魔族との戦いを終えてから、しばらくの時が流れた。
それでも各地にはまだモンスターが存在し、彼らのような渡り鳥の力を必要とする人々がいる。
そうして、三人と一匹はまだ旅を続けていた。
急を要する事態が目の前にある訳ではなく、今まで訪れた場所をなぞるように。
滅多に人が立ち寄ることのない森にある小さな一軒家へも、彼らは立ち寄ることにした。
これまでの十数年を旅の中で暮らしてきたロディが、唯一「住んでいた」と言える場所。
元々は祖父が一人で住んでいた場所であり、幼い日の彼もここにいた――ようだ。
ロディはその頃のことを、あまり覚えていなかった。
思い出す祖父も自分も、いつも旅の空にいる。
二人の故郷はどこにもなく、それ故にファルガイア全てが彼らの故郷だった。
「――あ、これこれ! この本、前に来た時に気になってたんだ」
一冊の本の前で、ハンペンが嬉しそうに尻尾を揺らした。
彼らをぐるりと取り囲む背の高い本棚には、上から下までぎっしりと本が詰まっている。
ここが地下の部屋でなければ、床が抜けてしまうのではないかと思うほどに。
周囲を見回していたザックが、ぽつりと感想を漏らす。
「…あの博士でも連れてきたら、一ヵ月くらいこもってそうな部屋だよな」
「そうですね。でも、これだけ色々な種類の本があったら、エマ博士でなくてもきっと夢中になります」
そう言うセシリアの手にも、既に一冊の魔導書があった。
彼女も本を読むのは決して嫌いではない――というより、好きな方だ。
「…仕方ねぇな。ここんとこ戦闘続きだったし、今日はここで充電といくか」
軽い読み物もありそうだし、と言いながらザックは奥の本棚へと足を向けた。
それを見たセシリアが入口付近を振り返る。
「ロディはどうしますか?」
「充電には賛成だけど、本はいいや。少し歩いてくるよ」
「わかりました。――いってらっしゃい」
「あ、うん…いってきます」
セシリアの微笑みに送り出され、ロディは階段を上がった。
戸外へ出ると、木々の緑が目に眩しかった。
時刻はまだ昼を二時間も過ぎていない。森の中まで深く届くほどに、太陽は元気だ。
軽く上を見ながら、ロディは歩き出した。
風に木の葉がサワサワと揺れ、その隙間から日差しが漏れてくる。
その光景も周囲で鳴き交わす鳥の声も、どこか懐かしい。
しかし、それがこの場所に因るものなのか、彼には判らなかった。
木漏れ日や鳥の声はここ以外にも存在する。
他の場所のそれらと重ねて、懐かしい気がするのかもしれない。
それでも、ロディは今まで自分のものとして意識したことのない「家」を感じていた。
ふと立ち止まり、木々に囲まれた建物を振り返る。
幼い日の自分は、祖父を求めてあの扉をくぐっていたのだろうか?
祖父と自分は、ここでどんな風に暮らしていたのだろうか?
その建物に視線を据えた自分同様、こちらを見つめる瞳があることに、ロディは気が付いた。
家の横にある木箱に止まった、白い鳥。
身じろぎもせずに見つめる視線は、彼を心配しているように見えて。
―――大丈夫。
ロディはつい、心でそう話し掛けた。
取り戻せない日々がここに眠ってるのは、そう辛いことじゃない。
自分には、この先を一緒に生きる人達がいるから。
彼がそう思った時、鳥は木箱から舞い上がり、森の外へと消えていった。
「…心配しないでいいよ」
ロディは鳥の軌跡を目で追い、小さく微笑みながら呟いた。
「――あ、ロディおかえりなさい。」
彼がそこへ戻ると、何故かセシリアが箒を手に部屋の掃除をしていた。
「…セシリア。下で本、読んでたんじゃなかったの?」
「ええ、しばらく読んでいたんですけど、ザックが眠ってしまって」
少し困ったような彼女の笑みで、ロディは地下の状況を呑み込んだ。
宿屋でザックと同室であることが多いロディは、彼が時々かく大きないびきをよく知っている。慣れているハンペンはさておき、その横で本を読むのは大変だろう。
「それで、こちらで読もうと思って上がってきたんです。でも少し、あの…散らかっていたから」
彼女は遠慮がちに言ったが、長い間ろくに鍵もかけずに放っておかれた森の中の家は、木の葉や小枝、砂も入り込んで床がザラザラしている。
散らかっているというよりは、汚れていた。
「俺も手伝うよ。ここには俺も住んでたんだし、少しは手入れしないとね」
ロディの言葉に、セシリアは一瞬の間を置いてからにっこりと笑った。
「ええ。ロディとお祖父さんの家ですものね」
その笑顔を見て、ロディはここに「家」を感じた理由に思い当たった。
いってらっしゃいと送り出され、おかえりなさいと迎えられる。
それはとてもシンプルなことだけれど。
家というのは建物ではなく、そういうことの名前かもしれない。
そんな風に、彼は思った。
「それじゃわたし、何か掃除道具がないか見てきますね」
「うん。――あ、セシリア」
さっき箒を見つけた部屋の隅へ向かうセシリアを、ロディが呼び止めた。
足を留め、彼女が軽やかに振り返る。
「なんですか?」
「さっき言い忘れてたけど、その…」
語尾を言い淀んでから、ロディは照れたように笑った。
「…ただいま」
改めてその言葉を口にするのは、少し恥ずかしく。
そして幸せな気分だった。
「――はい。おかえりなさい、ロディ」
向けられたその微笑みの中に。
彼は自分の家を見つけたように思った。
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