ポートロザリア。
オークションを明日に控え、今日は早めに休む事になった。
みんなは早速寝息をたてているが、ユウリィはいつまで経っても寝付けなかった。
眠れないのが苦しくて、何度も何度も寝返りを打つ。
そうそうするうちにすっかり時間が真夜中の域に入ってしまった。
小さくため息を付く。……原因なら分かっている。
兄さんがこの地にいるという事が自分を落ち着かなくさせているのだ。
このすぐそばの病院で、兄さんも眠っているのだろうか。
会いたい、と無性に思った。
(……でも)
出来る筈ない。
昨日会った時の兄さんは全てを放棄していた。今例えば兄さんに会いに行っても拒絶させる可能性の方が大きい。
兄さんも自分も傷つく結果になるなら行かない方がいい。
そうやって自分を無理矢理納得させて、ユウリィはまた寝返りを打った。
白い天井が見えた。
街灯の光がここまで届いて明るく白く見えるのだ。
しろいかべ……
(……ッ?!)
ふいに。
フラッシュバックする過去。
辛い思い出が蘇る。
(もう……忘れたいのに……!)
両手で閉じた目を塞いだ。
もっと、視界を暗くしなければ。
きっと外が明るすぎるからこんなものを見るのだ。
しばらくしたらフラッシュバックは治まったが、激しい動悸は静まる気配がなかった。
潮風に当たろうと、そっと宿を抜け出した。
*
街が良く見える高台に立ち、深呼吸した。
嫌な動悸もやっと消えてくれた。
「約束を、しようよ」
みんながいないから歌う事が出来た。
気付いたら涙が零れていた。
何でだろう。
1人で泣かないための歌なのに、わたしは1人で泣いている。
誰かに……そう思いかけて考えるのをやめた。
誰かが一緒にいれば1人で泣かずに済む。
でもその誰かは兄以外に考えられないのだった。
だから、考えるのをやめた。だって考えたところで会う事は叶わないのに。
でも。
(やっぱり、会いたい……!)
どうしようもなく、会いたい。
この気持ちを誤魔化したりどこか遠くにやってしまったりなんて出来ない。
会おう。
ユウリィは決意すると、確かな足取りで病院へと向かった。
今は真夜中で危ない、とか人を訪ねる時間じゃない、なんてまるっきり考えなかったのが不思議だった。
*
だがいざ病院に着いてみると、なぜかあれだけあった勇気がしぼんでいくのが分かった。
どうやって自分が来たと兄さんだけに知らせたらいいだろう?
あの女の先生に迷惑をかけてしまうかもしれない。
そうして今更のようにドアの前でうろうろと迷い始めた。
帰る事も出来ない、でも進む事も出来ない。
この扉の向こうにクルースニクがいるのだ。
ドア一枚がなんて近くて遠いのだろう。そう思った。
そしてふらふらとドアに近付いた時、急にそれが開いて人が出てきた。
「きゃっ」
驚いてその人物を見遣る。と。
「あ、先生……」
「こんばんは。多分、来ると思ってた。ナゲヤリ君の妹さん……だよね?」
ナゲヤリ君。おそらく兄の事だと判断して、ユウリィは頷いた。
「ユウリィ・アートレイデといいます。あの、兄さんに……」
「分かってる。会いに来たんだよね。まさか夜這いみたいに来られるなんて思わなかったけど」
夜這い、なんて。
わたしたちは兄妹なのに。
思わず赤くなると、先生は快活に笑った。
はははと笑いながら、今が夜中である事に気付いたのかはっと笑いが止まった。
「おっと……うるさかったかな。もうこんな時間だもんね。君も会って話をしたなら早めに帰りなさいよ」
「はい。ありがとうございます」
「ナゲヤリ君はそこの突き当たりを右に行った部屋にいるから」
「はい、すみません」
行きかけてふと思い、尋ねてみた。
「先生、どうしてこんな時間に起きてるんですか……?」
「ナゲヤリ君が起き出す音で目が覚めちゃってね。ナゲヤリ君も君と一緒で眠れなかったみたいね」
どうして眠れなかったか、なんて事まで先生は言わなかった。
言わなくても、ユウリィには分かった。
だからユウリィはクルースニクの元へと駆け出した。
