「いってらっしゃい、兄さん」
いつもの言葉で、朝が始まる。
「行ってくるよ、ユウリィ」
午前中は警官としての職務の一つ、警邏をしている。
怪しい者がいれば職務質問し、様子のおかしい者がいれば助けてやる、そういう仕事だ。
この村に実際に警官が必要になるのはまだ先の話だと、実は誰が思っている事なのだが。
この村、フロンティアハリムは他のどの村より平和だ。
本来ならば警官など要らない筈なのだ。
だがしかし、入植者が増えてきた事やまだ生活が安定しない者がいる事を考えるとこれから先警官という職業が必要になると、この村の代表者は考えたらしい。
それで仕事のなかったクルースニクに矢が当てられた。
警官として、第二の人生を。
悪くない、と思う。
ブリューナクの制服と同じくらいぱりっとしている警官の制服はあの時と同じ何かを思い出させるのだ。
あれから。
どうにかして監獄島を抜け出したクルースニクはふらふらとポートロザリアに向かっていた。
女先生に助けられたあと彼女に言われるままにフロンティアハリムに向かうと。
元気な姿のユウリィが、いた。
どう話しかけていいものか、その場でじっと黙り込んでいると向こうがこちらに気付いて思い切り抱き付いてきた。
あの時の感動は、言葉には出来ない。
彼女はクルースニクの体を痛いくらい抱き締めてきて。それが嬉しくて、クルースニクもユウリィの体をきゅっと自分の胸の中におさめた。
そう、その時やっと自分は言えたのだ。
「ただいま」と。
午前と午後の合間の昼の休憩にはユウリィお手製のお弁当が待っている。
それはもう、毎日懲りすぎなくらい豪勢な弁当なのだ。
それだけに残す事は許されない。
前に一度だけ弁当を食べきるだけの時間が取れずに残して帰ったらものすごく怒られてしまったのだ。
自分たちには存在しないものだが、まるで母親のように怒るなと思って彼女を見ていた事を覚えている。
とにかく、今日も弁当は完食しなければ。
ユウリィお手製の弁当は見た目はもちろんの事味も保証つきだ。
これだけのものを作るのには毎日相当の早起きをしているに違いない。
前に、自分のためにそんな事までしなくともよいと言った事がある。
だがユウリィはこう言ったのだ。
「わたし、何でもいいから兄さんの役に立ちたいんです。守ってもらうだけじゃ嫌だから……兄さんがお仕事してる分もわたしは働きたいんです」
そう言われては反論など出来る筈もなく、クルースニクはそれから毎朝ユウリィから弁当を受け取ってから仕事に出かけるのだ。
午後からは書類仕事だ。
書類を眺め、まとめ、指定のファイルに閉じていく。
これにはポートロザリアやキャラボベーロなどで起きた凶悪犯罪についての報告が載っている。
いずれはああいった街にここもなるのだ、向こうで起きた犯罪を調べておくのもそのうち役に立つだろう。
ふぅ、と息をつきながら、それでも読み進めていく。
あの逃亡のさなか、ユウリィはあのキャラボベーロにも立ち寄ったという。
信じられない。あんな治安の悪いところに行ったなんて。
もちろん、治安とかそんな話以前の事だ。
誰かに自分のユウリィが攫われでもしていたら今頃どうなっていた。
誰かが自分のユウリィに薄汚い手で触った可能性だってなきにしもあらず。
クルースニクは自分の妄想にひどく落ち込むのだった。
そして落ち込むのと同時に、強く決意をした。
必ずユウリィを守ると。
これからはもう一人にはしない。ずっと一緒だ。
もうあの子に寂しい思いは決してさせない。
……俺の大事な妹を、俺が守っていく。
仕事も終わり、帰路につく。
既に夕暮れが迫りつつある。
家々からは明かりと、いい匂いがもれていた。
今日の夕食も、ユウリィが腕を振るった豪華なものに違いない。
いつも家に帰るのが、楽しみだった。
クルースニクはその元来の性格から仕事も好きだったが、家で過ごす時間もとても好きになった。
ユウリィの、おかげだ。
妹の愛らしい微笑みが仕事の疲れを癒してくれる。
ブリューナクに所属していた時はこうではなかった。
仕事以外の時間を無為に過ごしていた。仕事以外では、もはや自分ではなかったと言える程。
それがどうだ。ユウリィとの共同生活を始めてからというものの、ユウリィなしでは生きられないと言っても過言ではない。
元から、そうだった節もある。元々ユウリィのために全てを投げ出してきた自分の事だ。ユウリィなしでは今の自分はない。
その気持ちが、もっと強くなっただけの事だ。
茶色の壁に赤い屋根の小さな家。これが二人が暮らす家だ。
まるで童話に出てきそうな家屋だ。
そっと鍵を入れ開けると、玄関で待ち構えていたエプロン姿のユウリィと目が合った。
「ここで待っていたのか?」
「だって、兄さん。いつもより少し帰りが遅いから」
ふふ、と微笑んで。
「少しとはどのくらいだ?」
「ほんの、ちょっとです。わたしには、とても長かったけど」
「それは、……悪かった。明日からはもう少し早く帰れるようにするから」
「やめて下さいそんな事。ちゃんと、お仕事して下さい。待ってる時間は長いけど、これからは兄さんの一緒だから……平気です。ちゃんとそこにいるって分かるから、一番近くにいるって分かるから、待つのも苦じゃないです」
それと分かるくらい、ほんのりと頬を染めて可愛い事を言ってくる。
家族がいるとは、嬉しい事だ。
家に入ろうとすると、しかし、ユウリィは急に眉を顰め「ダメです!」と言い切った。
「何がだ?」
「わたしがおかえりって言うまで、入っちゃいけません」
妹の明らかにおかしな要求。
だがクルースニクは笑ったりはしない。
おそらく確認したいのだろう。兄がここにいるのだと。
大事な家族が「ここ」にいる事を。
「おかえりなさい、兄さん」
だから、クルースニクは言うのだ。
「……ただいま」
おしまい
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