ずっといっしょ。 -はじめての朝-


 気が付いたら、葬式は終わっていた。目が覚めたら、彼女は墓の下にいた。
 もう、どこにもいない。ラクウェルは。どこを探しても。このファルガイア中。
 まだ自分の中に納得が無くて、気付けば手を伸ばして彼女を探している自分自身を見つける。馬鹿だな、と嘲笑した。分かっているのに、ちっとも分かってやしない。
 でも、目を閉じる度に彼女が近くにいる感覚がするのだった。だから、意外と近くにいるのかもしれないな、なんて考えてしまうのだった。

 ラクウェルがいなくなって、はじめての朝。
 いや、はじめてというのには語弊がある。実際は3日程経っているのだ…葬式も終わっている。墓の下に入るだけの時間が過ぎた筈だった。だがどうした事か、その3日間の事がまるで思い出せないのだった。彼女がどんな顔をして冷たい土の下に入ったのか、まるで覚えていなかった。
 娘が泣く度に正気を取り戻した。そんな3日間だった。
 だから改めて4日目を、はじめての朝としようと決めたのだ。娘が生まれてからというもの、ぼんやりとではあるが決めていた事だった。ラクウェルがいなくなったら、3日間だけは落ち込む事を自分に許そうと。遺体に縋って泣くのもいいじゃないか。納得するまで涙を流したらいい。太陽が空の上に出ても認識出来なくなるくらい、目を腫らしたらいい。
 だから。4日目になったら、もう泣くのは止めよう。何たって、自分はひとりだけではない。可愛い娘がいる。自分には、この子を養う義務があるのだ。ラクウェルの残してくれた忘れ形見。
 既に太陽は高く昇っている。正確には、もう朝ではない。でも、ヴァスケス親子の生活は今日ここから始まるのだ。
「だぁー」
 娘が笑っている。不謹慎だぞ、お前のママがいなくなったってのに。と言うと、また笑った。つられて微笑み、娘のベッドに近付いた。
 覗き込むと、しわくちゃで不細工な顔が満面の笑みで笑っていた。歯が無くて、変だった。それでも未来を予見できる。この子は美人になる。ラクウェルの血を引いているんだから当然だった。
「お前…よく考えたら、自分のママの顔を知らないで大きくなるんだな」
「だああ」
「ごめんな…。かたっぽの親しかいなくて。でも、お前がもう少し大きくなったらきちんと話してやるからな。…お前のママの事」
 お前のママは素敵な人だったんだよ、って。
 ふいにラクウェルの照れ臭そうな笑顔が浮かんで、意図しないうちに目頭が熱くなった。あんなに泣いたのに、どうやらまだ体の中に水分が残っていたらしかった。ごしごしと擦りながら、何とか堪えた。自分との約束を、そしてラクウェルが残した約束を守らなければいけなかった。ラクウェルは死に際にアルノーと約束を交わしている。アルノーがきちんと娘を養育する事を。「あの子には、お前しかいないんだ」と。
 「出来ればあの子が大きくなった所が、見てみたかったな…」と。ぽつり呟いていたのが、今でもはっきり思い出せた。その様子があまりに寂しげで。アルノーが何も言えなくなってしまったのさえ、はっきりと脳裏に浮かんだ。頑張れなんて言えない。既に頑張っている彼女に対して、これ以上何を言えただろう? 自分に出来る事は、傍にいる事くらいだった。
 急に自分の中に嵐が起きたみたいで、アルノーは心臓の辺りを必死に押さえた。どうして、どうして、どうして。…。ヒステリックに暴れる事なら、いくらでも出来た。だがそんな事をしたら約束は破られてしまうだろうし、何より娘が驚いて泣いてしまう。朝っぱらからそれは避けたかった。
 そうだ、朝だ、と呟いた。食欲は無くてもきちんと食べなければ、自分はたったひとりの親なんだから。そして食べさせなければ。この子には擁護してもらわなければいけない子供なんだから。胸に感じる痛さを、気付かない振りしてやり過ごした。
 朝食の準備をするため、そっと娘のベッドを離れると、彼女は「だあ」とまた笑った。朗らかな笑顔。心が和んだ。
「だあじゃないって。俺は、パパだよ。ほら、パパって呼んでごらん」
「…ま、」
 発された娘の一言に、動揺するのが分かった。
 ママ、と。そう言ったのか。ごめん、と気付けば呟いていた。そうだね、ママがここにいたら良かったね。パパひとりで、ごめんね。しかもこんなにしっかりしてない、ふらついてばかりのパパで。
<大丈夫、…>
「え、」
<お前なら、大丈夫だ>
 いつか、ラクウェルが言った言葉だった。出産の直前で、ラクウェルより緊張していたアルノーに対して、ラクウェルが優しく掛けた言葉だった。あの時は、みっともなくアルノーは冷静さを欠いていたが、それに比べるとラクウェルは驚く程落ち着いていた。母になるのだ、という決意がそうさせていたのかもしれない。
 膨らんだお腹を優しく撫でながら、ラクウェルはアルノーに微笑みかけていた。
<お前は立派なパパになるさ。…私もその隣にいるから>
 そうだね、と思い出しながら呟く。それがどんな形でも、お前は傍にいてくれるよな。自分と、娘の事をすぐ近くから眺めてくれている。ラクウェルが言う事なら、何でも本当になるとすんなり思えた。ラクウェルがそう信じてくれたなら、正しいパパにならなければ、いけない。その未来しか、自分は持ってない。
 そうだ。自分達は、例えば見えなくても永久の3人家族なのだ。ずっと一緒だ。テーブルの向こうに、揺れるラクウェルが見えた。「早く、ご飯食べよう」それは、そう言っているようにも見えた。
 最後に一回だけ、ぐいと手の甲で目の端を拭うと、アルノーは声も高らかにこう宣言するのだった。
「よし、メシだ!」
 娘が、意味が分からないのにきゃっきゃとはしゃいだ。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
今回の企画で唯一の切ない創作でした。
見えたり見えなかったりするラクウェルさんに気を遣って書いてみました。
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