言われた通りの部屋に辿り着き、そうっと中を窺っていた。
ベッドに腰掛けて窓の外を身じろぎもせず見つめているクルースニクの姿があった。
「兄さん……」
小さな声で呼びかけた。反応はない。気付いていないのか。
今度はもっとはっきりと「兄さん」と呼びかけると、彼の瞳に力が宿った。
「ユウリィ……? 俺は夢を見ているのか……?」
「夢じゃないです。これは本当。こんな時間に来てごめんなさい」
クルースニクはしばらく呆然としていたが、「おいで」と言って自分の隣に座らせた。
「ちょうどユウリィの事を考えていた。だから、本当に来て驚いた」
「わたしも……兄さんの事考えてました」
「だけどユウリィ、今何時だと思っているんだ? 人を訪ねるような時間じゃないだろう?」
どこか責めるような声音に、ユウリィは少し傷ついた。
そんな事、今言わなくてもいいのに。
良くも悪くも兄さんらしい言葉ではあるけれど。
「だって……白い壁が、怖かったから」
ユウリィは先程自分の身に起こった事を話した。
あの時の事をまざまざと思い出してしまったから。
そう小声で呟いたら、隣で息を呑む気配があった。
ややあってから、クルースニクは言った。
「……悪い夢を見た。そう思って早く忘れるんだ」
クルースニクはぽんぽんとユウリィの頭を撫でた。
それだけなのに、ものすごくほっとした。
兄といる時が、どんな時よりも一番にほっとする。
「兄さんがわたしを落ち着かせる天才ですね」
「……そうか?」
「ええ。みんな……ジュードも、アルノーさんも、ラクウェルさんも優しいけれど、こうはいかないです」
言葉を切ってじっとクルースニクを見つめた。
夜の光に照らされて、何だかすごく大人に見えた。
「俺はお前の兄なんだからな……お前がそう思うのは当然だ」
そう、当然。
ならば、二人が常に一緒にいるのも本来は当然の話であってしかるべきなのだ。
「ね、兄さん……どうしてわたしたち、一緒にはいられないのかな……」
「俺がお前のそばにいたところで何が出来る。かえって足手まといなだけだ」
足手まといなわけはない。
ユウリィは強く強く首を振った。クルースニクの目で見て訴える。
「そんな事ない……! ただ、そばにいてくれればわたしは」
満足なのに。そう言い掛けて、止めた。
これではただの我が儘だ。兄さんだってしたい事の1つや2つあるだろうに、ただ妹であるというだけの理由で束縛してはならない。
「そう、ですよね……兄さんだって、わたしに構わないでもっと有意義な時間が過ごしたいですよね……」
そう言うと、彼は鋭い視線をこちらに向けた。
あまりのそれの強さに、つい身を竦ませた。
だがかえってきた言葉は、それとは裏腹にひどく切なさを帯びていた。
「本当にそう思っているのか。お前に構わない時間が有意義なものか……お前を守ってやりたい。だがこの不完全な力では無理だ」
それならばなぜ。
お互い一緒にいたい気持ちは同じ筈なのに。
どうしてわたし達こんなにすれ違ってしまうの。
「兄さん、本当に……頑固なんだから」
そっと体をクルースニクにもたれかけさせると、兄は腕を回して体を支えてくれた。
兄の体に、腕に、指に懐かしい熱を感じた。
そっと。想いを込めて呟いた。
「大好きよ、兄さん……大好きよ」
「俺もだ」
「嬉しい……」
それがまるで呪文であるかのように、ユウリィは繰り返し囁き続けた。
「本当に大好きよ……」
*
朝。
鳥の囀る音で目を覚ますと。
「あれ……?」
兄さんの部屋で一緒にいた筈なのに。
起きてみたら元いた部屋で眠っていた。
あれは夢だったのか。
「……違う」
あのあと自分は眠気に勝てなくて眠ってしまったのだ。
兄さんがここまでこっそり運んでくれたに違いない。
今日はオークション。
今日もまた兄さんに会える。
そう思うと自然と笑顔が浮かんできた。
おしまい
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