウリィの元を去り(二人の関係は恋人ではないゆえに、この説明は適切ではないけれど)、このように隠居するように森の中に隠れ住んでいるのだった。
 殺したのは自分だ。そうして自分を責め続ける。ユウリィに面と向かって会う資格など、自分には無い。自分は人殺しなのだから。

 手に残る葉書の感触。見るのも困難に思えて、ジュードはさらりと葉書を戸棚の一番深い所に仕舞い込むのだった。
 帰れない。戻る事など、出来ない。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
暗黒万歳。っていうかジュード好きさんごめんなさい…
こういうのも有りだと、個人的には。
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