果ての荒野にふたり立つ


 改造実験塔sect:O。
 強風に、ディーンは目を閉じた。痛いのは感情か、乾いてゆく目か。何も分からなくなって、ディーンは呻く事しか出来なかった。
 突然の事だった。突然、アヴリル・ヴァン・フルールは何度でも出会いと別れを繰り返す運命にあるのだと聞かされた。そう言われて咄嗟に連想したのは、果ての荒野にひとり立つアヴリルの姿。出会った時に流していた涙や、約束を守らなかったベルーニ族への激昂の理由が分かって、ディーンは唇を千切れる程に噛み締めた。前に遺跡で見せられたアヴリルの記憶はこの瞬間を示していたのだ。
 そうしてアヴリルは何もかもを抱えてたったひとりで再び塔の中へと踏み込んだ。振り出しに戻るために。12000年前に戻るために。
 どうしたらいい。こうしている間にもアヴリルはひとりで塔を昇ってゆく。答えは一向に出なくて、ディーンは頭を掻き毟った。分かるのは、自分が彼女をひとりにしておけないと思っているという事実だけだった。諦めなければ人は何だってできると、今まで言い切ってきた。ここで彼女を見捨てる事は、諦める事に等しい。
 ディーンが前に一歩踏み出した時、それを制したのはレベッカだった。
「何処に行くのッ?!」
「アヴリルを追い掛けるッ! じゃなきゃ、こんなの、許されてたまるかッ!」
「そんなの、アヴリルは望んでないんだよ、ディーン!」
 その言葉に、ぴたり、とディーンの足が止まった。「だけど、」とディーンは諦めていないように呟いた。例えアヴリルが望んでいないのだとしても、嫌がられても、引けない一線がある。
 それが、今だ。
「アヴリルは、また泣いてたんだ…」
 ループ。ひとりきりで時を越えて何度でも。
 ディーンには難しい事は分からない。正直言ってループだとかディメンジョナル・タンビュランスだとか難しい専門用語を並べられても半分も理解出来ない。
 分かるのは、アヴリルがまたひとりになるという事、それをアヴリルが悲しく思うだろう、という事だけだ。駆け出していったアヴリルの背中に隠れて見えないけれど、あの人はきっと涙を零している。ディーンには、それが分かるのだ。
 初めて会った時は再会の涙。今度の涙は、別れの涙。
 泣かさない、って決めたのに。またあの人だけに、つらい思いをさせている。ディーンは一度深呼吸して目を閉じ、再び目を開けた。
 もうその目に、迷いは無かった。
「ゴメン、レベッカ」
「ディーン?!」
「オレ、やっぱり行くよ。アヴリルをひとりにしておけない」
「今行ったら、ディーンまでディメンジョナル・タンビュランスに巻き込まれちゃう!」
「それでもいいよ」
 あっさりと言ってのけるディーンに、信じられない様子でレベッカは目を見開いた。
「どうして、そんなにさらっと宣言しちゃうかな。…アタシ、…そんなの引き留められないじゃない…」
 レベッカは堪えきれなくなったようにがくりと肩を落とし、俯いた。
「行きなさいよ! 何処へだって、行ったらいいわ!」
「…ありがとう、レベッカ。ほんと、ありがとう」
 レベッカに、一度だけ微笑みかけて。レベッカはこちらを見ようともしなかったけれど、その見えない視線を感じたから。
 じゃり、と砂を踏み締めて。振り向かず、ディーンは塔の中へと駆け抜けた。



 機械音。
 時々唸るような風の音。それら全てを乗り越えて、ディーンはひたすらに進んでいた。ARMは魔獣と戦う途中で壊れて使い物にならなくなってしまった。いつもアヴリルに調整をしてもらっていたから、壊れてしまった以上もう役に立たない。見よう見まねで直してみる暇さえ、今のディーンには残されていない。
「アヴリルーッ!!」
 先程よりも轟音は激しくなっている。叫んだ自分の声さえ、この部屋に届くのが精一杯だ。この分では、あと数十分がこの塔の限界だろう。
 ばん、と勢いよく最後の扉を開ける。そこに果たしてアヴリルはいた。こちらに背を向けて、システムに向かって両手を伸ばしている。ディーンは迷う事無く近付くと、後ろから彼女の片手を取った。
「ディーン…ッ?! どうして、ここに!」
 答えはいつだってひとつ。アヴリルの驚いた表情、その中の澄んだ瞳に自分の姿が写っていた。塔に入る事を決めた時から、アヴリルに告げるべき言葉はひとつだった。

