夏が来ていた。
森の中にあるハリムとは言えども、夏は暑いものだ。
それでもごみごみしたギャラボベーロよりはよほど涼しいかもしれない、とユウリィは考えた。
あそこに行ったのはだいぶ昔の事だったが、それでも何となく湿気が高くてむしむししていて嫌な気持ちになった事を覚えている。
それに比べると、ハリムはまだ良い方だ。
日差しにまともに当たるとやっぱり暑いが、そういう時は木陰に逃げるといい。
木陰は涼しくて心地いい。
買い物帰りだったユウリィはしばらくここで休んでいく事にした。
どうもさっきから目の前がくらくらしている。良くない兆候だった。
風がさわさわと吹いている。
座り込むと、木の下の地面はそこはかとなくひんやりしていた。
それでもまだ暑くて、ユウリィはそっと襟を閉じている釦を開けた。
1個、2個と、そのくらい。
大丈夫、誰も見てないから。ちょっとだけ、家に帰るまでの間だけだから。
このままだと熱中症になってしまいそうだから、少しだけ。
あれこれと頭の中で言い訳しているうちに、ふと気付く。
(……誰に言い訳してるの)
ここなら誰も通るはず無いから、言い訳無用なのに。
そう。誰も通らない、家までのショートカットの道なのだ。
だから通ると言えば、自分か、……兄くらい。
いいよね、と決めてユウリィはもう1個釦を開けた。
やっと涼しい風が体の中に吹き込んできた。
ふーっと息を付く。
少しばかり目を閉じて休んでいると、ようやく眩暈のようなものもなくなってきたようだった。
そろそろ帰ろうかしらと思いながらまだ座っていると、仕事帰りのその人とばったりかち合った。
こんなに暑いというのに、そのような顔一つせず、ネクタイも全く緩めていない。
ネクタイを緩めてだらだらした兄など見たくなかったが。むしろこういう時にこそしっかりしている兄が、ユウリィはやっぱり好きなのだ。
ユウリィは座り込んだまま、兄に挨拶した。
「兄さん……! おかえりなさい」
「ただいま、ユウリィ。どうしたんだ? こんな所で」
熱中症になりかけたと話すと、案の定クルースニクは青くなった。
「大変だ! 医者に行かねば……」
この程度でおおごとにしたくない。慌てて彼の言葉を遮った。
「へ、平気です! もうすっかり直りましたから!」
証明するために立ち上がると、目の前がくらっとした。
これは熱中症、というよりも。急に立ち上がった事による立ちくらみ。
「きゃっ……」
「危ないッ!」
よろけたユウリィを、クルースニクが支えた。
妹の肩を抱くクルースニク。
「大丈夫か? 医者に見せた方がいいんじゃないのか」
「平気です……」
そっと兄の顔を見上げると、兄はそれまで硬い顔をしていたが、急に顔を赤くした。
青くしたり赤くしたり。何だか忙しい。そんなふうに呑気に考えていると、急にクルースニクがぱっと手を放して横を向いた。
「兄さん?」
「い、いや、何でもないんだ」
その動揺っぷりは、何でもなくは無い。
彼の横顔。何だか、照れているような?
「……どうか、しましたか?」
「いや……その、ユウリィ、……いや何でもない。それより、早く家に帰ろう」
視線を逸らしたまま。こちらを見ようとはしないで。
何かを言いたそうにしているが、喉に言葉がつっかえてるような、そんな感じ。
「……?」
何も言わないで、そっと手を差し出すので。
ユウリィもまたそれ以上聞くこと叶わず、彼の手をぎゅっと握って帰った。
いつもより少し兄の歩く速度が速くて。時々転びそうになりながら。
*
大惨事に気が付いたのは家に帰って顔を洗い終わってタオルで顔を拭きながら何気なく鏡を見た時だった。
「?!!!」
衝撃に、思わずタオルを落としそうになる。
そこには釦を3つ外して胸元をうっかり見せているユウリィ・アートレイデの姿があった。
だから兄さんはあんなに照れていたのだ。
全てに合点がいった。
だから兄さんは注意したくても注意できなかったのだ、だから兄さんは早足で帰ったのだ。
今更ながら顔が赤くなるのを覚えた。
水に濡れて冷えたタオルを、顔に当てて。それでもなお顔は熱く。
どんな顔をして、兄に会ったらいいだろう?
兄が自分に注意できなかったのは、きっと自分に嫌われたくなかったから。
兄が早足で帰ったのは、他の誰にも見られたくなかったから。
そんなふうに解釈してしまうのは傲慢だろうか?
「兄さん!」
大好きな兄の下へ笑顔で駆け寄りながら。
今日のちょっとした出来事が恥ずかしくもあり、嬉しくもあるのだった。
おしまい
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