泥棒と名探偵


 横に眠るは、小さな命。稚い15歳の命。
 クルースニクは、小さく寝息を立てるユウリィに傍に寄ると、顔にかかる髪をそっと梳いた。すっかり寝入っている妹は、そうされても起きる気配ひとつ無い。

 今日、ユウリィは。
 随分と時間と手間をかけてお菓子を作っていたようだった。逃亡中だというのに呑気な事だと思わないでもないが、ユウリィにとってそれは何より重要な儀式らしかった。嬉しそうに生地を作り、鼻歌を唄いながらカップに落としていくさまを遠くから眺めていたクルースニクは不思議な感情を味わった。
 …今日は。そうか、2月14日だったか。
 世俗の習慣にいまいち関心の薄いクルースニクでも、その日が何を示すのかは知っている。女性が想いを寄せる男性に、チョコレート等のスイーツをプレゼントする日だ。
 彼女はカップケーキを4つ作っていた。4つ。あの赤毛の少年と茶髪の少年と、それから大人びた剣士の少女にだろう。…そう思い、特に赤毛の少年に改めて「おまえがきらいだ…」と殺意を覚えないでもなかったが。では、4つ目はユウリィ自身にか。ところが、4つ目はいつになっても消えないままだった。ユウリィは自分の分を食べなかったのだ。…考えてみれば滑稽な話かもしれない、自分で作って自分で食べるのは。
 とすれば、何だ? そのケーキの行方は?
 まさか、と思った。だがそれ以外には考えられなかった。
彼女の様子を遠くで見守るだけに徹しようと思ったのに、思わず深夜、彼女らが寝静まった頃を見計らいこのように侵入しているのも、それを確かめるためなのだ。
 自分のものだと、そう思っても、いいのか。
 小さなカップケーキ。大切なこの子が真心を込めて作ってくれた。そっと口に運んで行けば、手作りならではのほんのりとした甘みを感じた。
 溶けて、沁みていく甘さ。優しくじんわりと。
 口元が綻んでいくのを覚えながら、起こさないように慎重に、その言葉を口にした。
「…ありがとう、ユウリィ」

 そして、温かな気持ちのまま部屋を出て行こうとした彼だったが。
 立ち去る瞬間にふと「それ」を見つけてしまった。
 性格上こういった状態が耐えられない彼は――。



 15日の朝。目が覚めると。
 机の上に置いておいた筈のカップケーキがひとつ、姿を消していた。
 考えられるのはふたつ。食べ盛りのジュードが食べたか、これまた食べ盛りのアルノーが食べたか。…無断で食べていくとも考えにくいが。ユウリィは起き出してきたラクウェルに事情を説明し、持ち物を点検するように言うとジュードたちに会いに行った。

「え? カップケーキ? そんなの、ユウリィにもらった1個だけしか食べてないけど…」
「俺もだ。心外だな、俺が勝手に食うとでも?」
 返答の答えは、そんなジュードとアルノーの非難の篭った否定だった。特にアルノーはジュードと一緒くたに疑われたのが余程気に入らないようで、大袈裟に肩を竦めてみせた。
「俺ももう18なんだぜ? いくら何でも忍び入ってカップケーキ食う程食い意地張ってないって」
 では、一昨日の夕食の時間に13歳男子と「どちらの皿に肉が多いか」で掴み合いの大喧嘩をやらかしたのは一体誰なのだろう。ユウリィはアルノーの発言に曖昧に同意すると話題を変えた。
「疑ったりしてごめんなさい。でも、カップケーキだけ盗んでいくなんて、泥棒らしくないと思ったので」
「ケーキだけ? お財布とか、そういうのは無事だったの?」
「手付かずでした。むしろ…ちょっと部屋がきれいになっていたような気がします」
 不思議な事なのだが、無造作に置かれていた鞄やら、ちょっとした小物の位置が整頓されていたのだ。
「ふーん? 随分きれい好きな泥棒なんだね、そいつ」
 心底興味がないといったふうに、ジュードがむくれながら適当な相槌を入れてくる。
 犯人も捕まらない。そしてジュードもアルノーも疑われて気分を害している。とりあえずこの場は去るのが賢明か。ラクウェルの荷物の件もそろそろ結果が分かっているだろう。
「――もしかしたら、やっぱり何か物が無くなっているのかもしれません。再確認してきますね」
 そう判断して、ユウリィは一旦部屋に戻った。

