鳥の鳴く晴天。眩しい太陽、まだ少し肌寒い空気。
「神子様、本日はどうなさいますか?」
「んっと、今日はねぇ〜……」
朝のいつものやりとり。
藤姫は背筋も伸ばしてきちんと座っているのとは対照的に、あかねはまだ眠そうに目をこすっている。
「今日は、何だか気分じゃないなぁ。今日は一日ぼんやりしてようかなぁ」
ふわわと欠伸などして、あかねは目元に滲んだ涙を拭った。
「藤姫とお話がしたいな。最近怨霊退治に駆け回ってたからゆっくりする暇もなかったし」
「本日はその分のお休みをとられる、という事なのですね。分かりましたわ」
でも、と藤姫は言葉を続けた。
「お話といってもどのような事をお話すればよいのでしょう? 神子様に満足していただけるお話がわたくしに出来るとは思いませんけれど……」
藤姫は自信なさそうに俯くと、あかねはちっちっと人差し指を振って見せた。
藤姫にはそれが何を意味するのか分からない。
「違うんだなー藤姫。こういうのは自然と盛り上がるものだって」
あかねの中で勝手に話が進んでいる。「こういうの」?
「ああ藤姫はコイバナとかした事ないか。それなら私とじっくりしようよ。私、藤姫に話したい事も聞きたい事もたくさん」
「ちょ……あの、神子様?」
こいばな?
知らない、あかねの世界の言葉に戸惑っているうちに、あかねはどんどん暴走していく。
いつの間にか彼女の目はきらきらと輝いていた。
「み、神子様っ。こいばなとは何でしょうっ? それを説明していただかない限りはわたくし……っ」
暴走を止めるべく手を差し出すと、あかねははっとして照れて笑った。
「ご、ごめん。つい暴走しちゃった」
「それで、こいばなとはどういったお話の事を指すのでしょう?」
「あのね、コイバナってのは恋の話の略、つまり恋愛にまつわる話全般を指してそういうんだ」
「こ、恋! でしたか」
なぜか慌てる藤姫。
もちろんあかねはその不自然さを見逃したりはしない。
「なぁーに藤姫、何か思い当たる節でもあるのかなぁ?」
にやにやと笑いながら徐々に追い詰めていく。
「あの、何でも……ありませんわ」
「まーったまたぁ。私知ってるんだから。藤姫の好きな人」
「えっ?!」
真っ赤になってあかねの顔をじっと見つめると、あかねは「引っかかったー」と言って笑った。
しまった。騙された。後悔するが、もう遅い。
慌てふためく藤姫の姿を、あかねは嬉しそうに眺めた。
さっきのにやにや笑いとはまた違う。
「そっかぁ。上手くいくといいね。どんな人?」
「わたくし、まだ好きな人がいるなんて申し上げてませんわ」
「じゃあいないの?」
あかねのまっすぐすぎる質問に、藤姫はぐっとつまった。
答えを聞く前に、あかねは「でもね」と言って話し始めた。
「良かったと、思ってるよ」
「どうしてですか?」
「だって藤姫ってずっとここにいなきゃいけないんでしょ? 好きな人もいないで毎日ここで過ごすのはきっと退屈だろうから。でも、好きな人がいるならいいよね、まだ退屈じゃないもの」
……好きな人がいるなんて、まだはっきり言ってないのに。
本当の事を言うと、いないこともない。
けれど遠くから見つめるだけ。
随分と年の離れているあの人の顔を思い浮かべた。
わたくしの事なんて、きっと何とも思ってない。
それに、どうして近づけるだろう?
わたくしは、星の一族。その誇りを忘れた事などない。それを失くして生きていく事も出来ない。
使命を忘れて恋に溺れることなど出来ない。
分かっている、分かっているから見つめるだけに自分を留めているのだ。
私の姫、そう藤姫を呼ぶあの人の声を思い出した。
これ以上優しくするのはやめてほしいのに。その優しさに、縋りたくなる。本物なのだと願いたくなる。使命を失くしてしまいたくなる。
藤姫はこう言うのが精一杯だった。
「ええ……確かにわたくしにはそのように想う人がいます。ですが……どうしてその想いを告げることが出来るでしょう」
「どうして?」
「それは……」
「君の身分ゆえに、かな?」
突然の闖入者。
あかねが「えっ」と声を上げた。
御簾を上げて現れたのは、緑の髪の美丈夫。
「友雅殿?!」
渦中の人物の突然の出現に、藤姫は慌てる。
何もこんな時にいらっしゃらなくてもいいものを。
何を隠そう、藤姫の想い人は友雅本人だった。
好きなのだ、この人が。
藤姫は友雅の顔が見られない。
「と、友雅殿……今日は一体どのような」
「私かい? 今日は君に贈り物を、と思ってね」
君に、そう言われてふっと顔を上げるともろに友雅と目が合った。
そっと、頬を染めながら藤姫は考える。
わたくしに? 神子様にではなく、わたくしに?
「藤の花がことのほか美しかったのでね、手折ってきたのだよ」
と言って、差し出してくる。花は一房。目の前にあかねもいるのに、自分だけなんて受け取れない。
責めるような視線に気付いたのか、友雅は言葉を繋いだ。
「神子殿、君は私から花など贈られなくとも君には天真がいるだろう」
天真からそうしてもらいなさい、なんて言われて。
あかねはやだもー友雅さんったらぁと照れて笑った。
「天真で思い出したが……彼が神子殿に会いたがっていたよ。会いに行ってやってはどうかな。きっと彼も喜ぶだろう」
つまり、お邪魔だと。
友雅の真意にあかねが気付いたのかどうか知らないが、あかねは「じゃあ」なんて言って出て行ってしまった。
(今……今二人きりにしないでほしいのに……!)
藤姫は内心ひやひやしたままでじっと友雅を見上げた。
「さぁ、私の姫。これで受け取ってくれるだろうね」
「ええ……ですが……」
急に館に来たと思ったら、自分に贈り物なんて。
何を考えているのか本当に分からない。
「私が何を考えているか知りたいかい? とても不思議そうな顔をしているね」
「……ええ」
「さぁね、教えてはあげないよ。……でもね」
と、友雅はやおら藤姫に近づいた。
耳に唇を寄せて。息がかかりそうで、思わず藤姫は身を竦ませた。
顔が火照るのを感じた。
「君が考えてる通りの事を、私は考えているのだよ」
え、と思った瞬間には、もう彼は元通りの位置にいた。
わたくしが考えている事?
それは、例えば藤の花の意味。
男性が女性に贈る事は、それすなわち。
(そんな歌が、確か……)
「君はきっと、分からないだろうけれど。私の気持ちなど」
「そんな事ありませんわ。理解せよ、と仰るならいつだって」
「君はまだ幼い。気付けないよ」
「まぁ。子供扱いはやめていただきたいものですわ」
子供扱いではないよ、と友雅は言ってふわと微笑んだ。
小首を傾ける仕草。長い髪がさらさらと流れた。
思わずそれに藤姫は見入ってしまう。
「さぁ、どうか受け取って。私の可愛い姫君よ」
差し出された藤の花を、ぼんやりと眺めたあとそっと藤姫はそれに手を伸ばした。
言える筈がない。
気付く筈がない。
今はただ、この想いを藤の花に託して。
おしまい
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