ふれるしあわせ


 それ、は戦闘中に起こった。
 油断していたわけではない。弱い敵だからといって手を抜いていたわけでもない。そんな事をしていたら、亡き祖父に叱られてしまうだろう。
 そうではない。そのどちらも、自分はしなかったけれど。それでも、敵が触手を伸ばしてきたのを見て、ぎょっとした。止めを刺した、筈だった。実際は止めを刺しきれず、敵はまだ生きていたのだ。その触手がちらりと左腕を掠めていって。絡め取られる前に、ぐいっと身を捻ったけれど、それでも間に合わなかった。
 ちり、と痛みが走った。まずい、と思う頃には、その場でロディはすっ転んでいた。
「ロディッ?!」
 後ろで、ロディの援護に回っていたセシリアが声を上げた。
「いて…ッ」
 ちりちりと、焼けるような痛み。しかし感じていたのは一瞬で、すぐに痛覚を感じなくなった。ロディの横からザックが援護に入り、その敵にようやく止めを刺す。ほっと安心して、ロディはその場に座り直した。セシリアが心配そうにその隣にしゃがみこむ。
「あれ? …痛くない」
 不思議と。あの時一瞬感じた痛みが嘘のように消えていた。…いや。
「…感覚無いみたい」
 左腕の、腫れた部分にそっと触れてみた。触れているのに、ほんのりとしかその感触が感じられない。触っているのに、まるで触っていないかのような、この症状は。
「麻痺ですね」
 ロディの左腕に現れたみみず腫れを見て、セシリアはそう判断する。
「大丈夫です。軟膏を塗ればすぐに治りますよ」
 麻痺、と聞いて不安げな表情を浮かべたロディを気遣うように、セシリアは優しく微笑んだ。
 その傷は、そう大きいものではなかったけれど。戦闘には支障をきたすという事で、彼等は急ぎ街へと戻り治療する事になった。



