決意 -はじめての朝-


 今日は朝からドキドキの連続だった。
 朝目が覚めてドキドキして、顔を洗いながらドキドキして。身支度をしながらドキドキして。髪を梳きながら、やっぱりドキドキして。
 これにはワケがある。

 リルカ・エレニアックは今日、アシュレー・ウィンチェスターに告白をする。

 鏡に向かいながら、いつもは一回梳いてしまえば終わってしまうものを、何回も何回も梳いている。キューティクルの何たるかも知らないが、「キューティクルが足りないなあ」などとぼやいた。鏡に映る自分の顔は、最大限見ない振り。
 思えば、彼の事を好きになったのは。1年程前の、ちょっとした事件がきっかけだった。

 ARMS隊員として任務に赴いた時に、それは起こった。
 突如現れた、狼のような姿の黒い魔獣に囲まれてしまったのだ。とはいえ、このような姿の魔獣が出る事は昨今は珍しい事ではない。特に最近では魔獣はより凶暴になっている節もある。このような残虐性を帯びた魔獣は、ARMS隊員によって滅されるべきだった。アシュレー、リルカ、ブラッドはそれぞれ戦闘態勢へと入った。アシュレーは銃剣を構え、リルカは援護のために魔法を唱える準備をした。
 ところが。いつも通りに魔法を発動しようとしたリルカだったが、どう手順を間違えたのか、全く発動しなかった。
「あれッ…あれッ?」
 焦ると、余計に上手くいかない。手ばかり滑って、傘がぐらついた。えっと、えっとと何度も術式を確かめた。合っている筈。なのにどうして発動しない。
 妹だから。という一言が、心の中に響いたのはその時だった。天才魔法使いだったお姉ちゃんの、妹だから。出来損ない。だから、魔法も失敗するんだ。この役立たず。
 自分の脳から響いてきた声とは思えず、驚くあまり傘を取り落としてしまった。頭の中は混乱するばかり。真っ白になるのが自分でも分かった。
「あっ…」
 視界の端から狼が来るのが見えた。あのルートは、明らかに自分を狙っている。あまりにも近い上に、傘を取り落としてしまった今、狼に対抗する手段は無い。どうしよう、間に合わない! 白い牙の覗く大きな口。リルカなど一呑みのように思われた。取られるのは体か、腕か。窮地に達して、リルカは小さく縮こまり、その場にうずくまった。両腕で頭を抑える。その時だった。
「リルカ、危ないッ!」
「え…ッ」
 横から、どすんとぶつかられて。リルカはその場で転げまわった。土の上に転がって、肩や頭やらぶつけたが、想像していた程の痛みは無い。誰かが自分の代わりに狼に向かっていってくれたのだ。
「大丈夫かッ、リルカッ?!」
 ごろごろと転げまわったあと、リルカはようやく起き上がり、そこにいる者を見た。
 …そこにいたのは、血で真っ赤になったアシュレーだった。
 横で、隙を見せた狼に対してブラッドが致命的な一撃を与え、そいつは断末魔の悲鳴を上げると事切れた。しかし、リルカには既にその場面は目に入らない。
 リルカはただぽかんとしてアシュレーを眺めていた。頭や肩から血を流して、ただ自分の事だけを見てくれている。他の誰でもない、…自分を庇ってくれたのだ。
「アシュ、レー」
「平気か…リルカ」
 痛そうに、手で肩の辺りを押さえてみせる。頭から流れ出した血で、目を塞がれていた。よく分かった。彼が軽症ではない事が。
 自分の、名。存在価値。ふいにそんな事を思った。この人にとって、自分は庇われる程の価値のある人間なのかもしれない。今までそんな事を思った事は無かったけれど。生きていく必要なんて、無いと思っていたのに。この人は、大怪我するのを分かっていて飛び出してくれたのだ。
 ありがとう、と言えたら良かったのに。あ、と口が動きかけて。
 そのまま。彼の流す大量の血に知らないうちに恐怖したようで、リルカは意識を手放した。
 …こういう経緯があり、今に至っている。

 彼が、あの時自分を庇ってくれたから。自分の名を呼び、案じてくれたのが本当に嬉しかった。アシュレーへの想いは、常に感謝と共にある。アシュレーの事を好きでいるうちには、自分には価値があるように、リルカには思われるのだ。アシュレーも同じ気持ちだったなら、自分がこの世界にもっといていい証拠になると、リルカは考えるのだった。
 しかし…告白、といってみても。マリナもアシュレーの事を好きなのを知っている。
 アシュレーがマリナの事を、どうやら好きらしいのも知っている。(この辺はリルカにとっては認めがたい事実である。ゆえに、リルカの中では「らしい」という解釈になっている)。
 だけど、それでも告白したいのだ。
 例え失恋しても、後悔はしない。十中八九で失恋するという事を覚悟しての告白だ。それでも後悔はしない。このまま告白しないで、指を加えて二人の有り様を見届けるくらいなら、自分の妄想だけじゃなくて、ちゃんと言葉にしたい。きちんとした形にして、アシュレーに届けたい。そのまま通り過ぎたら、きっとリルカはもっと後悔すると思うのだ。
 アシュレーは驚くだろうと思う。驚くだけじゃなくて、もう友達にも戻れないかもしれない。それさえ覚悟しての、告白をするつもりだった。
 きっと自分は泣くだろうと思う。でも、大丈夫。自分には友達だってたくさんいる。きっと立ち直れる。見えないけれど、お姉ちゃんだって傍にいてくれてるのだ。
 上手くいってもいかなくても。大好きな人がいる、はじめての朝。世界は変わる。

 こんこん、と。ノックのあとに。扉が開いて、光の向こうに青い髪で頼りなげな印象の青年が見えた。腰に銃剣を携えている。
 すぐに気付いて。わわっ、とリルカは真っ赤になりながら、それでも彼に駆け寄った。
「アシュレー!」
 彼女の一世一代の告白は、もうすぐ。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
公式的には結局振られてしまうだろうと思うのですが、うちのサイト的にはアシュリルになっちゃうんだと思います。
公式無視。
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