海が死んだら何が残るだろう。きっと、塩が残る。
わたしが死んだら何が残るだろう。わたしが兄さんを想う気持ちが残るだろうか。
16歳に、なった。
気付いたら16歳になっていた。
ユウリィにとってこの1年は早過ぎた。
ジュードの駆け足と同じくらい早く、時間は過ぎていった。
「1人で大丈夫?」
「うん。平気。ジュードは、一緒に来てくれなくても大丈夫だから」
ブルーアミティービーチに、1人で行きたいと言い出したのはユウリィだった。
世界が彼らの手から守られて1年。
節目でもある所為か、ユウリィにとっては1年前のことを思い出す時期である。
だからなのか、どうなのかジュードには理解し得ないが突然「海に行ってくるね」などと言い始めたのだ。
「でも……」
ジュードは、渋っている。
何せブルーアミティービーチに「1人きりで」行きたいと言っているのだ。
ユウリィは、けして弱いわけではない。
むしろ逃亡を続けていた歳月が彼女を強く変えた。
ちょっとやそっとのモンスターでは彼女に傷一つ付ける事は出来ないだろうという事も分かるつもりだ。
だが。
理性と精神は違う。
彼女を守るべき立場だと自負するジュードとしては、歓迎しない発言だった。
「わたし、こう見えても強いんだから。ビーチに出るモンスターくらい、何とも無いから」
「……うん、分かった」
彼女が強く言うと結局は折れてしまうのも、やっぱり分かっていた事だったけれど。
*
ざざ、ざざ、と波は近づき遠のき。
あまりにも青すぎる海辺。あまりにも眩しすぎる空。
とうとうここまでやって来てしまった。
右肩にかけた荷物を降ろしてユウリィはため息を一つ、ついた。
わがままを、言ってしまったと思う。ジュードに悪い事をしてしまったと、思う。
けれど一歩も引けなかった。
ひとりに、なりたかった。
ひとりになって少し考えたかった。
ジュードは優しい。いつも、どんな時にも自分の事を思いやってくれる。
だけどそれだけじゃ自分の中にあるこの想いが解決するわけじゃない。
彼のそばにいても、何にもならない。
(ごめんね、ジュード)
心の中で呟いて海と空の間の水平線を見た。
ものすごく遠くに感じた。
あの海の向こう、あの今は無き島を思った。
あの遠い場所に一番大好きな人が、きっと今もいる。
兄さん。
「いつになったら、合流できるのかな」
思わず呟いてしまった言葉に、はっとした。
そうやっていちいち言葉で確認しないとくずおれてしまいそうになる自分が弱くて嫌になる。
あれから1ヶ月、半年、1年と、季節は巡り巡ったけれど。
先に行った兄さんに合流で出来そうな気配はない。
どこまで兄さんは先行してしまったのか。
ユウリィはお尻が汚れる事も構わずその場にへたりこんだ。
どうしようもなく、苦しい。
息も出来ない程苦しい。
左手で、胸の辺りの服を掴んだ。
この海が、今すぐ死んでしまえばいい。乾いてしまえばいい。
そうしたらあの島まで走って彼を迎えに行く。
きっと、兄さんもそれを望んでいる。
……そんな事、出来るわけはないけれど。
現実を見よう。海は乾く事はない。
ユウリィには待つことだけしか出来ない。
待つことだけしか出来ないなら辛抱し続けて待つしかない。
でも。一つだけ。
待つことだけしか出来なくても、出来る事はある。
ユウリィはリュックの中から小瓶を取り出した。
白い紙の入った薄い緑色の瓶である。
兄へのメッセージを、綴った。
コルクの蓋がきつく締まっているのを何度も確認してから、ユウリィは腕を大きく振り上げてその小瓶を海へと放り投げた。
これで、いい。
兄へは届かないかもしれない。だけど、届くかもしれない。
ゆらゆら揺れる海面を見ながら思う。
少しずつ遠のく小瓶を見ながら思う。
あの小瓶はどこかへとたどり着くだろう。
ひょっとすると、あの島に小瓶は辿り着くかもしれない。
ひょっとすると、兄が気が付くかもしれない。
全て「ひょっとしたら」という妄想だ。
だけど信じていよう、この純粋な気持ちのままずっと。
ユウリィは荷物を取り上げた。
そしてもう帰ろう、と呟いた。
海は枯れる事はない。生き続ける。
それなら信じるだけ。
明日もきっと海は生きていると信じて、わたしも生きるのだ。
おしまい
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