 宿について。ザックが武器屋にて新しい武器を物色している頃。
 ロディとセシリアは宿屋にいた。安静のためにと、ロディはセシリアによって有無を言わさずベッドに横たえさせられていた。抵抗する事なんてわけなかったけれど、どうしてかまるで反抗する気になれず、ロディはセシリアの言う事全てに従っていた。
 セシリアは心配そうに薬箱を手に持っている。自分に渡してくれるつもりなのかと、ロディが手を差し出した時に、彼女はこう告げた。
「わたしが塗ってあげます、軟膏」
 そして元気よく腕まくりをする。ロディの手は空を切った。
「えッ、…い、いいよ。悪いし。だってほら俺汗だってかいてるし、触らせたくないよ」
「大丈夫ですよ。クラン修道院である程度の応急処置は習いましたし、麻痺の場合は軟膏を塗ってマッサージするだけでいいんですから」
「あの、だからそういう問題じゃなくて…」
 セシリアはロディの言葉に耳を貸した様子は無く、隣にあった椅子に腰掛けると薬箱の中から軟膏の入った瓶を探し始めた。
 セシリアの、日に焼けていない白くて細い指が目に入る。それでいて、女性独特の丸みもあって。女の子の指ってこんなに柔らかいんだな、とロディは頭の片隅でぼんやりと考えた。
 そのきれいな指が、軟膏をちょいと瓶から取り出して、ロディの左腕にそっと乗せた。
「つべた」
 その瞬間、左腕の軟膏を乗せた部分に、まるで軟膏が今まで冷蔵庫にでも入っていたかのような冷気を感じて、ロディは思わずそんな言葉をもらした。
「あ、ごめんなさい…冷たかったですか? ごめんなさい…わたし、冷え性で」
「ううん。大丈夫。どっちかっていうと、今の冷たさで麻痺が少し和らいだ感じがした」
 セシリアは少し目を見開いた。
「本当ですか? じゃあ軟膏だけじゃなくて氷も用意しましょうか?」
「それはいいよ。セシリアにそこまでしてもらって、悪いし…それに今の時期だと、宿に氷があるかどうか分からないし」
「それも…そうですね。それじゃ、マッサージしますからそのついでに腕を冷やして下さいね」
「えッ、あの、」
 結局、セシリアはいつもこのように人の静止の言葉をまるで聞かないのだった。どちらかというと強引な域にまで達すると思われる彼女のお節介であるが、ロディは不思議と嫌な感じがしないのに気付いた。
 簡単に言ってしまえばこれまで構われる事があまり無かったものだから、それが嬉しいのだ。真っ直ぐに自分を見つめて、それでいて心配してくれたり世話を焼いてくれる人を珍しく思っている。自分が否定される事がこれまであまりにも多かったものだから、優しくされると恐怖さえ覚えていたが、それでも優しさに触れていたいと望む自分がいるのも本当だった。セシリアから溢れ出す感情は、まっさらな優しさだけで出来ているような気がして。ロディは、それには逆らえなかった。
 本当はというと、照れ臭いのだ。異性に触れられるのが。それが、特に普段から意識する事の多いセシリアならなおさら。顔が近いのに、距離が近いのに、どうも落ち着きをなくしてしまう、自分がいる。だから彼女に触れられるのには、弱いのだ。
 セシリアの白魚のような繊細な指が軟膏を広げて、ぐるりぐるりと左腕の上で円を描いた。
じわじわと軟膏が効いていくのか、円が一回りする毎にどことなく腕の痺れがなくなっていく気がした。もっとも、完全に痺れが取れるのは1日や2日を要するわけだが。言ってみれば今ロディが感じている癒しは幻想なのだった。
 最初は冷たいと思った彼女の指の感触も、じきにその冷気が感じられなくなっていった。ロディ自身の熱と混ざり合い、次第にその境界が曖昧になっていく。
「ロディの腕を冷たくしてあげるつもりが、わたしの方が温めてもらっちゃったみたいですね」
 セシリアもその感覚には気付いていたようで、ほんのりと頬を染めそんな事を言った。
「これから冷え性でつらくなったら、俺の所に来たらいいよ。俺、熱有り余ってるし、分けてあげられるよ」
「それじゃあ、冬になったら毎日ロディに触っていますね」
「そうするといいよ。冷え性ってどうやったら治るのか分からないけど、少なくとも俺の傍にいれば…」
「…」
「…」
 何となく、会話の流れが。
 今更のように気付くけれど、まるで恋人同士の睦言のようなやり取りになってしまっている。お互いちらりと目を交し合い、そして慌てて双方とも同時に目を逸らし。同時に気付いたのか、セシリアの指がその瞬間ついと離れた。セシリアは自分が言った事を今更ながら恥じている様子だった。
 毎日ロディに触っている、だなんて。ロディも思い返してしまう。冬に熱をあげようと思ったら、それはそれは近くにいなければいけないような…気が、する。
「え、えと…軟膏、塗り終わりました」
「う、うん。そうみたいだね。ありがと」
 二人してぎこちなくぎくしゃくと移動する。セシリアは逃げるように立ち去りかけた。
 このまま、セシリアがいなくなってしまうのを惜しく感じて、ロディは慌てて呼び止めた。
「待って、セシリア」
「は、はいっ。何でしょうか。あ、お薬ですね。今片付けますから」
 軟膏を薬箱に戻し、そしてさらにそれをトランクの中に収納。その一連のお片づけ。ロディの呼び止めをそうした意味なのだと勘違いしたセシリアは、再びロディの傍に舞い戻った。
「いや、あの、そうじゃなくて」
「?」
 セシリアは薬箱を持ち上げかけて、そのまま小首を傾げてみせた。引きとめたはいいけれど何を求めてそうしたのか自分でも分からず、ロディは固まった。やっとの事で口から出たのは、こんな他愛の無い嘘だった。
「右腕…も、お願いできるかな?」
「麻痺してたのって左腕だけじゃなかったんですか?」
 即座に入る、セシリアのもっともな疑問。どうしてこんな嘘をついてしまったのか、自分でも分からなかった。でも、まだ、傍にいてほしかった。風邪を引いてしまった時に感じる寂しさとは、また違う。
結局は、触れていたいのだ、彼女に。
 その答えが見えて、ロディは脳が沸騰しそうな感覚を覚えた。
「えと…うん。なんか急に麻痺してきたような気がする」
「??? …よく分かりませんけど、とにかく麻痺してるのなら、軟膏塗りますね。今度は冷たくありませんけれど、それでも良いですか?」
「うん。勿論。…ありがとう、セシリア」
「気にしないで。わたしも、ロディのお手伝いが出来て嬉しいんですから」
 再び戻る、セシリアの冷たさ。さっきまで触れていたのにもう冷たいよ?と訊ねると、かえってきたのはこうだった。
「言ったじゃないですか。わたしはロディの近くにいないと、すぐに冷たくなっちゃうんです」
 一瞬、その意味が掴めなくてきょとんとして。
 それから、全ての意味を了解して今度こそ言い逃れ出来ない程真っ赤になった。

 結局は、ものすごく簡単な事なのかもしれない。
 自分がセシリアに触れていたいと思うのと同じように、彼女も自分に触れていたいと感じてくれているのだと、自惚れてもいいのだろうか。
 そうだとするなら、触れるのは、なんて幸せな事なんだろう。

 もう、麻痺になどなっている場合ではなかった。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
ラブラブv を目指しました…。
ちょっと前に、さるお方が「カッパの軟膏でマッサージするってよく考えたらよく考える程まずい気がする」と仰っていて、そこから想を得ました。
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