おせっかい


「聞いたよルヴァー。あんたアンジェを振ったんだって?」
「うわぁっ」
 ここはルヴァの執務室。
 本の整理をしていたルヴァはいつの間にか背後にいたオリヴィエに話しかけられて飛び上がった。
「あ、あなたいつ入ってきたんですかっ」
「さっき。あんたがぼんやりしてるから気付かなかったんでしょ。私はノックもちゃんとしたのに、あんたってば気付かないんだから」
 オリヴィエの目はキラキラと輝いている。
「で? で? どうなの?」
「どう、と言われましても……そんな事、執務室で話すような話題ではないでしょう」
「じゃあさ、私の私室に招待してあげるから、話しなよ。ホラ、あんたの好きな緑茶も出してあげるから」
「何を言ってるんですか。まだ公務の時間でしょう」
「あんたこそ何寝ぼけた事言ってるの。こんな一大事に公務なんてやってらんないわよ」
 それに、とオリヴィエが付け足してにっこり笑った。
「公務だとかそんな言葉でその場が凌げるなんて思ったら大間違い」
 何としてでも吐いてもらうから、とさりげなく凶暴な一言をつける事も忘れず、オリヴィエは強引に彼を自分の私室へと引っ張っていった。



 オリヴィエの私室にて。
 緑茶を注ぎながら、オリヴィエは先程とはうって変わって静かに尋ねた。
「まさかあんたに色恋沙汰が発生するなんてね……事実は小説より奇なりっていうけど、この場合その筆頭ね。はい」
「あ、ありがとうございます」
 ルヴァは緑茶を受け取り一口飲んだ。
「あー、美味しいですねー」
「ホントに呑気なんだから。全く、アンジェはあんたのどこがそんなに良かったんだろ。私がアンジェだったら迷わず私を選んで、ルヴァなんて眼中にも入れないのに」
 オリヴィエの言い分に、苦笑しつつも反論はしないルヴァ。
「どこが良かったんでしょうねぇ。どのみちもう終わった事ですから、関係ありませんよ」
「みんな密かに応援してたんだよ? あの可愛いアンジェがよりにもよってあんたに熱を上げるとは思ってなかったけど……」
「あれ、みんな知ってたんですか?」
「いやもう、アンジェは分かりやすすぎ」
「そういえばこの噂話、あなたは一体どこで聞いたんですか?」
 いつもはのほほんとしているくせに、鋭いところで鋭い発言にオリヴィエは自分の頭を押さえた。
「どうしてそういうとこばっか閃きが冴えてるんだか……噂の出所? 教えられるわけないでしょ。ある筋からだけどさ、口止めされてるから」
 オリヴィエは茶には手を出さず、話を続けた。
「どうして、振ったりしたの。あの子、泣いてたんだよ」
「そうだったんですか……」
「そうだったんですかじゃないよ。最近のアンジェったら育成もまともに出来なくなって、見てて痛々しいんだから」
「でも……そうであっても、必ずアンジェリークは元の元気を取り戻してくれると信じてます」
「振った男に信じられてもね」
 オリヴィエはため息をつき緑茶を飲み干した。
「教えてよ。あんたアンジェの事が好きなんじゃないの? あんたがアンジェとのデートの度に緊張しすぎてどうにかなってたのも知ってる。公務なんか手につかなくなってたのも知ってる。こう言っちゃ何だけどぞっこんだったあんたが、どうして?」
 ルヴァはオリヴィエの目をじっと見つめた。
 真実を語る決意を固めたようだった。

「彼女は、女王候補ですので」

 しかし、真実はたったの一言だった。
 オリヴィエは苛々のつのる自分を自覚した。先程から嫌味ばかり言っている自分にも。
「それだけの理由で?」
「それだけ? 本当にそうでしょうか。彼女がどれだけ私の事を好いてくれていたとしても、例えば私もあの子の事を好きなんだとしても、彼女がもしかしたら女王になるかもしれないという可能性がなくなるわけではありません。私の一存で世界の成りようを決定する事は出来ないし、またあの子の将来を狭めてしまいたくありません」
「続けて」
「オリヴィエも見ていて分かるでしょう。アンジェには確かな素質があります。それは女王の才能です。彼女はやはり女王になるべきなのです」
「馬鹿」
 オリヴィエは吐き捨てるように呟いた。
「確かにあの子には予感を感じるよ、でもね……私だったらあの子をまず不幸にしない。女王になってもならなくてもあの子を幸せにしてあげたいと思うよ。そして自分もね。だから私はあんたと違ってやりたいようにやる。世界の事なんて二の次。……所詮あんたとは考え方が違うのか」
「……そうなんでしょうね」

