ある晴れた空に
私はキスを贈る
*
「こんにちは、ルヴァ様」
「あ、アンジェリーク。来てくれたんですかー嬉しいですよー」
訪ねてきたアンジェリークに、ルヴァはちょっとほっとしながら喜んでいた。
アンジェリークとルヴァの関係は、正に出来たてほやほやいちゃいちゃラブラブカップルだった。
お互いに会えるのが楽しくてしょうがないという時期真っ最中なのだ。
「いつ来てくれるのか、楽しみに待ってました。そのおかげで全然仕事もはかどりませんでした」
「ごめんなさい、もっと早くに来れなくて」
「いいえ、いいんですよー。あなたがもっと早く来ていたら私の今日の楽しみが早くなくなってしまうって事なんですからね。あなたを待つのも、楽しいんです」
「そんなぁ……」
アンジェリークもルヴァも、照れ照れである。
「ところでアンジェリーク。今日は私に特別に何かご用があるとか。私で役に立てるのなら何でも仰って下さいねー」
「はい、あの……本を貸してほしいんです」
「珍しいですねぇ、本嫌いのあなたが」
「私、ルヴァ様に近付きたくって。だから、嫌いな本も読んでみようかなって」
正しく今、アンジェリークはルヴァの好みの女性「向上心のある女性」そのものなのだった。
じーんと感動するルヴァ。
先程のアンジェリークの言葉を反芻する。
(「私、ルヴァ様に近付きたくって」「私、ルヴァ様に近付きたくって」……)
ルヴァは心の中で涙を流しながら喜んだ。
「それで、ルヴァ様。出来れば……って、聞いてます?」
「はうっ。あ、すいません。で、何でしたっけ。あーそうでした、本でしたね」
ルヴァはうんうんと満足気に頷く。
「どんな本が読みたいですか? やっぱりまだ専門書の類はちょっと難しいですかねぇ」
「うーん……出来ればあんまり字は多くなくって、たまに絵や写真のページがあってそこで一休み出来るような、そんな本ありませんか?」
ルヴァはうーんと唸りながら、梯子を使って本を出し入れし始めた。
しばらくはあーでもないとかこーでもないとか独り言を呟いていたが、しばらくすると一冊の本を手にアンジェリークの元へ戻ってきた。
「これはね、詩集なんですよー」
「詩集?」
題名には「ある晴れた空」とある。
夏の空に、白い雲の浮かぶ表紙だ。
「どんな詩集なんでしょう」
「色んな作家が空についての詩を書いた合作の本です。空の写真もたくさん載ってますから、あなた向きの本じゃないかと思いますよ」
へー、と言ってアンジェリークは本をぱらぱらとめくった。
写真がたくさんあって彼女の心を和ませた。
「じゃあ…これにします」
「あー、そうですか? いやぁ楽しみですね。読み終わったら、是非感想を聞かせて下さいね」
「はい、もちろんですルヴァ様」
あ、と気付く。そろそろ帰らなければ。
にっこり、少しだけ寂しさも含ませた笑顔で告げた。
「じゃあ……今日は帰りますね」
「え、もう帰っちゃうんですか……寂しいです」
途端にしゅんとした顔を見せるルヴァ。
どうしようも程の嬉しさと愛しさが込み上げてきて、アンジェリークはぎゅうとルヴァを抱き締めた。
「またすぐ来ますから、ね?」
あわあわとしていたルヴァが、そのうち大人しくなってぎゅっと抱き締め返してくる。
「ええ、きっとですよ」
このまま離したくないな、とお互い思った夕暮れだった。
*
部屋に帰ってくるなり真っ先に本を開いたアンジェリーク。
思った以上に読みやすい本でほっとしたりもした。
ルヴァが言っていた通り、空についての詩が載っていた。アンジェリークでさえ知っている著名な作家が残した詩もあった。
やけに難解な詩もあれば、やけに可愛らしい小学生向けのような詩もあった。
読んでいて吹きだしてしまうようなユーモラスな詩もあれば、読んでいて何だか切なくなってしまう恋の詩もあった。
色々あるんだなぁ、空って言ってもと思いながらページをめくっていたら、あるページで手が止まった。
それは、写真だった。
女の人がこちらに背を向けて空を見上げている。
空に向かって手を差し伸べている。
その隣のページには短い詩が載っていた。
ある晴れた空に
私はキスを贈る
たったこれだけの、とても短い詩。
でもなぜか、ページをめくる手がそこから動けない。
ふ、と。思った。
(キス、なんて)
想像、じゃなくて妄想してしまう。
青い空にキスを贈る主人公。
青い髪の男の人にキスを贈る女の子。
そこまで考えてアンジェリークは顔が熱くなるのを感じた。
(……思い出しちゃうよ)
この前ルヴァ様の執務室で、こっそり。
それから森の湖で、誰もいない事を確かめて、何度も。
あの人の唇を。
思い出してしまうのだ。
あの人のうっとりした顔。そっと支えてくれる腕。
何もかもが温かい。
あまりの気恥ずかしさに耐えられずにアンジェリークはベッドにダイブした。
手足をじたばたさせる。
「恥ずかしいっ……」
ほんの少し変な笑みを浮かべて、枕に顔を押し付ける。
息が苦しいが、それさえ今は快い。
(今度……この本を返しに行く時には)
あの人にキスを贈ろう。
*
あくる日。
アンジェリークはルヴァの執務室にいた。
「ルヴァ様。本、返しにきました」
「ああ、よく来てくれましたねー。とても嬉しいですよ、おや、もう読み終わったのですか?」
「はい。とっても面白かったです。ありがとうございました」
「いえ、あなたが楽しんで読めたのなら、私が一番良かったですよ……うん?」
じりじりとにじり寄ってくるアンジェリークを認めて、ルヴァは首を傾げた。
距離が近い。二人の距離が。
「どうか、しましたか?」
「あのね、ルヴァ様。ちゅーしてほしいな、なんて」
「……はい?」
どこかうっとりした表情で訴えてくるアンジェリーク。ルヴァにとっては嬉しい要望でもあるが……突然すぎてどうしていいやら困ってしまう。脈絡がなさすぎる。
ルヴァの頭は混乱するばかりである。
「だめですか……?」
上目遣いに、うるうる目で迫るアンジェリーク。
ルヴァの理性はがらがらと崩壊した。
ルヴァはアンジェリークにきちんと向き直ると、彼女の小さな顎をそっと支えて口付けた。
ルヴァの唇が離れると瞑っていた彼女の目がそろそろと開かれた。
そして、それはそれは嬉しそうに微笑んだ。
「ルヴァ様、ありがとう」
何だかよく分からないけれど。
彼女が喜んでくれたならいいでしょう。なんて思ってしまうルヴァがいた。
「あの、何で急にこんな? いえあの私達はその……恋人同士ですしね、急にそうしたくなってしまうのもあるでしょうけど」
アンジェリークは本を指差し照れてみせた。
「だって。ルヴァ様が感想が聞きたいって仰ったから」
歌うように。
アンジェリークは呟いた。
ある晴れた空に
私はキスを贈る
おしまい
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