目を閉じて、その時を待つ9 -Jude Side


 かたり。
 ユウリィの家には微妙な軋みがあって、いつも同じ場所で床が音を立てるのだ。
 ジュードは駆け込むようにユウリィの部屋の前にまで来たが、なかなかその向こうに飛び出せずにいた。
 扉を開けたその向こうに、彼がいたら。ジュードはその想像の中の敗北感に崩れ落ちそうになる。
 きっとユウリィの隣に僕がいるより、すんなりその場に溶け込んでいるんだ。そう思う。自分がいるより、彼がいた方のが余程。
 ユウリィ自身も意識しないところで、彼女はクルースニクの存在を求めているのだ。

 ユウリィの家を熟知しているジュードは、逸る心を抑えて扉を開けた。
 彼らの会話が聞こえないかと耳を済ませたが、そんな音はどこからも聞こえなかった。
 そして彼の姿も認められず、杞憂に終わったかと胸を撫で下ろした。
 ただ、静かに眠るユウリィの姿を見て違う意味で鼓動が逸った。
 顔色が悪い。唇の色はもはや灰色と言ってよかった。胸の上に手を置いたその恰好は、嫌なものを連想させた。
 おはよう。ただいま。それらの単語を言うのが躊躇われた。彼女は返事をしないかもしれない。しないのではない、既に出来ない次元へと行ってしまったのかもしれない。
 その場合の想像をすると、自分がどうにかなってしまいそうだった。
 何か言えれば良かったかもしれない。だが、自分の口から漏れるのは息ばかりだった。

 しばらくその場で立ち尽くしていたが、ジュードは思い切ってベッドに歩み寄った。
 ユウリィのすぐ隣にまで近寄ると、彼女の顔に手を翳した。
 微かな空気の動きが確認できる。
 …彼女は生きているのだ。当たり前の事を、何を確認しているのだ、と自分を責めた。

 隣の椅子に音を立てないようにそっと腰掛けた。
 彼女を目覚めさせない、という配慮からそうしたつもりだったが、ユウリィはそうっと瞳を開けてしまった。
 茶色の瞳が覗くのをみて、しまったと舌打ちする。慌てたように椅子の背に手を置き腰を浮かせた時、ジュードはその不自然さに気付いた。
 椅子の背が仄かに熱を帯びている。この熱は自分のものではない。直前まで、誰かが座っていた?
 ぎくり、とする。自分は何に恐怖しているのか。
 ユウリィの目がこちらに向く。だがその目はどこか虚ろだ。
 ここを見ている。けれど、ここを見ていない。どこか焦点の合わない瞳。
 ユウリィの額に浮かぶ汗を見て、その理由の一端を理解する。

 熱に目が、やられたのか。

 ユウリィはこちらに手を差し出して、微笑んだ。
 顔に、汗で張り付く髪の毛が、痛々しくさえ見えた。
「にいさ、ん…」
 え、と思う。

「…」
「最後に、会えて嬉しかった…」
「…」
「ありがとう…」
「…」

 何を、言っているのか。彼女は。
 理解する間もなく、彼女はまた目を閉じた。
 すうっと力を失い腕が落ちて。ただまた深い眠りに落ちていく。

 その掌が怖かった。
 一体彼女は何と出会い、何を交わしたのか。
 真実はひとつだ。それを認めるのが怖かった。
 彼女はそれに出会ったのだ。そして、見事に攫われたのだ。

 10年一緒にいても、何一つ敵わなかった。
 自分はあの影に、ユウリィの中で生き続けていた影についに負けたのだ。

「…ユウリィ」
 名前を呼んでも、きっともう届かない。
 彼女の目が開いても。その目は自分を見ない。届かない。想いは。

 ただ。
 叫び出したくなる衝動を、堪え続けた。



 …1ヵ月後。
 彼女の熱はついに下がる事は無く。
 彼女の視力もついに戻る事は無く。

 二度と光を感じぬまま、ユウリィ・アートレイデは25歳という短い生涯に幕を閉じた。

 最期は、眠るように目を閉じた。それきり、目を覚まさなかった。
 カーテンの隙間から零れる光が。ユウリィを照らして。

 どこか満足気な表情に、見えた。
 天使だ、と思えた。

 涙は出なかった。


つづく


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