「じゃ、アンジェは私がもらうよ」

 オリヴィエはにやりと笑った。
 意地の悪そうな、悪戯を考えているような、そういう笑み。
「構わないでしょ」
「な、何でそういう事になるんですかっ……まさかオリヴィエ」
「気付いちゃったー?」
 ルヴァの顔がだんだん青くなっていくのを横目で見ながら、オリヴィエは言葉を続けた。
「鈍いなぁあんたってば。私がアンジェの事を何とも思ってないわけないでしょ。あんなに可愛いのに。それに、言ったでしょ。アンジェが泣きついてきたって。あの子が私を頼ってきたって事は、少なくとも向こうも何とも思ってないってわけでもないみたいだ。傷ついた子猫ちゃんは癒してくれる人に弱いんだってさ。……知ってた?」
「オリヴィエ!」
「ついに怒ったか」
 眉毛を吊り上げるルヴァに、それでもオリヴィエは微笑みを消さない。
 彼から怒りを引き出す事こそが目的だったのだ。
「彼女を、どうするつもりです」
「あわよくば付き合っちゃおうかと思って。あんた、さっき自分で言わなかった? 関係ないって。それとも何? アンジェが自分以外の誰かと付き合うのは駄目だって? ……それが独占欲だって気付いてほしいものだね。アンジェを振ったあんたに、そんな事言う資格はないだろうけど」
「それは……そうでしょうけど」
「今の私が気に入らないってはっきり言ったらいい。アンジェの事が好きだって、はっきりみんなに言ったらいい。じゃないと例えば私じゃなくても、誰かが必ず手を出すよ。あれだけ魅力的な子をみんなほっといたりしない」
 ルヴァは無言のまま。オリヴィエははぁとため息をついて続けた。
「世界の事なんて関係ない。そう思ったから、アンジェもあんたに告白したんだよ。今のアンジェには世界が云々よりあんたの方が重要だったんだよ。もしかしたら女王になってたかもしれない女の子が未来を諦めてまであんたを選んだんだ。どうなの、ここまで聞いてもまだ何とも思わないわけ?」
「しかし……」
 否定の言葉とは裏腹に、ルヴァの心は揺らいでいるのを確信した。
 あと少しだ。
「自分の気持ちに正直になればいいだけの話じゃない。何よ?」
「ですが……もうきっと彼女は私の事なんて振り切ってますよ。あの子はそういう子ですから」
 苛々する。
 この男は、自分にどこまで言わせたら分かってくれるのだろう。
 アンジェリークの一体何を分かっているというのだ。
 それなら、自分の方が余程。
 何もかもをぶちまける覚悟で、オリヴィエは声を荒げた。
「んなわけないでしょ! 今日も私の所に来てぐずってたから」
「……あ」
 ルヴァは、何かに気付いた、そういう顔をした。
「行きなよ。……アンジェが、待ってる」
「え?」
「森の湖で、アンジェがあんたの事待ってる」
「……オリヴィエ」
 途端にしんみりし始めるルヴァ。
「同情なんてやめてよね。さっきの言葉なんてあんたをけしかけるための嘘に決まってる。だけどあんたの意志が半端なら行くのはよしなよ。アンジェの事を一生守りぬくって言えるなら、行ったらいいと思うけど」
「わ、私はっ……」
 立ち上がり、握りこぶしをぎゅっと作って。ルヴァは宣言した。
「私はアンジェが好」
「はいストップ。そんな暇あるなら早く行ったら? 私相手に宣言してもしょうがないでしょ。……その言葉はアンジェのために取っておいてあげな」
 きっと、大丈夫。聞かなくても分かる。この男は決意を固めている。
 最初から分かっていた事だ。
 この事件以来心ここにあらずのルヴァ。さっきだってノックしたのにこいつは気付かなかった。
「私は怖かったのです……もしかしたら私がアンジェの未来を奪ってしまうのではないかと。でも……これだけ想ってもらっていたのですね、私は。気付けずにいたのが恥ずかしいです」
「それなら、とっとと行ってきたら? あんたのそばに置いておくんでしょ?」
「ええ。オリヴィエ、あなたに感謝します。大事な事を気付かせてくれました」
「感謝するならアンジェにどーぞ! 私はただ、アンジェのために動いただけだから」
「ありがとう、ございます」
 オリヴィエに向かって深く一礼すると、ルヴァは一目散に駆け出した。

 残されたオリヴィエは、呟くのだった。
「なーんて、ね。はーぁ。どうして私っていつもこういう役回りなんだろ。おせっかいなオリヴィエさんは可愛い子が悩んでるのを放っておけなかったんだよね」
 髪をいじりながら、オリヴィエはあの時の事を思い出していた。

 執務室にばたばたと駆け込んできたアンジェリーク。
 そのままオリヴィエの胸に飛び込んで、泣いていた。
<助けて下さい、オリヴィエ様……!>
 耳に残る、悲痛な叫び声。
 やめて、泣かないでよ。そういう宥めは全く効かなかった。
 だからオリヴィエは言ったのだった。
<必ずルヴァを説得させてみせるから。あんたは森の湖で、待ってて>

「さよならアンジェリーク。幸せになってよね。あの馬鹿男とさ」
 それ以上に馬鹿男なのは、ルヴァではないけれど。



 森の湖。
 少女が誰かを待っている。
 懸命に、滝の前で祈りを込めている。
 そこへ青年が駆け寄った。
「アンジェリーク!」
 少女は振り向き、少しだけ赤い目をさらに潤ませた。
「ずっと待ってました、ルヴァ様……」


おしまい


■あとがき
オリヴィエ様ーッ!
…ところでこの話、何だか他力本願な話のように思われるのはおそらく気のせいではないでしょう。
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