ジュードが森から帰ってくるらしい。
一体何ヶ月ぶりだろう?
数年前に動植物調査員となったジュードはここのところハリムから遠く離れた森に篭りきりで全く連絡が取れない状態だった。
そんなに森が好きかしら、と思う。
お互いそれなりには大人に近づきつつあるけれど、彼の子供っぽいところはなくなろうとはしない。
森がシエル村を連想させる事は明らかだったが、荒廃していく森を守る事で心の中でシエル村を守ろうとしているのだろう。
その気持ちは、分かる気がした。
こんこんこんっ! と勢いよくドアがノックされた。
はい、と答える前にドアが開いて、客人はずかずかと入ってきた。
「わ、ジュード? ……」
急に帰ってきたと思ったら、連絡もなく急に尋ねるなんて。
「これ、見て」
しばらく見ない間ににょきにょき身長が伸びていたジュードが、それを手渡した。
布に包まれた、硬く細長い何か。ずっしりと重い。
重さによろけそうになりながらそれを受け止めた。
「なあにこれ」
「開ければ、分かる」
久しぶりに再会したというのにそれらしい挨拶もせず、ぶすっとした表情のまま。
彼がそうさせているのがこれなのだろうか。
一枚一枚布を剥がしていくユウリィを見ながら、ジュードは呟いていた。
「ホントはこっそり帰るつもりじゃなかったんだ。でも、それ見つけちゃったから」
布の中から現れたのは。
装飾の殆どない、それでいて高貴な感じさえする、青い鞘に入った剣。
しばらく言葉が出なかった。
紛れも無い、これは。
「兄さんの、腰に付けられてた……」
「やっぱり」
ふぅ、とジュードはため息一つ。
「僕も、見た時そうじゃないかと思ったんだ。ユウリィがそういうのなら、そうだよね」
「ええ、確かにこれは……」
そんなに間近で見たわけじゃないから確信は持てない筈なのに。
すんなりと「確かに」という言葉が出て来た。
「探しに、行こうよ」
「え?」
「探しに行こう。今日はユウリィを誘いにここまで戻ってきたんだ。……来るんだろ?」
咄嗟に、言葉が出なくて。ぐ、と詰まった。
そんなに単純に、ジュードみたいに単純にはものを考えられなかった。
「わたし……行けない」
「ユウリィ?!」
ユウリィは震える目でジュードを見上げた。
彼に対して言うべき事は一つしかなかった。
こんな大切なものを見つけてくれて、持ってきてくれて、感謝してる。だけど。
「間違いだったら? ねぇジュード、間違いだったらどうしよう?」
ジュードにとっては予想しない言葉だったのだろう、彼は戸惑っているように見えた。
ユウリィだってもう大人だ。
あの時のままの純粋な気持ちでクルースニクを待っているわけではない。
この剣が、彼の剣に似てるだけで。
クルースニクの持ち物ではないと、はっきり事実を突きつけられてしまったら、どうしよう?
どうやって「それ」から逃げ出したらいい?
認めたくない事実から目を逸らしきれなくなったら、どうしたらいい?
「わたしね、ハリムに住むようになってから何度か夢を見るの……兄さんが、帰ってくる夢。目覚めると、ああ夢だったのかってものすごい失望感を味わってるの。……現実にまで、わたしに辛い思いをしろとジュードは言うの?」
「だからって何もしないってわけにもいかないだろ。現にこうして証拠が……」
「もし間違いだったらわたし、生きていかれないわ」
殆ど確信を込めて、言った。
夢でさえあれほど苦しいのに、あれが現実だったならたまらない。
今まで築き上げてきたものが簡単に崩れ落ちてしまうだろう。
無理矢理、何とかして自分に信じさせてきたものを。
でも。この剣があるゆえに自分が兄を探しに行くだろうということも分かっているつもりだった。
出来れば行きたくはない。でも行って、確かめたい。
揺らぐ気持ち。
このまま放っておく事も無視する事も、ユウリィには出来そうもなかった。
*
「ほら、この辺りだよ」
森までジュードに案内されてやってきた。
鬱蒼と茂る森。
獣道を歩きに歩いてここまでやってきたのだ。
こんな場所に本当に兄さんは落し物をしていったのだろうか。
何か作為的なものを感じた。
両手で抱えた剣をそっと胸に近づけると、ジュードが呟いた。
「……心配?」
「……ええ」
「大丈夫。きっと大丈夫だから」
どれだけ言われたところで、兄と自分の間にあるものが分からないあなたに、わたしの苦しみが理解できる筈無い。
言えるわけはないけれど、そう思ってしまう自分がいた。
