さばくのほし/あいのきせき(1)


 そこは闇の中だった。光の届かない、地下世界。
 神剣<ディバインウェポン>を止めるために行動するユウリィたち4人と、その兄。
 イルズベイル監獄島。ユウリィたちがジュードと再会したところから、物語は始まる。

 ユウリィ、ジュード、ラクウェル、アルノーの4人とは別行動を取っていたユウリィの兄、クルースニク。監獄島に辿り着いてからしばらくして突然再会を果たしたが、暴走したARMに攻撃されて5人は分断されてしまった。ユウリィ、ラクウェル、アルノーの3人と、ジュードとクルースニクの2人とに。折角再会出来たというのに、この組み合わせには皮肉なものをユウリィは感じた。きっとまた出会う、その言葉を約束に変えてユウリィとクルースニクの二人はそれぞれ別の道を行った。兄が渡すと言った何かを、突っぱねてまで約束に変えたのだ。「それ」を受け取るわけにはいかない理由がこちらにもある。きっとその何かを渡してしまえば兄は満足しきって、その先に続く未来を放棄してしまう。そんな予感がした。二人が生存できる未来が確定するまでは、受け取るわけにはいかなかった。
 誰もが、二人は生きて再会できるのだと信じていた。だが。
 強敵を潜り抜けてやっとの事で奥まで行けたというのに、ユウリィが再び出会えたのは、ジュード・マーヴェリックひとりきりだった。監獄島に入ってから半日以上が経過し、さらに監獄島の秘密の領域に踏み込んでしばらく経った頃の事。
 挨拶もそこそこに、ジュードを見据えて尋ねる。
「兄さんは…?」
「え、っと」
 ジュードが言い難そうに口元を押さえた。目尻が濡れているのに、ふとユウリィは気付いた。彼の目は、赤い。ぞっと背筋が冷たくなった。日光の入らないこの地下世界では、冷えた体温が元に戻る見込みは無い。どうしようもない寒気を覚えて、ユウリィは自分の体を自分で抱き締めた。
「あの。ね、クルースニクは…」
 その意味を認める前に、ユウリィは口から声を出した。唄わなければ。そう思った。どうして発作的にそうしたのかは、彼女自身にもよく分からない。
 どうしてもうひとりがいないか、なんて考えてはいけないのだ。唄う事をやめたら、考えてしまう。絶望に縁取られた思考。ユウリィは理解してしまうだろう。今はまだ、その事を考えるべきではなかった。自分には、まだ為すべき事がある。神剣<ディバインウェポン>を止めるために、深奥まで行くのだ。この悲しい世界を終わらせるために。
 絶望するのはその後でも出来る。
「やくそくをしようよ…」
 音は、旋律を紡ぐ。自分を落ち着かせるために、幾度となく唄った。今は、ただ、絆の事しか想えない。ここにはいない彼との絆を。
「てをつないで、あるく…」
「…ユウリィ?」
 不思議そうにジュードが問い掛けた。
「…。兄さんは、先へ行ったんですよね?」
 ユウリィは歌うのをやめると、自分でさえ思ってもみない事を口にしてみせた。自分自身信じてなどいなくても、自分の発言に頼らざるを得ないのだ。縋る他に、道など。
「…うん」
 ジュードの表情が曇ったのなど、認めるわけにはいかない。全て、目に写らなかった事にするしかないのだ。ユウリィは小さく首を振ると、また口を開けた。
「お願いがあります」
 ようやく神剣<ディバインウェポン>にまで辿り着いたというのに。歌を唄う、だなんて不謹慎だと思われただろうか。ラクウェルとアルノーと、そしてジュードの顔をそれぞれ見比べて。3人の顔が一様に心配そうなのが気に障った。何を、心配する事があるのだろう。彼、は先に行っただけだというのに。
 ユウリィはその願いをジュードに向けて放った。
「…手を、繋いでもらってもいいですか」
「え?」
 ぽかん、と口を開けて小首を傾げたジュード。どうしてこんな危機的状況でそんな望みを口にするのか、分からないようだった。
「兄さんの気持ちが、その手の中には詰まっているのでしょう? 勇気が欲しいんです。これから神剣<ディバインウェポン>に挑むために。…兄さんの勇気を、分けてほしいから」
「うん…分かった」
 ジュードの差し出した掌を、たっぷりと眺めて。おずおずと、ユウリィはその手を握った。人の、手だ。馬鹿みたいにそんな事を考える。義父の掌も、このくらい温かかった。その温もりは、間違いなく生きている人間のもの。求めている人の温もりを求めて、ユウリィはその手の中を探った。
 ユウリィの中には、ひとつの思い出がある。優しくて、切ない思い出。白い孤児院にいた頃、ユウリィが実験がつらいと言って泣くとあの人はいつも困ったように立ち尽くし、最後にはいつも手を繋いで部屋までの長い廊下を歩調を合わせて歩いてくれたのだ。一緒に歩いてくれるだけで、宥めてくれるわけでもなく叱るわけでもなく、口数の少ない彼は妹にどんな言葉をかけて良いやら分からなかったのだろう。それでもただ一緒にいてくれるだけで彼の不器用な優しさで満たされていったものだった。
 泣いた体は、興奮して熱くなっているから。あの手が冷たかった事を、ユウリィは今でも忘れられずにいる。ユウリィ自身もそうであるけれど、あの白い孤児院にいた子供たちは総じて薬の副作用のために体が、手が冷たいのだ。滅多な事では、例えば思い切り興奮しないと体温は上がらないし手も冷たいままなのだ。ユウリィであっても、あの人であっても、それは例外ではない。彼の氷のような手を握って、いつまでも二人は一緒にいた。
 しかし、今のこの状況は。ジュードの手は、温かいというよりは熱くて。ここに集まってくるまで、彼とともに死闘を繰り広げたのだろう。体温が上がっていても不思議は無い。そしてそんな時でも、やはり手が冷たいのが彼の方なのだ。過去の記憶と混ざり、ユウリィは知らず混乱した。
「わたしの欲しいものは、これじゃない…」
 ふと漏れた言葉に、戦慄した。慌てて首を振る。
「ごめんなさい、何でもないんです。…行きましょう」
 ジュードたちにはユウリィの発言は聞こえなかったようで、先に進む道を促すのみだった。そっとジュードから手を離すと、ユウリィは道の向こうへと目を向けた。奥に着くまでにはまだしばらくの間があって、つい考え込んでしまった。
 どうして、手なんて繋いでしまったのか。本当に繋ぎたい人は、ここにはいない。そんな事分かっているのに。知っている、筈なのに。他の人じゃ、代わりなんてきかない事くらい。
 ここに一番大切な人がいない。いる振りをしたいから、代わりを求めた。それは無意味だ。「代わり」を意識した分、そこに大切な人がいない事を思い知らされるだけ。
 自分はどこまで浅はかなのだろう。
 予期せぬ涙がひとつ零れるのを隠すために、袖で乱暴に目元を拭った。そして扉の向こうへと駆け出すのだった。

 欲しいのは冷たい掌、ただそれだけなのに。


つづく


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