さばくのほし/あいのきせき(6)


「不審者?」
「気を付けてね。森に出るってさ」
真っ先にその情報を届けたのは、この間ハリムに入植してきた、ユウリィと同じ年頃の少女だった。ユウリィにとっては余り馴染みのない、同性の友人という事になる。
最近は二人とも生活がごちゃごちゃしていて、久しぶりに取れた時間を使って優雅なティータイムをしているところだ。しかし、話題は全くそれとは不釣合いに重い。
「でも…今度入植してくる人かもしれないじゃない。そういう人を悪く言うのは、わたしはちょっと…」
「あのねえユウリィ! 私達だって何の根拠も無く人を不審者扱いしたりしないって! ちゃあんと理由があるんだって」
「理由って?」
「森に出没しては、村の様子を眺めてるらしいの。で、人が来ると慌てて逃げるんですって。…でね。ここが一番怖いところなんだけど、私達くらいの年頃の女の子をじっと見てるんだって! ね、怖いでしょ」
まるでゴシップでも手に入れたかのようなはしゃぎっぷりに、ややユウリィは付いていけないものを感じながらも質問を重ねた。
「見て、それでどうするの?」
「それだけなんだって。一応はね。でも気を付けなよ。何されるか分かんないでしょ。だからね、もし村に出てきたらすぐに逃げなよ」
「逃げるっていっても、どんな人なのか分からないのに逃げようないわ」
「ああそうか、特徴言ってなかったね。茶髪に、背の高い若い男だって。んでわりと痩せ型。――それから、これが一番変なところなんだけど、目撃者の意見で一番一致してるのが『アイロンのきいたぱりっとしたシャツを着ている』事なんだって。おかしいよね、不審者なのにきれいな恰好しちゃって。そりゃあまるでこれから仕事に行くみたいな服装してるらしいよ」
「へえ…」
それは滑稽な不審者だ。
「で、人に見つかりそうになると森を南に逃げるんだって。だから無闇に森に行っちゃダメだよ、分かった?」
「う、うん、分かった…」
あとはごちゃごちゃと、少女特有の話題で散々盛り上がったあと、その少女はユウリィの家を出た。楽しい時間を過ごせたと思いながら、ユウリィは残ったカップやソーサーを手際よく片付けてゆく。
その時、ふとオルゴールが目に入って、ユウリィはオルゴールを奏でるよりも前に旋律を口ずさんだ。家事をしている時にこの歌を唄う癖がどうも自分にはあるようで、無意識のうちによく唄っている。
「約束をしようよ…」
兄とよく一緒にこの歌を唄ったものだった。感慨に浸る。不審者だろうが何だろうが、自分にはこの歌があれば兄に守ってもらっているような気になっているのだ。
「ひとりで泣かな、い」
言葉が途切れたのは、兄の姿が目に浮かんだから。思い出す。いつも直立不動で立っている姿を。自分と同じ茶髪に茶色の瞳。背がとても高くて、顔立ちが整っていて、妹ながら自慢であった事。そのわりには彼は痩せていて…。
「…」
歌が消えた。ユウリィは黙ったまま、先程の友人の話を思い返していた。彼女は何と言っていた? そして、今自分は何を思っていた? 
あまりにも合致する特徴。唯一の例外である、「ぱりっとしたシャツ」。…これは、硬い服装しか知らない、あの人と同じ嗜好をしていると考えていいのだろうか。
顔面から血の気が引いていく。
「まさか…そんなね」
言いながらも、否定しきれない自分に気付いた。
鼓動はどくどくと、ますます激しくなっていく。視線はオルゴールに釘付けのまま、ただ彼の事を考えていた。
何より自分にはオルゴールがある。これが想像に拍車をかける。期待して失望するのはもううんざりなのに、それでも熱望する事を止められないでいる。
これが、例えばその不審者の為した事であるならば。彼がオルゴールをユウリィの目の届く位置に置いておく。意味するところが分からず、ユウリィはまんまとそれを受け取る。それが不審者の望んだ事だったのなら。
「…ッ」
きりきりと、搾るように吐き出される息。
理屈は分からない。それならなぜイルズベイルで会えなかったのか、なぜ1年も経ってからこのような噂が立つのか、その理由ははっきりしない。でも。…不審者が見つめているのは自分くらいの年頃の少女だと聞いた。彼が探しているのは他でもない、自分ではないのだろうか。
そうだ。きっと自分を探しているのだ。自分がずるずると彼を信じ続けているように、彼も自分の事をきっとずっと。
ユウリィは下唇を噛んだ。噛んでいないと歯の根が合わなくて、がちがちと鳴ってしまうから。会いたい。心から願っていた事だ、出来る事なら手段など選ばないからもう一度会いたい。けれど、ユウリィの想像とは違う現実がそこにあったのなら。不審者と、兄とが等号で結ばれないのなら絶望するしかない。そうして今度こそ立ち直れない。
願いが本当ならいい。それしか望むものは無い。自分が思っているのと違っていれば死ぬくらいの覚悟で、ユウリィは立ち上がった。どのみち、正体を確かめなければ自分は気になってまともに生活する事も適わないだろうから。
ユウリィはその場にあった鞄を引っ掴んだ。行かなければ。そう思った。適当に鞄の中に着替えや、その他最低限必要なものを詰め込むとユウリィは家を飛び出した。
逸る胸を、もう抑え切れなかった。
外に出て、先程まで喋っていた少女を見つけると、ユウリィは掴みかかる勢いで尋ねた。
「その噂の人は、森のどっちに行ったの? 南って、具体的にはもっと何か無いの?!」
「ど、どうしたのユウリィ!」
「いいから答えて!」
普段は見せない、荒々しさを曝け出したユウリィの物言いにしばらく少女は驚きを隠せないでいたが、彼女が見せる緊迫さの前に負けたのかぽつぽつと話した。ユウリィからすればもう、外面に構っている場合ではなかった。どう見られても良い、ただ情報がほしかったのだ。
「南に…砂漠に。『砂食みに沈む集落』に住んでるらしい、って情報が…」
「ありがとう!」
それだけ聞ければもう十分だった。思いは確信に変わったと言っていい。

不審者、否、ユウリィが焦がれるあの人は『砂食みに沈む集落』にいる。

全ての符号が一致した感覚を覚えて、スカートを翻らせてユウリィは南へと駆け出した。


つづく


第7話へ
→WA小説へ
→home