「この辺りに見当をつけて探そう。こんな所に剣を置いていくなんてクルースニクらしくない。きっとここに戻って来るなり何らかのアクションを起こす筈だ」
目を伏せたまま、そっとユウリィは頷いた。
そして一歩を踏み出したが、前方にいたジュードが急に立ち止まった。
「あ」
とさっきまでとはうって変わって緊張感のないジュードの声に慌てて視線を上げると、彼がぽかんとした顔で空を見ていた。
「?」
彼が見ている辺りを追いかけて見ると、向こうの森から細く灰色がかった煙が立ち昇っているのが見えた。
「人が、いるんだ」
ジュードはその事実を噛み締めるように呻いた。
「動物は、火を使わないから」
あそこに、誰かいる。
一縷の望みをかけてそこへ向かった。
歩くうち、あの煙に近づくうちに、目の前の木々がいきなり開けた。
そこは、まさに秘密の花園。
こんな場所に、人が住めるような家屋があったなんて。とユウリィは驚嘆した。
元からこの場所にあることを知っていなければ、ここへは辿り着けないだろう。
大きな木造のテラス付きの家があり、その周りには花壇が広がり色とりどりの花を咲かせていた。
赤や、橙。黄色。
目が眩しくてくらくらするほど。
ひたすら緑色の続くこの森でこの極彩色はひどく奇怪に感じられた。
「誰かが住んでいるみたいね……」
家屋の煙突から今だ立ち上る煙を確認しながらユウリィは冷静に言ったつもりだった。
だが実際には声が震えていて、心もはやり始めていた。
ここで、兄さんが暮らしているかもしれない。
生きているかもしれない。
そう思うと、焦り始める自分の心を止められなかった。
だが、果たしてクルースニクのような人物が花をこのように飾り愛でるだろうか?
ものすごく冷静な部分で、こんな事をするのは兄さんではないとも確かに思うのだった。
「じゃあ行こうかユウリィ」
横のジュードの発言に、ユウリィは面食らった。
「行く、って……ジュードも来るつもりなの?」
「え? 僕、行っちゃいけない?」
「そうじゃ、ないけど……」
もし、あそこにいるのが兄さんなら。
もう家族のいないジュードに、家族との再会なんて酷なものは見せられない。
もし、あそこにいるのが兄さんではなかったら。
傷ついた自分の顔を見せたくない。それこそ同情なんてされたくない。同じ立場だと思われたくない。
「ううん、やっぱり……1人で行くね」
「そうなの?」
少し、残念そうにジュード。
「ここで、待ってて」
静かにそう告げると、ユウリィはその場からそっと森から抜け出した。
怖い。
クルースニクの剣を、強く握った。
でも、知りたい。
兄さん、あなたはここにいるのですか……?
その時突如として目指す家の扉が開いた。
はっとして身構える。
息を殺して待った。
ややあってから、中から人が出て来た。
「……」
中から出てきたのは見知らぬ男性と女性だった。
「……」
彼等はこちらに気付いた様子もなく話し込んでいる。
「……」
自分のあまりの勘違いに、涙が出そうになった。
違った、違った、兄さんじゃなかった!
彼等は話を止めることなくどこかに去ってしまった。
心のどこかでものすごく期待をしていた。
再会を、あれこれと脳内で想像している自分がいた。
……自分の思い込みが恥ずかしい。
俯いたその目に、クルースニクの剣が写った。
(兄さん……!)
抱えきれないこの想いを、いっその事この剣が断ち切ってくれればいいのに。
そうしたら自分は楽になれるだろうか。
もう、楽になりたい。
彼の事を思い出す度涙が止まらない、それでは未来へと進んでいけない。
でも、まだ信じていたい。待ってていたい。
いつか必ず帰って来るという望みは、まだ捨てきれない。
確かに辛いけれど、ここで諦めきれない。
そうよ、と思いなおす。この剣がある限り、望みが絶たれたわけじゃない。
わたし、信じてていいのよね?
わたし、大好きでいていいのよね?
わたし、待っていてもいいのよね?
その場で振り返った。
ジュードが心配するようにこちらを見つめている。
安心させてあげなきゃと、応えるように微笑んだ。
秘密の花園。
秘密を湛えたその家の、カーテンの向こうで。
そっと外を窺う人物がいたが、ユウリィは気付かなかった。
その優しき視線さえ。
おしまい
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