真実は窓の向こうに・2


「じゃ、な」
「うん、頑張ってね」
「まかせろって。お前の守護聖より俺は役に立つんだって事、証明してやるよ」
 アリオスはそれだけを言って、アンジェリークの執務室から出て行った。ひらひらと手を振ってくる、無邪気な女王様に手を1回、付き合うように振って。

 彼がこの聖獣の宇宙に魔天使として勤めるようになって、長い時間が経った。元々はアンジェリーク・コレットに敵対していた者であったが、転生する事により記憶を保持したままレヴィアスでなくアリオスとして生きる事となった。
 そのアリオスが、アンジェリークに誘われる形で魔天使となったのはどれくらい前の話だったのか。聖獣の宇宙の惑星を駆けずり回るうちに、あまりの忙しさにどれくらいの年月が経ったのか数えるのもやめてしまった。
 今でも忘れられない。記憶が蘇ってまだ数週間しか経っておらず、自身の犯した様々な罪を思い返していた頃の話だ。アンジェリークがふいに、自分の宇宙へ来いと誘った事を。
<一緒に来てほしいの、…私と>
 その言葉に対して、自分が何と返したか覚えていない。ただそのアンジェリークの一言が印象的で、脳裏に焼きついている。
 彼女は自分に、贖罪の機会をくれたのだ。生まれ変わった以上、自分に出来る事は罪を洗い流す事だけ。…全てが間違っていたとは、今でも思っていない。あの時は、ああするしか無かったのだ。けれど、一般市民を巻き込んでしまった事には、踏んではならない線を越えてしまったという事に関する痛みを覚えている。アリオスは頭を垂れて即答したのだった。
 こうして魔天使として生きる事を許されたアリオスには、未だ風当たりが強い。それでも、アリオスは自分の選択が合っていると信じているのだ。

