だいすきなねこのえほん


 女の子が泣いているのを見るのは、初めてだったんだ。



 コートセイム。身寄りの無い子供たちが集まって、慎ましく暮らしているその小さな村にて。
 ジェーンからの依頼により、絵本の朗読の仕事をする事になった。子供たちに何かをしてあげたいというジェーンの希望と、そんなジェーンの願いを叶えてあげたいと願ったロディ達の希望が一致した結果だ。ジェーンからの依頼だから無論報酬はごく僅かなものだが、そんな事に執着するようなロディ達でもない。ザックは気乗りしないようで、最後まで不平不満を漏らしていたが、セシリア・レイン・アーデルハイドの瞳の輝き方にはザックもロディもまるで太刀打ち出来なかった。
 このところ冒険続きで、セシリアは好きな読書をする時間も取れない有様だった。絵本とはいえ活字も読めて、なおかつそれで誰かの役に立つのなら、と彼女は相当なやる気を見せていた。
 ジェーンの強引な勧誘につられたセシリアの強引な勧誘によって、3人と1匹は今コートセイムに来ていた。ザックは「付き合うつもりは無い」と朗読会への参加を突っぱね、ハンペンを連れてさっさと酒場に行ってしまった。
 取り残されたロディは、その場でどうしていいか分からずまごまごしてしまった。辺りをうろうろしている間にさっさとセシリアはジェーンの案内を受け朗読会が行われる家へと吸い込まれてしまった。ザックを追いかけるべきか、セシリアを追いかけるべきか決めあぐねてひたすらその場をうろつくロディ。ザックを追いかけたところで自分は未成年、酒の付き合いなどできるわけもなし、かといってセシリアを追いかけたところで一緒に絵本の朗読をするのは少々こそばゆいものを感じる。
「あれ、ロディ」
 玄関から出て来たのは、セシリアを案内し終わったジェーンだった。
「あんた何してるの」
「えっと、どうしようかなって思って…」
「はあ?」
「う、ううん。こっちの話。それより、もう朗読は始まったの?」
「そうみたいね」
「一体何の絵本を?」
「あたしはよく知らないけど、何でも猫が主人公の絵本らしいよ。――それじゃあたしはもう仕事に戻るからさ、また何かあったら連絡頂戴。…今日はありがとね」
「うん、またね」
 ひらひらと手を振って、さっさとこちらに背を向けるジェーン。手を振り返したあと、ロディはこれからどうしたものかと溜め息をついてしまった。色々考えた挙句、セシリアの絵本朗読に付き合う事に決めたロディは彼女が吸い込まれていったその部屋に入ろうとして、扉の目の前に立った。扉の向こうから、微かにセシリアの落ち着いた声が聞こえてくる。普段から本を読み慣れている所為か、その声は淀みない。ノブに手をかけたまま、ロディはその朗読に聞き入った。語り口調のその声音は、ロディの耳の中に染み渡っていく。わけもなく、心地よいものを感じた。…と、ふとその声が途切れた。
「…?」
 急に部屋の中がしん…と静かになっている。何かあったのだろうか。あれ? と首を捻っているうち、突然荒々しくその扉が開かれた。向こうにいたのは、…
「セシリア?!」
 いたのは、目を真っ赤にしたセシリアだった。思わず声を荒げて彼女を呼べば、セシリアの微かな震えの混じった応えが返って来た。
「…、ごめんなさい、」
 まずい人に会ってしまった。彼女が逸らした視線は、そう解釈出来た。
「…ごめんなさいッ」
 ロディの背中を走り抜けるセシリア。ロディは突然の事に戸惑ってしまい、どうしていいのかおたおたするばかりだ。目尻に浮かんでいた雫に、ちくちくと胸が痛んだ。
 触れてさえいない涙の熱さを感じた。

