明日も、その先も


 彼がそのことに気付いたのは、いつもと同じちょっとした瞬間だった。


 彼女の淡い金色の髪がさらりと揺れる。
 例えば風が吹いた時。
 例えば不意に振り向いた時。
 例えば、彼の言葉に嬉しそうに笑った時。
 初めて会ってからこれまで、一緒に旅をしてきた数ヵ月の間に何度も目にしてきた、そんな瞬間だ。



「――セシリア、髪伸びたよね」
 久しぶりにアーデルハイドへと向かう途中、それまでの会話とは何の関係もないロディの台詞に、セシリアは目を丸くして動きを止めた。
 それを見たロディが慌てて言葉を付け足す。
「あ、ごめん…いきなり」
「いいえ」
 ひとつ瞬きをしてから微笑み、セシリアは肩下に伸びた自分の髪を指に挟んだ。
「…そうですね。もっとずっと長かったから、今は短いとしか思っていなかったんですけど…伸びましたね」
「うん。確か出発した時は、肩につかないくらいだったよね」
「あれからもう何ヶ月も経ってるからなぁ」
 彼らの一歩後ろを歩いていたザックも、顎をさすりながら言った。
 ロディの頭に乗ったハンペンが、後ろの相棒を振り返る。
「ザックぐらい長いと、あんまり判んないんだけどね」
「まぁコレは、何年も伸ばしてるヤツだからな」
「その長さだと、髪を洗ったり乾かしたりする時が大変なんですよね」
 数ヶ月前までの自身を振り返り、セシリアが少々懐かしそうに言った。
 しかしザックからは、あまり同意のない答えが返ってくる。
「そうか? ざーっと洗って、後はほっとくだけだろ?」
「え? でも…傷みませんか?」
 その問いに答えたのは、ザックではなくハンペンだ。
 小さな肩を竦め、おまけに首まで振っている。
「セシリア、ザックがそんな繊細に見える?」
「………それもそうですね」
「おい、どういう意味だよ二人とも」
 ザックは抗議を込めてハンペンとセシリアを見たが、効果はないようでどちらも小さく笑っている。


 そんな会話の間にも、ロディはセシリアの肩口を見つめていた。
 セシリアがそれに気付き、ためらいがちに自分の髪に触れる。
「あの…ロディ」
「え?」
「…もしかして、おかしいですか? この長さ…」
「え!? そんなことないよ」
 ロディは慌てて大きく首を振った。
 しかしセシリアは、まだ不安そうに首を傾げている。
「そう…ですか?」
「うん。おかしいとかそういうんじゃなくて、ただ…」
 そこで言葉を切ると、彼は少し考えてから、今度は小さく首を振った。
「――なんだろう…うまく言えないけど、気になる感じなんだ」
「気になる感じ?」
「うん。…ごめん、俺にもよく解らなくて」
 困ったようにロディが言うと、ザックがニヤニヤと笑いながら彼の肩に腕を掛けた。
「はは〜ん、お前アレだろ? 今の姫さんの長さが、ど真ん中ストライクなんじゃねぇか?」
「…ストライクって?」
 ロディもセシリアも、彼の言葉の意味を掴めずに目を丸くしている。
 ザックは肩に掛けた手で、バンバンとロディを叩いた。
「お前の好みのど真ん中、ってことだよ」
「え…えぇ!?」
 思いも寄らぬ単語に、ロディがさっと頬を染める。
 予想通りの反応が楽しかったのか、ザックはわざとらしく真面目に考える振りをした。
「違うのか? じゃあ反対に、ど真ん中から遠ざかって引っ掛かる、って線か…」
「ザック…! ロディをからかうのはやめて下さい」
「――へいへい」
 ザックは大人しくロディの肩から腕を離し、セシリアを見た。
 彼女の顔が紅く染まっているのは、怒りのせいではないのだろうと思いつつ。



 アーデルハイド城に着くと、セシリアはいつものように、国を任せている大臣のヨハンと少し話すことになった。
 その間、ロディ達はそれぞれに城や街で時を過ごす。
「すみません、なるべく早く済ませますから」
 そう言ってヨハンと共にその場を去る彼女の背中を、静かに見送る。
 そんなロディの胸に、先程の「気になる感じ」がまた甦った。


 これは何だろう。
 少し胸が締め付けられるような、何かに急かされるような、そんな気持ち。


「ああしてると、やっぱりお姫様って感じだね」
 彼女の向かった先をぼんやりと見遣っていたロディは、ハンペンの言葉で我に返った。
 確かに、いつも共に旅をしている彼女もふとした時に公女の気品を見せるが、城でヨハンや騎士達といる彼女には紛うことなき高貴を感じる。
「酒場でメシ食ってる時なんか、とてもそうは思えねぇのにな」
「……ザック、それは言わない約束だよ」
 ハンペンが相棒の頭をポンと叩いた。彼の小さな手では叩かれても痛くないだろうが、ザックはそこをさすりながら言葉を返す。
「でもそうだろ? 荒野を旅する格好で大盛りヤキソバかっ食らってる姿を、誰が姫だと思うよ。最初に会った時みたいな格好で軽い食事をしてるならともかく」
「それなら、大概の人は渡り鳥を見て『お姫様』だとは思わないよ、普通。――ねぇ、ロディ?」
「え? えぇと…そうかもしれないね」
 突然話を振られ、ロディは曖昧に相槌を打った。
 まだ胸に残る、不確かな形の何かを感じながら。



