とある日の曜日。
森の湖にデートに来たアンジェリークとオスカー。
ここに来るのはこれで何度か知れない。
偶然にもそこには誰もいなかった。
「いつ来てもここは気持ちのいいところですね、オスカー様」
「ああ。そうだな」
アンジェリークはオスカーの事をじっと見つめた。
何度見ても素敵な人だ。
一目惚れ、と言ってよかった。
自分を名前で呼んでくれなかったり、何かと子供扱いする事に反感を覚えてもいたが、彼の考えの一つ一つに触れる事により彼の事をやっぱり好きなのだと確信できた。
オスカーは、自分が命を捧げられるような女性を探しているのだという。
どんな女性ならば彼の理想に当たるのだろう、とアンジェリークは考えた。
きっと、気品のある人。それから物腰柔らかな人。オスカー様に釣り合うだけの理想を持つ人。
彼の理想の女性になれれば、いつかは自分の事をアンジェリークと呼んでくれるのだろうか。
残念ながら未だ彼女はお嬢ちゃんとしか呼ばれてなかった。
アンジェリークは彼から視線を外し湖へと向けた。
「どうした? お嬢ちゃん。ため息なんてついて」
「あ、いえ。何でもないです」
「調子でも悪いのか?」
「私は元気元気! です。何ともありませんよ」
慌てて笑顔で答えたが、彼の表情は険しい。
顔色を窺うように小さくなって見つめていると、突然オスカーが歩み寄ってきた。
そして、抱きすくめられる。
「……ッ?! オスカー様?」
「いや……お嬢ちゃんがどこか遠くに行っちまいそうな気がして、ついな。驚かせたらすまない」
「いえ、びっくりはしましたけどでも。あの……離して下さい。恥ずかしいです……」
しかし腕の力が緩む気配はない。
アンジェリークはどぎまぎしっぱなしである。
(何でこんな事になっちゃったのかしら)
身動き一つ取れない。
アンジェリークに出来る事と言えば大人しく彼の鼓動を聞くぐらいだ。
両腕が空いているので彼の背中に腕を回してもいいけれど、……さすがにそれは出来ない。
好きな人に抱き締められて嬉しくないわけはないけれど、突然の事過ぎてアンジェリークの頭の中は真っ白だった。
「あの、オスカー様」
「何も言うな。しばらく、このままでいてくれないか。頼む」
そう言われたら、口を噤むしかない。
しかしこの状況があまりに続けばアンジェリークは勘違いしてしまいそうだった。
(ひょっとして、両思いなのかな)
オスカーが自分の事を思っていてくれているからこそ、この行動に出たのかもしれない。
でも、もし。
オスカーが今これから自分の気持ちを伝えてくるのだとしたら。
自分はむごい返答をしなければならなかった。
「お嬢ちゃん。聞いてくれないか」
「はい……何でしょう」
「俺は今まで恋愛関係で本気になった事はなかった。これまでに会ったどの女性も俺の最たる理想ではなかったからだ。だがアンジェリーク、君に会ってから俺は変わった」
名前を呼ばれて、アンジェリークはどきりとした。
こんな事初めてだった。
オスカーは首を振った。
「違うな、変わったのは俺の理想か。本当はもっと大人の女が良かった筈なのにな……どうして君みたいな子に俺は惹かれているんだろう。しかし間違いない、俺は君を愛してる」
「オスカー様……」
「このまま俺と一緒に来てくれないか。女王になるのを諦めてほしい」
信じられなかった。
まさか好きな人に告白してもらえるとは思ってもみなかった。
こんなに嬉しい事はない。
でも、とアンジェリークは思う。
この気持ちはとても嬉しいけれど、涙が出る程嬉しいけれど、……答える事は出来ない。
アンジェリークは俯いた。
申し訳なくて彼の顔を見ていられなかった。
彼の腕の力が緩んだ瞬間をみてアンジェリークはするりとそこから抜け出た。
「ごめんなさいオスカー様……お気持ちをとても嬉しく思います。ですが……あなたの気持ちに答えるわけにはいかないんです」
「なぜだ、アンジェリーク。君こそ俺の理想だ。ここで引き下がるわけにはいかない」
「まだ試験は続いているからです!」
高らかに、アンジェリークは言い切った。
そう、まだ試験は続いている。
「私にとって試験は終わりでも、ロザリアにとってはそうではありません。中央の島に辿り着くまでが試験なのですから。ここで私が女王になる権利を放棄しても彼女一人だけは試験を続けなければなりません。それは……ずるい事だと思います。私一人だけが楽な真似をしてもいいものなのでしょうか。私はそうは思いません。だから、オスカー様の気持ちには答えられません」
アンジェリークはぼろぼろ涙を零した。
辛かった。
大好きだから、断るなんてあり得ないと自分でも思う。
でも一方で頑張っているロザリアを見てきた。その彼女を見て、自分も応えなければいけないと思っていた。
ここで自分ばかり楽しい思いをしては、ロザリアに対し顔向けできなくなる。
「私だってオスカー様の事好きです……お慕いしてます、でもロザリアの事思うと軽々しくお返事なんて出来ないんです……!」
「アンジェリーク、一つ聞かせてくれ」
「え……何ですか?」
「君は女王になる気はあるのか? もしそれをロザリアに受け渡す気があるのなら、君が試験を続けているのがただの義務なんだとしたら、ロザリアが女王になったその日の夜にここに来てくれ。俺はもう一度、ここで君に愛を誓うから」
オスカーがアンジェリークの肩を優しく包んだ。
アンジェリークはさらに泣いた。
今度は嬉し涙で。
「泣き止んでくれ、アンジェリーク。いつかも言っただろう? 女の子は笑顔の方が魅力が3割り増しって」
「だって、だって、オスカー様がそんな事言うなんて思ってもみなかったんです」
「俺は、俺が見つけた理想を手放す気はない」
「オスカー様、こんなひどい私なのに、それでもいいんですか……こんなのがあなたの理想でいいんですか」
「それでも、俺は君が好きだ。それで君も俺の事が好きなら、問題はない筈だ」
「でも、こんなの……」
ロザリアに悪い、と言いかけたアンジェリークはそれ以上言えなくなった。
オスカーが口を塞いだからだった。
二人はしばし黙った。
オスカーがアンジェリークの体を強く抱きしめた。
アンジェリークの口元はやっと解放される。
「オ、オスカー様……」
「もう一度、さっきの言葉を言わせてくれ」
アンジェリークは顔を赤くさせたまま、はいと頷いた。
「アンジェリーク。君を愛してる」
おしまい
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