「ラクウェルさん、どうでした?」
 部屋に入り、ラクウェルに様子を尋ねたが、彼女は首を横に振るばかりだった。
「全て揃っている。ああ、ただ、いくつか物を動かした形跡があるな。例えばこれだ、愛用の24色の色鉛筆が…」
 言いながらぱかっと蓋を開けてくれたので、覗き込むとそこには。
「…長い順に並び替えてありますね」
「一部の隙も無く、な。元の並びが思い出せなくて困っている」
 妙な事をしでかした形跡こそあるけれど、やはり、カップケーキ以外にこの部屋から無くなっているものは無かった。考えれば考える程頓狂な泥棒だ。
 まるで、カップケーキこそが目的であるかのようだ。
「…一体何なのだと言うのだろうな。不可解な泥棒だ」
「そうですね…」
「ユウリィ、私には気になっている事があるんだ」
「何でしょう?」
「私は渡り鳥としてひとりで行動していた時間が長い。その分だけ人の気配には敏感なつもりだ。それが眠っている時なら尚更」
「人が来ていれば気付く筈だと?」
「ああ、今までの経験から言えば必ず目が覚めている筈の事件だ。入ってきたのがアルノーやジュードなら、きっと騒々しくしてその意図無くして私を起こすだろう。だから、犯人は気配を隠すのが上手い、玄人だ」
 犯人は、ジュードではない。アルノーでもない。
 ユウリィは探偵のように顎に手を添えて推理し始めた。犯人はこの部屋に忍び込む。そして脇目も振らずに机の上にあるカップケーキを手に入れてむしゃむしゃ食べる。そしてユウリィやラクウェルの私物を満足するだけ整頓してから出て行く。…ふと気になってゴミ箱の中を漁ってみた。案の定、カップケーキの紙皿が出てきた。なぜか4つ折りにされている上に、アイロンでもかけたかのように折った端を爪でくっきり後を付けた形跡がある。ぴったりとカップケーキの紙皿の円周部分が重なっている。捨てるものだというのにここまで丁寧に畳んでどうするというのか。犯人はひどく几帳面な性格のようだった。
 よく馴染んだ誰かの事を思い出して、ユウリィはほのぼのとした気持ちになった。その時だった。
 …まさか。
 稲妻のような衝撃が体を走り、ユウリィは思わず振り返った。
 あの人が近くにいてくれている。そんな妄想が頭を過ぎり。けれど振り返った先にいたのはラクウェルひとりきりだった。
「どうした?」
「…来て、くれていたんですか?」
「うん?」
「あ、いえ、…ごめんなさい。何でもないんです」
 そんなわけない。いくらなんでも都合が良過ぎる妄想だ。けれど――。
 心臓が逸る。あの人が来てくれたのだと。そう信じても、いいのだろうか。
 大好きなあの人が見ていてくれていると。傍にいて、自分の感謝の気持ちが伝えられていると。だからこそ、このカップケーキを受け取りに来てくれたのだと…。
 ここにはいないその人を想い、気付けばその言葉を口にしていた。

「…ありがとう、兄さん…」


 ――この言葉も、きっと伝わっている。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
以前いただいたバレンタインクルユリ創作の返礼として書きました。
大遅刻です、すみません…(土下座)。
そんなわけで元気にストーカー行為に励む兄とそれを嬉しく思っている妹の話でした。
すごく…両思いです…。

→WA小説へ
→home