 ザック達としばらく話をしてから、ロディは旅の支度を整えに町へ出た。
 まずはARMの改造を頼むため、エマ博士の家へと向かう。
 博士は不在だったものの、改造を担当する博士の弟子が喜んで仕事を引き受けてくれた。
 自分でもARMの調整をするロディは、彼の手元を見ているのが好きだった。
 子供の頃から、祖父のゼペットがARMを調整する姿を見ていたこともあるだろう。
 迷うことなく的確に動く指、機械の触れ合うカチャカチャという音、仄かに漂うオイルの匂い。
 それらに五感で触れていると、なんだか落ち着く気がするのだ。
 ――しかし、今日はどうもダメだった。
 着々と進む性能強化。
 それにつれて消えると思った感覚――アーデルハイド城で胸に甦ったものが、いつまでも残っている。
「またいつでも来て下さいね」という言葉と共に、彼の手へARMが戻ってきても。


 改造の済んだARMの調子を確かめながら、博士の家を出る。
 まだ太陽は高い位置にあるが、それなりに時間は経っているだろう。
 それでも彼自身は、ここへ来た時のままだ。
「……なんか変なのかな、俺」
「ロディ、大丈夫ですか!?」
「え…?」
 突然掛けられたその声に、ロディが驚いて顔を上げる。
 立っていたのは、どうやら道を急いで来たらしく頬を少し上気させたセシリアだった。
 彼女の姿を目にした驚きで、咄嗟に声が出てこない。
「具合でも悪いんですか?」
 セシリアに心配そうな瞳で見られ、ロディは慌てて首を振った。
「う、ううん、そんなことないよ」
「…本当ですか? それならいいんですけど…」
「それよりセシリア――どうしたの?」
 まだ心配そうなセシリアに視線を据えて尋ねると、彼女はやっと微笑んで見せた。
「ザックとハンペンが教えてくれたんです。なんだかロディの元気がなかった、って…」
 その言葉に、彼らと話していた時のことを思い出す。
 自分ではいつも通りのつもりでいたが、引っ掛かるものを隠し切れていなかったのだろう。
 ――しかし、ロディが尋ねたのはそのことよりも。
「そうじゃなくて、その髪…」
「あ…このことですか?」
 はにかみながら、セシリアが自分の髪に触れる。
 肩より少し上できれいに切り揃えられた、金色の髪に。
「アーデルハイドにいるうちに、と思って。旅をするには、短い方が手入れしやすいですから」
「旅をするには…」
「ええ。まだ旅は長そうですものね」
 セシリアの言葉と微笑みと。
 肩上でさらりと揺れる金色の髪が、胸に詰まっていたものをじんわりと溶かす気がした。


 頭に浮かんだのは、アーデルハイド城でのザックとハンペンの会話。
 ――そして、少し髪の伸びたセシリアの姿。


 初めて会った時のセシリアは、今よりずっと髪が長かった。
 彼女が髪を切ったのは、魔族と戦い、奪われた秘宝を取り戻す旅へ出る時。
 それは旅立ちの決意であり、来なくていいと言ったザックへ同行を認めさせるためのものだ。
 それから一緒に旅を続け、数ヵ月。
 すっかり見慣れた彼女の姿は、しとやかな公女よりも軽やかな渡り鳥の少女という印象が強い。
 きっと、そのせいなのだろう。
 髪が伸び、彼女の姿が初めて会った頃へ近付くことで、何故か胸苦しさを覚えたのは。
 あの頃の姿へ戻ることで、彼女が城へ戻ってしまうように感じたのは。


 彼女が髪を切るのは、旅立つことの証。
 それは、これからもまだ彼女と一緒にいられることの証。
 そのことがやけに嬉しくて。
 彼女の存在が、いつの間にか大きくなっていたことを知る。


「ロディ…本当に大丈夫ですか?」
「え?」
「なんだか、ぼんやりしているみたいだから。やっぱり具合でも…」
 彼を覗き込む瞳には、再び心配そうな色が宿っている。
 ロディは笑みを浮かべ、首を振った。
「違うよ。なんて言うか、その……見とれてたんだ」
「…見とれて…?」
「うん。その髪型、やっぱり似合うなって思って」
 彼の言葉に、セシリアが即座に頬を染める。
「も、もうロディったら…からかわないで下さい」
 彼の性格上、それがからかうための言葉ではないとセシリアも知っている。
 彼女の性格上、それでもそう返さずにいられないことをロディも知っている。
 だからロディは「ごめん」と小さく笑って、彼女の手を取った。
「――行こう。ARMの改造は済んだけど、まだアイテム買ってないんだ」
 一瞬、驚いたようにロディの顔を見て、セシリアは嬉しそうに笑った。
「はい。またすぐに出発ですものね」 



 いつかはこの旅も終わる時がくる。
 しかし明日も、その先も、まだこんな風に一緒にいられる――繋いだ手がそれをお互いに伝えているようで。
 彼らはその手を離さないまま、アーデルハイドの町を歩いていた。
END


■須多怜湖さんのサイト「しあわせのコブタ
1周年記念フリー創作としていただきました。
んも〜、可愛すぎです…めろめろになりながら読みました。
ロディの「え……えぇ?!」が好き。わたわたしてるロディを想像して1人で悦っていました。
手繋ぎなシチュエーションが好きなので、最後の一文にうっとり。ほんのりらぶらぶ。
しかもお互いがお互いの事を分かってる、みたいな描写にやられました…!
もう、めちゃくちゃ幸せですーvv
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