「オレも、ループに付き合うよ」

「ディーン?!」
「オレ、アヴリルの事大好きだから」
 はっとした顔つきになるアヴリル。にこ、とただ笑ってみせる。ここまで追いかけてきた事を否定されたくは無いから。出来るだけ、彼女を落ち着かせたくて。
「でも、それだけじゃなくて。ホントは、アヴリルの笑った顔が一番好きだから。そんな泣きそうな顔、してほしくないんだ」
 アヴリルが、オレの笑ってるのが一番好きって言ったのと同じで。
「わたくし、そんなに今にも泣きそうでしょうか…?」
「もう、泣いたくせに」
 見抜かれてますか、とアヴリルは静かに微笑んだ。
「ディーン…けれど、わたくしは…」
「一緒にループに入ろう。きっと寂しくない。もう、アヴリルはひとりじゃないよ」
 その言葉を聞いた途端、アヴリルの目にじわじわと涙が浮かんだ。頷くために微かに動いた彼女の首は、しかし途中で何かに気付いたように慌てて方向転換した。振られたのは横向き。
「ディーン…お気持ちはとても嬉しいのですが…」
「アヴリルはオレの大切な人だ! だから、離さないって決めた。もうアヴリルが何と言ったってオレは一緒に行くからな!」
「…! ディーン…」
 アヴリルは声を押し殺して、耐え切れなかったように首を一振りして涙を一粒だけ零した。思えば初対面の時から、この涙には意味があると感じてきたのだ。アヴリルがここでディーンの事を何とも思っていなければ、涙など流せるわけがない。
 突き上げるような衝動に思わずアヴリルをぎゅうっと抱き締めると、柔らかい匂いがした。女の人の匂いだ、などと場違いな事を考える。アヴリルの腕が回されて、ディーンの背中の服を掴んだ。塔の暴走も、これから起こる事も、もう何も気にならなかった。ディーンの世界は、今、アヴリルひとりだった。アヴリルの世界がずっと昔、遙か彼方の過去からディーンひとりだったのと同じで。
「…わたくしはそれでも、あなたの未来を台無しにしてしまいたくありません」
「まだ言うか。意地っ張り」
「ディーンこそ、頑固です」
 二人して、顔を寄せ合ってくすくす笑った。こんな状況で笑う事が不謹慎だとは、不思議とディーンは考えなかった。さっきまで泣いていたアヴリルに笑顔が戻った事に心から安堵しながらアヴリルを見つめていると、ふと彼女は表情を曇らせた。
「ですが…。今までわたくしはひとりでディメンジョナル・タンビュランスに挑んできました。そして時空の歪みを解消してきたのです。…ここでディーンと一緒に飛ばされる事で、未来に一体どういう変化を齎すのかわたくしには分かりません」
「難しい事はオレにはよく分からないけど。でも、アヴリルをひとりにはしない。本当だよ。…それだけしか言えないのが、不甲斐ないけど」
「いいえ…いいえ! ディーンが不甲斐ないなんて事、有り得ません!」
 抱き合ったまま、二人はいつまでもそのまま話し続けていた。どういった未来――或いは、過去――が二人に訪れるのか、分からない。ディメンジョナル・タンビュランスに飲み込まれれば最後、二人が離れ離れになる可能性だってある。話せるのは最後の機会だと、相手に触れられるのは最後の機会だと、両方とも感じていた。
「ディーン…もう少しだけ、このままでいてもいいですか?」
「それ、今オレが言おうと思ってたとこ」
 もう少しだけこのままでいる事を望んで、ディーンはアヴリルの頬に自分の頬を当てた。伝わる熱が、繋がっていると信じられて嬉しかった。
 アヴリルは柔らかいな、と言いかけてやめる。柄でもない。それより告げておきたい事があった。ディーンはアヴリルから体を離すと、その気丈な性格に似合わぬ小さな両手を自分の両手で包んだ。
「…オレ、ずっと、諦めなければ何でも出来るって言ってたよな」
「はい」
「諦めてるわけじゃない。だけど、…ループを壊し方をオレは知らない。本当は壊せたらいい。このままアヴリルとオレがこの未来を歩めたらいい。でも、それは出来ないんだろ?」
「…」
 アヴリルは答え難いようで、口を閉ざしたままでいた。それが何よりの肯定だった。それで良い。難しい説明などしてもらっても、理解出来る自信が無い。ただ「はい」か「いいえ」か、アヴリルのその一言だけで十分に自分は未来を決定付けられるのだ。
「この未来でダメなら、それなら違う所へ行く。違う未来を探して、オレはアヴリルと一緒に行く。…アヴリルと一緒に何処へだって行くよ。何処の荒野だっていい。二人で行きよう」
 その時アヴリルの目尻から流れ出たのは、一体どういう意味の涙だったのか。問い掛ける前に、アヴリルは心から幸せそうに微笑んだ。
「…はい。…ディーン、ありがとう…」

 ふと、上を仰ぐと。
 光を放つ柱は臨界に達しようとしていた。
 塔も崩壊し、天井からがらがらと屋根が落ちてきている。隙間隙間から、青い空が見えた。
 ――これ以上問答を繰り返せる程の時間は無いようだった。
 二人は固く手を握り合い、一度だけ目を見交わし頷き合うと、その中心へと躊躇い無く進んだ。
 そうして、光の奔流に飲み込まれる。

 果ての荒野に二人立つ、その未来は訪れるかどうか。
 それは誰も、知らない。


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
EDは絶対こうなると信じてました。ディーンの諦めの良さに釈然としない思いを抱いております。
同ネタ多数だろうな…と思いつつも。こうなるのが、私にとっての最良のEDです。
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