 女の子が泣いているのを見るのは、初めてだったんだ。

 考え出す。何が一体原因なら、あんなに目を赤くして泣いてしまうだろう。
 例えば子供たちのみんなに、苛められたとか。でもジェーンやジェシカにかなり厳しく躾けられているという話がある以上、信憑性は無い。だったら苛められたのではなく、からかわれた可能性は。ありそうな話だ。世間ずれしていないセシリアに、みんなが面白がってある事ない事吹き込んで彼女を困らせた、とか。それで追い詰められたセシリアは涙を溜めて慌てて退場…、十分に考えられる。特にセシリアのような人はからからい甲斐があるそうだから。ザック曰く。
 そんな事をうだうだと考えていた途中で、はっと気付く。こうやって扉の前でひとり問答をしている場合では無かった。
「考えてる場合じゃ無い…!」
 慌てて駆け出したのは、セシリアが消えた方向。今はもう無い影を追いかけて家の裏手に回ってみれば、そこに泣き声を漏らす亜麻色の髪の少女がいた。こちらに背を向けたまま、ハンカチを顔に当てている。
「…セシリア?」
 こわごわと話し掛けてみると、その小さな背中がびくりと動いた。
「え、っと」
 話しかけたはいいものの、次に掛けるべき言葉を見失う。「大丈夫?」とか、「あっちで顔洗う?」とか、思いつきはするものの喉元で全て止まってしまう。
「――あの、ロディ」
 迷っていると、セシリアが少し恥ずかしそうに切り出した。
「笑いませんか?」
「…何で?」
「だって…、こんなふうにみっともなく泣いたりして。でも、原因はもっと子供っぽい事なんです」
「あの子供たちに、何か悪戯でもされた?」
「ち、違いますッ!」
 勢いのままに振り返ったセシリア。微かに赤くなった目元。どきり、とした。この人は泣く時だって公女らしく穏やかに慎ましく涙を零すのだろうか。セシリアは手に持ったハンカチをいじりつつ、恥じらいながら続けた。
「そうじゃなくて。あ…あの。あの絵本の所為なんです」
「絵本でどうして…?」
「あの。とても可哀想なお話で…ねこが最後に…」
 言って、また思い出したのか、乾き始めた目元にじわりとまた涙が浮かんだ。
「絵本はどれもみんな同じで、ほのぼのするものだと思ってたんです。…それなのに、あんな…」
「ちょ、ちょっとセシリア」
「ねこにとっては幸せで、満足いく終わり方と言えばそうなのかもしれませんけれど、涙が止まらないんです…」
 とりあえず、その感動的な絵本の所為なのだという事だけは分かった。それ以上の事情を聞きだそうとすれば、今度は思い出し泣きをしてしまうだろう。既に回想に浸っているのかじわりじわりとセシリアはまた泣きの方向に向かっている。それを阻止するためにも、ロディはセシリアの肩を抱いた。セシリアはびっくりして体を縮みこませた。
「ロディ?!」
「もう、泣くのはやめて。絵本の所為だって分かっても、セシリアが泣いてるところ、見るのはつらいから」
「ごめんなさい、心配かけて…」
 そっとロディの胸の上に頭を持たれかけさせるセシリア。気持ちのいい重さがかかった。しばらく互いに無言で優しく肩を抱き続けていた。
「落ち着いた?」
「…はい。気持ちがすうっと落ち着きました。不思議です。ロディの力でしょうか」
「何でもいいよ。セシリアが落ち着いてくれたんなら」
 そうして二人で互いを温めあっていたが、急にセシリアがあっと声を上げてロディの腕から抜け出た。
「どうかした?」
「絵本の朗読の途中で衝動的に逃げ出してきてしまったので、…まだ朗読が終わってないんです…」
 その瞬間を想像して、ロディはくすりと微笑んだ。子供たちはさぞかし何事と思った事だろう。朗読している途中で突然席を立って外に出て行ってしまった朗読者に対して、どれだけぽかんとしてしまった事だろう。
 このお姫様は、人一倍想像力が強いから。
「いいよ、行こう。今度は俺も、一緒についててあげるから」
「本当ですか…?」
「うん、…また泣きそうになったら、今度は俺が庇うから」
「あ、…ありがとうございます」
 あの、とセシリアはロディが差し出した手を取ると、こう付け加えるのだった。
「ザックには、秘密にしておいて下さいね」

 ロディは、口には出さずにふわりと微笑んで答えた。
 勿論、二人だけの秘密。
 …セシリアが絵本に感動して泣いてしまうような可愛くて女の子っぽいところがあるなんて、ザックに言うわけが無い。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
「ロディセシ祭」に献上したものを、ちょこっとだけ加筆修正しました。
モデルの絵本はモチのロンで「百万回生きた猫」。
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