 白の中庭。ここからならばアリオスの眺めたいものを眺め続けている事が出来る。表向きは仕事をしているように見せかけて、その実自分のしたい事が出来る。ここは、アリオスのお気に入りの場所だった。大体の人間はこの場所には寄り付かないし、そういう意味でもひとりを好むアリオスにはうってつけの場所だった。
 ベンチに座って、アリオスがアンジェリークから差し出された今度の仕事のための書類を眺めていると、横からいきなり影が飛び出てきた。その小さな影は今日も元気に満ち溢れている。
「アリオスさん、こんにちは!」
「…お前かよ」
 出てきたのはアリオスとは双璧を成すエトワールのエンジュ・サカキだった。
「何ですか、その返事。まるで私じゃ嫌だったみたいな」
「嫌じゃねえけど…どっちかっつうと、外れだな。残念だ」
「もう、アリオスさんたら意地悪です!」
 ばんっ、と何の遠慮も無く背中を叩いてくるエンジュに、アリオスはただ苦笑するしかない。年の割に肝が据わりすぎている彼女に、かける言葉が見当たらない。
 誰といてもその強気は変わらないまま、ほぼ初対面のアリオスに対しても「何としてでもアリオスさんと呼びます」と発言して彼女と喧嘩しそうになった事をアリオスは覚えている。
 考えてみれば、初めて会った時のアンジェリークも相当な強気だったものだ。今でこそ微笑んだら人の良さそうな、騙され易そうな風貌であるが本来はアリオスさえ食ってかかるような強気な人間だと知っている。…それを知っているのは、アリオスのちょっとした秘密であり、また自慢でもある。
「アリオスさん、こんな所で何してたんですか?」
 エンジュがにこやかに話しかけてくるのを、アリオスは適当にあしらった。目も合わさないで、簡潔に質問に答える。毒にも薬にもならないつまらない会話は、アリオスには興味が無かった。仕事をしていた、と言えばそれで済む話なのに、ついぽろりと本音が零れてしまった。
「――空を」
「空? 夜でもないのに、真昼の空に何かあるんですか? 星も無いのに」
「何もねえから、見てるんだ」
 しばらくエンジュはアリオスの言う意味を理解出来ないとばかりに首を傾げていたが、分かろうとする事自体を諦めたのか真似をするように上を見上げ、眩しい太陽に目を細めた。
「アリオスさん、随分今日は哲学的な事言うんですね」
「お前、俺の事馬鹿にしてるだろ。…大体、俺が何を見てようが俺の自由だ」
 あえて素っ気無く、突き放すように告げるがエンジュがそれに構った様子は無い。
「そりゃ、自由ですけど…でも。私だって、アリオスさんの見てるものが、見てみたいです。一体アリオスさんの目には、何が見えてるんでしょうね?」
 同じものが見たい。何処かで聞いたようなフレーズ。アンジェリークの好きな恋愛小説だっただろうか。思いを巡らせながら、アンジェリークではなくそこにいるエンジュをからかった。
「何だお前。俺に惚れてるのか?」
「ばっ…何言ってるんですか! 調子に乗るのはやめてください!」
 途端に真っ赤になり、秒単位の速さで否定するエンジュ。だからこそ、そこから滲み出るのは紛れも無い純粋な好意。
「やめとけやめとけ。俺はやめとけ。ロクな事になんねーぞ」
 思った通りのエンジュの反応に苦笑して、ぐしゃぐしゃと彼女の頭を撫でた。その行為に深い意味は無い。兄が妹を可愛がるのと同じで、小さくて強がりなものは何でも幼く映るものだ。
 エンジュの真っ直ぐすぎる視線は、時に痛みさえ覚える。アリオスはその曇りない目と面とは向き合えず、ぼかすように顔を上げた。太陽の光が眩しくて、エンジュの真似をするように目を細めた。光に反射して、窓の向こうの景色はここからでは見えない。
 自分の見たいものは、カーテンに隠されてしまって全く見えない。
 いつもならば、そのから外の景色を羨ましそうに眺めているアンジェリークの姿を確認出来るのだが。アリオスと視線が合う事もある。合わない事もある。それでも毎日、ほぼ同じ時間に外を眺めるアンジェリークの姿を、アリオスが確認しない日は無かった。
 それが今日は、どうした事だ。いつもこのぐらいの時間になるとアンジェリークは仕事に疲れて息抜きに外を眺めているのだが。真昼間だというのに、カーテンを閉め切っているなどおかしい。何か、ひょっとしたら異常な事態でも発生しているのかもしれない。
「…」
 それでも自分には、あの場所には踏み込めない。
 ただ出来るのは、手で仰いで窓の向こうを眩しく見つめるだけなのだ。女王の執務室には、おいそれとは入れない。自分の事を神経質に警戒するレイチェルが、常にあの場所ではアリオスの行動全てを監視している事を知っている。なればこそ、女王からの勅命が無ければ立ち入れない。
 それも、自分が選んだ道。自分が取った小さな掌。けれども痛みは変わらない。
「アリオスさんたら、また空見てる」
 アリオスの後ろから、ひょいと首だけ出してアリオスの真似をするエンジュ。その仕草を子供っぽいと笑い、アリオスは誤魔化すように言った。
「昼間から姿を隠すなんて、おかしいと思わねえか」
「何の話ですか?」
「星の話だよ」
「星って…ひょっとして、エトワール? 私の事ですか?」
「馬鹿言え。星座の話だ」
 だいたいお前は隠れるような性格じゃないだろうとやりかえすと、エンジュはふくれた。それを見て散々「ガキくせえな」とからかったあと、ふとアリオスは真顔でもう一度窓の向こうを見遣った。
 変化は無い。重々しいカーテンの影に隠れて、女王の執務室はちらりとも覗く事が出来なかった。募る不安感。それでも。

 自分の密かな思いは誰にも感付かれてはならない。気付かれれば最後、自分はこの宇宙から放逐されてしまうだろう。悪夢を繰り返させないため、アリオスにとってのあの憎憎しい女王補佐官に。女王は誰のものでも無いのに、まるで自らの所有物であるかのようにアリオスに対して嫉妬心をむき出しにするレイチェル・ハートに。
 誰にも知られてはならない。ただ自分に出来る事は、この白の中庭であの呑気な女王の姿を、アンジェリーク・コレットの姿を眺める事だけなのだ。
 アンジェリークが自分の事を好いているらしいのは、薄ぼんやりとは気付いている。けれどどちらもが、踏み込めないでいる。犯すのは禁忌だ。一歩間違えれば、二人ともが地獄に落ちてしまう。それだけではない、この宇宙のありとあらゆるものを不幸にする可能性だってある。お互いの想いに応える事が、そう簡単な選択ではない事を、どちらもが知っている。

 真実は窓の向こうに。
 自分にとっての真実はただひとつ、それはアンジェリーク。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
1話だけ読むとアリ←コレですが、2話まで読むとアリ→←コレというからくり。
どこまでもすれ違う二人。萌え。実は続きがありますが、一旦完結。
BGM・平井堅「哀歌」
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